祖母の邸から五分と少しくらい歩いた先にある公園の入り口に燈向は立っていた。
そこは中々大きな公園で、広いグラウンドとその一角に子供向けの遊具が数種類設置してあり、ジョギングや散歩の為の散策コースが複数あるような、そんな規模の公園だった。
(こんなところあったんだ……)
祖母の邸に来ることは何度もあったが、そう言えば邸の外に出たことはなかったな……と燈向は思い返す。
流石にこの公園程ではないが、邸の庭も子供が遊ぶに不便ない広さはあったし、言えば薬師神家の使用人たちが遊びに付き合ってくれていたので、外に出る必要がなかったのだ。
ジャリ……と爪先で踏みしめた砂利が鳴る。夕方にはまだ少し早い時間だからだろうか、同じくらいの歳の子供たちが遊具やグラウンドで楽しそうにはしゃぐ声が聞こえてくる。
その声につられるように、燈向は足を向けた。数人のグループがいくつかあって、それぞれが思い思いに遊んでいる。
どこかに混ぜてもらおうか……そんなことを考えていたその時、ふと視界の端に空色が飛び込んできた。
「……………………」
それはグラウンドの端にしゃがんだまま、じっと地面を見つめていて。
何をしているのだろう、と不思議に思った燈向は、その好奇心に誘われるままその子のもとへ歩を進めたのだった。
「ねぇ、なにしてるの?」
躊躇いもなく声をかけると、その子は弾かれたように顔をあげる。その拍子に、その子の手元からパキン、と小さな音がした。
その子と目があったその瞬間、燈向はまるで雷に撃たれたような衝撃を受ける。
白い肌に春の青空のような髪と、祖母の温室でみた花のような紫の瞳。
綺麗なものだけで形つくられたみたいな子供は、誰がどう見ても人目を引くはずなのに、どうしてこんな片隅でひとりで蹲っているのかわからない。
ふと見下ろしたその子の手には細い枝が握られていて、足元の地面にはたくさんの絵が描き散らばっている。
花、鳥……手をつないでいる男の子と女の子は遊具で遊ぶ彼らを描いたのだろうか。子供の目で見てもそれらは『上手』と称賛に値するもので、だったらやっぱりどうしてこの子はここでひとりで居るのかと、燈向は心から不思議に思った。
「ひとり?」
こくり、と目の前の子供は頷く。
燈向は一度だけグラウンドと遊具の方を見遣ってから、その子に手を差し伸べた。
「じゃあ、一緒に遊ぼう!」
目の前の子供の目が驚きに見開かれる。
燈向を見上げたせいか、陽の光を吸い込んで紫色の瞳がキラキラと輝いたような……そんな錯覚さえ覚えるほど綺麗な光景だった。
「…………うん」
ふわり、としか言いようのない柔らかな笑顔を向けられて、燈向の全身にまたしても雷が落ちる。
これは、この、ドキドキと心臓がうるさくなる衝撃はなんなのだろう。
子供には理解し得ない感覚を抱えつつ、高揚したまま燈向はその子が手を取ってくれるのを待つ。
差し伸べた手に重ねられた手は悲しいくらい冷たくて、燈向はその手をぎゅっと握った。
花のようなその子を連れて、燈向は広い公園を隅々まで遊び回った。
始めに握った時に冷たかった手は、すっかりあたたかくなっている。
時間も忘れて陽が傾くまで遊び回ったけれど、どうしても別れの時はやってくるもので。
「燈向さま───!」
遠くから、聞き覚えのある使用人の声が聞こえて来てハッとした。
──もう、帰らなきゃ。
そう思ってその子の手を離す。
するとその子は一瞬寂しそうな顔をして、それから何かを言いかけるように口を開きかけて──止めた。
「…………………」
その子が何を言いたかったのか。それくらい燈向にも容易にわかる。
けれど燈向も目の前のこの子もまだ子供で、陽が暮れれば親の元に帰らなければならないのだ。
「……………。 ね、手だして?」
本当は、燈向だってまだこの子と一緒にいたい。
だってこの子は、燈向が差し出した手を取って、初めて嬉しそうに笑ってくれた子なのだ。
義務でも同情でもなく、純粋に燈向の思いを受け取って微笑んでくれた子。本当は、ずっとずっとこの子の手をとったまま、この子の笑顔をみていたい。
だけどそれは叶わないことは解っている。それなら、せめて。
「『ひみつ基地のカギ』だよ。 今度つれていってあげるから、約束のかわりに持ってて」
再会の誓いとして、燈向はポケットに入れっぱなしになっていた温室の鍵をその子に手渡した。
燈向さま──! 探す声が近付いている。もう、行かなくては。
「じゃあ、またね…!」
燈向は駆けだす。背中から燈向を引き留める声が聞こえたけれど、振り返っては別れが辛くなるだけだと解っていたから振り返らなかった。
それからと言うものの、燈向は次第に両親とコミュニケーションすら取ることすらも諦め、両親もまた燈向をますます『いないもの』として扱うようになった。
ただ、兄や一部の使用人は両親の目の届かないところで燈向に関わり続けてくれていたので、その点は燈向にとって救いであり、燈向が真っ当に成長出来た所以だと自覚している。
鍵の事については、あの後祖母にすべてを話して謝った。
「大切なものを勝手に渡してしまってごめんなさい」 そう謝る燈向に祖母は、『いいのよ』と優しく笑ってこう言った。
『貴方が大切にしたいと思ったお友だちなら、いつか私にも合わせてね。 そして、三人で今日出来なかったお茶会をしましょうね』
と。けれど燈向がその約束を果たす前に、彼女は突然の病に倒れこの世を去ってしまったけれど……。
(随分と時間が掛かってしまったけれど、許してくれますか? おばあ様……)
燈向は遠い昔を思い出しながら、心のなかで親愛なる祖母へ語りかける。
思い出すのは彼女の穏やかな微笑み。生きていたのならきっと喜んで迎えてくれただろう……。
──だから。
(もう二度と、手放さない。何があっても)
燈向は掌の中の携帯に目を落とす。
『調査資料添付 かなり胸糞悪い内容だから、腹を括って開きたまえよ。』
と一言メッセージが添えられたそれをタップした。
