「……ちょっと熱いね。やっぱ傷の所為かな? 薬…の前にご飯かな。食べれそう?」
あれから暫くして、燈向は名残惜しげに春人を離してベッドから出た。
時刻は正午を目前にした頃で、流石にそろそろ何か腹に入れたい時刻だったからだ。
燈向は春人の首筋にそっと手を当てて熱を測る。
いつもは温かく感じる燈向の手が、そういえば今はそれほどでもない。倦怠感はないが、正直なところ食欲はあまりない。
ただ、それは熱の所為というよりは胸がいっぱいで、と言った方が正しいだろう。
「少し…なら……」
春人は正直に答えた。
嘘を吐いたところで食事と言う行為が伴う以上ばれてしまうのだから、それなら正直に言ったほうが余計な心配をかけなくて済む。
「ん、オッケー。 じゃあ何か軽く作るから、春ちゃんはまだ休んでて」
そう言って燈向はあっさりとベッドから抜け出そうと上体を起こした。
隣に残る温もりが次第に名残になっていくのが切なくて、春人は無意識に燈向へと手を伸ばす。
春人の白い指先が、燈向のシャツの裾をつかむ。緩く指先が引っ掛かったようなそれに、けれど燈向はきちんと気がついてそうして嬉しそうに相貌を崩した。
「ふふ、春ちゃん甘えただねぇ……」
「……………」
無意識とは言え、弁明も出来ない状況に春人はただ黙りこむしか出来ない。
そんな春人の頭を燈向はそっと撫でる。そうしてゆっくりと上掛けを取ると、にこりと笑いながら春人の背と膝の裏に腕を差し込んだ。
「まっ……嘘っ…!」
「あははっ、春ちゃん軽いねぇ!」
待って、と言う前にベッドから春との身体が浮く。突然の浮遊感に咄嗟に燈向の首へしがみつくと、ふわりとシトラスの香りが鼻先をくすぐった。
「春ちゃん」
「…………み、ないで下さい」
燈向に横抱きにされたせいで、顔の距離がいっそう近くなる。
赤くなった顔を見られたくなくて、春人は燈向の首へしがみつく。そうすると燈向は春人の方へ首を傾けて来て、春人の柔らかな髪へ頬をよせた。
ちゅ、とリップ音を立てると春人の肩がぴくりと跳ねた。
あまりに初々しい反応に頬が緩む。思わず小さく笑ってしまったのだが、春人との距離が近いので当然それは彼の耳にも届いていて。
春人なりの抗議のつもりなのだろう、彼は燈向にしがみつく腕にぎゅう、と力を込めた。
しかし春人の力はあまりにも細やかで、燈向には何の害もない。
抗議になってないよ、とは言わず燈向は黙って春人をリビングまで連れて行く。そうしてリビングのソファに春人を下ろすと、その柔らかな髪をひと撫でして燈向はキッチンの方へ向かったのだった。
小分けで冷凍しておいた白米を二つ、レンジに放り込んで解凍する。
その間に鍋に水を張って湯を沸かす。冷蔵庫から卵を取り出して溶きほぐしておいて、解凍の終わった白米を笊にあけて軽く洗った。
それを丁度沸騰した鍋に入れて、市販の出汁と塩で味を調えたら仕上げに溶き卵を回し入れて火が通れば完成だ。
最後に野菜室に残っていた葱を刻んで散らして、軽く混ぜて椀によそう。
それを二人分用意して盆に乗せてキッチンを出ようとすると、いつからそうしていたのだろうか、こちらをじっと見つめている春人と目が合った。
「ずっと見てたの? 照れちゃうな~」
「……皇さんが、楽しそうにお料理してるので」
つい、と言いながら春人は燈向から目を逸らす。少し照れているのか、指先を無意味に絡めたり解いたりしているのが可愛いと思う。
「春ちゃんはあんまり料理しない?」
「しなくはない…ですけど………楽しいと思ってやった事はないかもしれないです」
熱いから気を付けてね、と言いつつ燈向は卵粥の椀を手渡す。側のローテーブルに常温の水が入ったグラスを置いて、自分はラグの上に腰を下ろした。
「あ~……まぁ独り暮らしだと食べてくれる人もいないから、そう言う感動が無いとあんまり料理って楽しくないかもね。 オレは店でおつまみとか出すから、それで『美味しい』って言って貰えると結構嬉しくて凝っちゃうタイプ」
ふぅふぅ、とスプーンに小さく掬った粥を冷ましながら口に運ぶ春人を見つつ燈向は言う。それ以外に恐らく春人が料理に、ひいては食事にあまり興味を抱いていないことを燈向は解っているが、それは今口にすることではないと解っているので何も言わなかった。
「あ。 お、美味しい…です……」
「んっ…!ははっ……!! ゴメン。言わせちゃった」
春人が思い出した様に手をとめて『美味しい』と言うので、話の流れ的にまるで言わせてしまった様で、そんな風に話を受け取られた事も、ちょっとテンポの遅い感想も何もかもが面白くて、燈向はつい笑ってしまった。
別に、春人が『美味しい』と言わなくてもちゃんと食べてくれれば燈向としてはそれで良い。
食べることに対して消極的な人が、何も言わず自分の作った食事を口にしていると言う時点で、相当の評価だと思っているのだから。けれど。
「今度は一緒にご飯作ろうね。 それで、一緒に食べよ?」
いつか。作ることも食べることも『楽しい』と思えるようになって、そうして当たり前の様に自分と食事を共にする日が来れば良いと、燈向は思う。
