CoQktail-カクテル-


「ところで……カナさんが『暫く匿ってやれ』って言ってたけど……」
「あ、はい……すみませんご迷惑を…」
「待って春ちゃん、オレ恋人にそんな余所々々(よそよそ)しいこと言われたら泣いちゃう……」
 ふえ~ん、等とこれ見よがしにわざとらしい泣き真似をして見せる燈向に、春人は困ったように笑う。
 思えば、燈向と出会ってからまだほんの三ヶ月程度でしかなく、その内のこの半月程度は様々な出来事が起こった怒涛の期間だった。
 しかし数奇な運命の所為か、もうずっと前から一緒にいるような錯覚を覚えていたのもまた事実で。
「あの、多分なんですけど……あの人達は僕の家しか知らないと思うんです。 僕も職業柄、外出は多くなかったので…」
「うん」
「だから、きっと僕が居ない間も何度も家に来るだろうし……それで、痺れが切れそうなタイミングで戻るのが良いだろう、って……」
 燈向が要の事務所に春人を迎えに来るまでの間に話した事を要約するとこうだ。

 まず、春人は彼等の知らない場所へ身を隠す。
 母親が今何処で暮らしているのか、昔と同じ場所で暮らしているのかも分からないけれど、兎に角、長年行方を眩ませていた息子を探し出さなければならない程困窮していると考えて良いと要は言った。
 そこで網を張る期間を一週間として、向こうを焦らす。
 そして向こうの焦りがピークに達した頃合いで、わざと春人が母の前に姿を見せる。そうすれば向こうは勝手に自滅をするだろうから、此方はきちんと証拠を押さえておけば後は要の独壇場と言う算段だ。

「………酷い子供ですよね、僕」
「春ちゃんを生んでくれた事には感謝するけど……それでも、たったそれだけの…片手で掬い上げた水みたいな、手のひらにほんの僅かに残る位のそんな昔の愛情と、今まで春ちゃんにしてきた仕打ちとを天秤に掛ける必要なんてないと俺は思う」
 己の幸せのために、唯一無二の存在である母親を切り捨てようとしている事に罪悪感を感じている春人を、燈向はそっと抱き寄せてその背を撫でた。
「それに、オレだって両親を捨ててる様なもんだし、その辺で言えばオレも同じだよ」
 気にしないで と言って燈向は春人の白い手を取る。指を絡めて握り、形の良い爪にそっと唇を寄せた。
「…………燈向さんて、それ、好きですよね」
「うん? うん。春ちゃんの手、綺麗だからつい、ね」
「………………………」
 満足そうに笑みを浮かべる燈向は、見目が良いのも相まってまるで童話か漫画に出てくる王子様のようで、思わず頬が熱くなる。
 今はまだそんな仕草に逐一心臓が跳ねっぱなしだが、いつかそれも『慣れる』時が来るのかと思うのと同時に、そう思わせてくれる燈向の言動の全てに春人はぼんやりと愛の意味を知った気がした。



「は~るちゃーん」
「あ、お帰りなさい燈向さん」
 春人が燈向の家へ身を寄せてから早六日が経った。要に言われた避難期間は一週間。
その間に要から春人のアパート周辺の様子の報告が何度かあったが、やはり母親は一日置きに春人の部屋を訪れては執拗に彼の帰りを待っているらしい。

 明日で七日目。つまり決戦の日は明日と言う事だ。

 燈向の部屋で過ごすのはもう慣れた。
仕事は大瀧の厚意で彼の会社のデスクの一角を貸して貰えているので支障はそれほど大きくない。
 日中は徒歩圏内にある大瀧の会社で仕事をして、夕方になれば燈向の家へ戻る。
 二人で食事を作って食べて、燈向の店の開店準備を時折手伝ったりしながら夜を迎えれば、燈向は一階の店の店主として部屋を空ける。

 その間春人は一人で過ごす事になるが、大体は仕事のラフデザインを描いたり、仕事に関係ない趣味のイラストを描いたりして過ごしている。

 燈向は店終いが遅い自分を待たなくて良いと何度も言ってくれるけれど、春人としても努めて待っている訳ではなく、絵を描いていて気が付いたらそんな時間になってしまっていると言うのが正しい。
 家を出る時に持ってきたスケッチブックが、残り少なくなっているのが良い証拠だ。
「先寝てて良いよ、って言ってるのに……春ちゃんって意外と宵っぱり?」
「いえ……そんなことはない…と、思うんですけど……わっ!」
 キッチンのカウンターテーブル脚長のスツールに座ってイラストを描いていたらしい春人へ、燈向はそっと手を伸ばす。
 何度言っても聞いてくれない悪い子め、と春人の柔らかい髪を乱暴に掻き撫でた。
 途端にフワリと香ったシャンプーの匂いに、燈向の動きがピタリと止まる。
「燈向さん?」
「シャワー浴びてくる。 折角春ちゃんが俺ん家の匂いに染まってんのに、今日の俺めっちゃタバコ臭いじゃーん……も~ヤダー……」
 どうやら今日は煙草を嗜む客が居たらしい。確かに、触れて来た燈向の指先から、たばこ独特の香りがした。
 春人自身は煙草を嗜む事をしないが、別に否定派でもない。だから、今燈向が気にしている程春人は気になって居なかったのだが、本人は些か不服のようだ。
 店、禁煙にしちゃおっかな~ 等と言いながら、燈向は足早に風呂場へ向かう。
 戻ってきてから怒涛の勢いで喋って風呂へ向かった燈向だったが、奥の方から「春ちゃ~ん!」と呼ぶ声がする。
「はーい!」
「オレが出るまでにベッド入っててね~!」
「はーい……」
 まるで子供を寝かしつける親のようなセリフに可笑しくなって、春人はひとり笑う。
 確かに燈向は春人より歳上ではあるので、兄のような態度と考えれば納得はいくが、それにしたって恋人にする態度では無いような気もする。
(恋人同士って言うのがよく分からない僕が思うのも何だけど、まるで夏樹と一緒に居るみたい……)
 そう。
それこそ、自分を『家族』だと言ってくれた夏樹のように。
 たった数日間ではあったけれど、春人は無駄に緊張せず、ゆったりと燈向との日々を過ごせている事に気が付いた。
 それは多分、燈向の気遣いが成し得た結果なのだろう。
そして、恐らくだけれど、世間一般にそれを『愛』と呼ぶのではないだろうか。
 そこまで考えて、しかし春人は途端気恥ずかしくなって、誰に急かされている訳でも無いのに大慌てでスケッチブックを片付けて寝室に逃げ込んだ。

(うわ、うわうわうわ…………)
 まるで猫がベッドの下に逃げ込むみたいな滑らかさでベッドの中に潜り込んだ春人は、その細長い手足をきゅっと丸めて小さくなった。
 自分で考えて自分で恥ずかしくなっているなど滑稽極まりないが、自覚してしまったものは仕方がない。頬に当てた手が気持ちいいと思う程度には顔が熱い。なんてことだ。

「春ちゃん?」
 何してるの? と風呂上がりの燈向が、訝しそうに薄手の羽毛の上掛けを捲る。寝室の照明はまだ点けっぱなしで、春人の赤い顔はもう隠しようもない。
「………………」
「あの、あのあのあのっこれは別に何でもなくて……」
 春人の赤い顔を見て一瞬きょとんとした燈向だが、ぽいっと捲った上掛けを春人の足元に放ってしまうと、のそりとベッドに乗り上げた。
「理由は全然わかんないんだけど、春ちゃんが何か一人で可愛いことしてたのはなんとなく解った」
「わわわわわ……ちょ、ちょっとストップ…!ストップ!燈向さん…!」
 春人の腰辺りを膝で跨いで、燈向はニマニマと悪戯っ子の様な笑みを浮かべて迫って来る。
 燈向の手がパジャマ代わりのTシャツの脇を滑ると途端にゾワゾワとした感覚が春人の背を駆け抜けた。
「あっ、ちょっ、くっ……ふふっ、あははっ!!まっ…て!あははっ!!」
 燈向の指が明確な意思をもって春人の脇腹を擽ると、途端に春人は悶えて笑いだす。
 それが一分程続いて、春人の眦にほんのりと涙が浮かんだのを合図に、燈向の手が止まる。
「それで? 春ちゃんは何を一人で百面相してたんですか?」
 そう言いながら、燈向は春人の隣に寝転がり、足元に放った毛布を器用に捲り上げて二人の体をその下に隠した。
 片腕を伸ばしてサイドボードの上のリモコンで寝室の明かりを落とし、改めて体ごと横になっている春人に向き直る。
「……愛情って、こう言うものなんだな……って思っただけです…」
「詳しく」
「やです。 言いません。恥ずかしいから」
 明かりを落として室内が暗いせいか、ざっくりではあるけれど赤面していた理由を素直に口にした春人に、燈向は内心で驚きながらも、何でもない風を装って続きを促したが、照れ隠しかすっぽりと枕に顔を埋めてしまった春人にあっさりと拒否されてしまった。

「………………」
「……!!」
 ならばもう一度実力行使だろうかと燈向が片手を動かしかけたところで、それを察知した春人が咄嗟に燈向の手首を掴んで止めた。
 暫し無言の時間が流れる。けれどそれも長くはなく、気が付けばどちらともなく笑いだした。
 暗闇に慣れた目が、互いの姿を認識すれば自然と目が合う。
 燈向が春人へと腕を伸ばすのと同時に、春人がその腕の中へ身体を寄せれば、二人は自然と抱き合う形になって。
「燈向さん」
「うん?」
 燈向の腕の中で、春人がそっと呼ぶ。
 体温の低い身体に熱を移すように足を絡めて抱き込めば、ふ、と春人から小さく吐息が溢れた。
「……あったかい、ですね」
 正しい『ぬくもり』を知らないまま生きてきた春人のその言葉の裏側に、『しあわせ』と言う意味があることを燈向は気付いている。
 そしてそれをこうやって素直に口にする事が春人にとっては今、彼に出来る最大の愛情表現であることもまた、燈向はわかっている。
「オレも、あったかいよ」
 長い間ぽっかりと空いていた燈向の心の最後の隙間を埋める存在が、いまこの腕の中にあることがどんなに嬉しいことか、春人は解っていてくれているだろうか。

 それが今、彼に伝わっていなくとも、長い時間をかけてゆっくりと伝えて行くのも悪くないのだろう。燈向にはもう、『これから後の人』なんてないのだから。

「おやすみ、春ちゃん」
「おやすみなさい、燈向さん」
 このやり取りがずっとずっと続いて行くために……明日を必ず乗り越えて行こうと互いの胸に灯る決意と共に、二人はそっと目を閉じた。