「でね~、その子たちマジでお店のお客さんの料金ぜーーーんぶ払っちゃったの! すごくな~い?」
「へぇ~、それは凄いねぇ。 やっぱ配信者って儲かるのかな?」
「わっかんない! でもその子たちは結構有名ぽくて、お店の女の子もサイン貰ってた。アタシはネイルとかの美容系か、ペットしか観ないからよく解んなかったけど」
真奈(まな)ちゃん、ネイル上手いもんね。 今日のも新作でしょ?似合ってるよ」
「流石ヒナ~! よくみてる~!」
 あの雨の夜から十日程過ぎた金曜日。二十時過ぎの店内は、僅かに賑やかだった。
 燈向がホスト時代に付き合いのあった女の子と、常連のサラリーマンが二組。
 知り合いの女の子はカウンター席で燈向と向かい合い、先日店であった出来事を楽しそうに話してくれた。
 なんでも、最近流行りの動画配信者とやらが企画で彼女のお店を訪れ、その時店内に居た見ず知らずの客の料金数百万を全額肩代わりしたとか。なんとも気前の良い話だ。

 しかしまぁ、ここはオフィス街の隠れ家みたいな店なのでそう言う出来事には無縁だろう。
 そんなことよりも、だ。
(もうそろそろかな……?)
 まもなく時刻は二十一時。今日は金曜日だけど、春人が店に来ることになっている。

 あの日から燈向は毎日欠かさず春人にメッセージを送った。
手始めは『おはよう』と『おやすみ』から。
次第に写真やスタンプなんかを送って、少しずつやり取りを増やしていった。春人もはじめは同じように返事を返すだけで、特にリアクションが無かったのだが、最近は彼の方からメッセージを送ってくれることも増えてきた。
 そして今日。のんびりと開店の準備を始めた頃に、春人から『今日お店に行って良いですか?』とメッセージが届いた。首を傾げる可愛い猫のスタンプつきで。
 否やなどない燈向はすぐに『大丈夫だよ』と返し、カウンターの端の席に【reserved(予約席)】の札を置いたのだ。

「……………最近のヒナ、楽しそう」
「へっ? なに?いきなり……」
「ん~? 恋は偉大だなぁ、と言う話」
「!?」
 ガチャン!! 彼女の口から出た『恋』と言う言葉に、燈向は思わず手にしていたグラスを取り落としそうになった。持ち前の反射神経で落下は免れたものの、小さな店内に無粋な物音はよく響いた。
 春人の来店時間を気にしていた事は素直に認めるが、そんなにも態度に出ていただろうか。
 珍しく動揺する燈向が面白かったのか、目の前の彼女はカウンターに突っ伏して肩を震わせている。
どうやら笑い声さえ上がらないほどウケたらしい。
「真奈ちゃん……」
 勘弁してよぉ… と燈向が思わず情けない声をあげると、彼女はまたしても何も言わず控えめにテーブルを叩いた。ばかうけである。
「っは~~~~~~! 面白かった!」
 ひとしきり笑って満足したのだろう。彼女は目許を指先で拭いながら突っ伏していた上体を起こした。
「そんなに態度に出てる?」
「ん~?」
 真奈、と呼ぶ彼女とはホスト時代からの、やましい意味抜きでそこそこ長い付き合いだ。
 燈向がホストをやめて自分の店を構えてからずっとなので、かれこれ四年ほどだろうか。彼女は同伴などがなければ出勤前に店にやって来て、小一時間ほど燈向とお喋りをして出勤して行く。
 『友達』と言うには浅く、顔見知りと言うにはすこし深い。不思議な関係だが、互いにその距離感を気に入っている。
 そんな彼女をして『恋』と言わしめるほどの変わり身を自分はしてしまっていただろうか。
「これはね、『女の勘』ってヤツ。 だから、ヒナのことあんまり知らない人は気付かないと思うよ」
 くふり、と彼女は楽しそうに目を細める。……やれやれ、『女の勘』とやらは斯くも侮りがたい。

 燈向は小さくため息をついて、降参とばかりに両手を胸のあたりに上げる。
「参った。 ……ナイショにしてて?」
「ふふっ、い~よっ」
 彼女は差し出された小さな秘密を笑顔で受けとる。相手が誰かは知られることが無いだろうけど、かといって喧伝(けんでん)されるのも困る。
 しばらくはネタにされるかも知れないけれど、彼女一人ならばどうと言うことは無いだろう。
 そんな事を考えていると、小さな鞄から携帯を取り出した彼女が「あっ」と声を上げた。
「どうしたの?」
「これ~! さっき言ってた子たち!配信やってる~」
 店を出なければいけない時間にはまだ少し早いが、なにか不味い連絡でもあったのかと訊ねれば、彼女は燈向にスマホを見せてくれた。

 そこには見知らぬ青年たちが夜の街を歩く姿が放送されている…が。

(あれ……?ここって………)
 にわかに覚えのある建物が時々画面に映っている気がして、燈向は無意識に顔を近付けた。
白久地(しろくじ)町って……ココだよね?」
「だねぇ……」
「え~! 近所で生配信してるってこと~!?マジすご~」
 噂をすれば…… とはよく言ったものだと感心しながら、ライブ配信らしい画面に視線を落としつづける。
 しかしここはビジネス街なので飲み屋は少ない。配信を観るに、彼らはどうやら出演してくれる手頃な人間を捕まえたら歓楽街まで移動するようだ。そんな事を話している。
「見にいかなくていいの?」
「行かな~い。 そんなにキョーミないもん」
 きっと彼女はそう言うだろうと思いつつ訊ねれば、やはり思った通りの答えが返ってきて少し笑う。
 こんなに近所で最近流行りの配信者とやらが生放送を行っているとは思いもしなかったが、生憎とこの店には関係ない話だ。
そんな事を思いながら、今夜春人に振る舞うカクテルは何にしようか、と考え始めたその時。
「う~っわ! ヒナみてよ凄い美人~!」
 トントントン!と彼女がテーブルを小さく叩いて燈向を呼ぶ。
 何事、と呼ばれるままに燈向は彼女の携帯を覗き込んだ。そこに。
「!!」
 見知った青い髪が、藤色の眼が、困惑をありありと体現しながら小さな画面に映っている。


──第一村人発見~!w
──めっちゃ美人!!
──キレイ~!
──これ男?女?
──うらやま~~~私も一緒に飲みたい~~~!

 配信画面の下に表示されているコメントが、物凄い勢いで流れてゆく。
 好奇心、としか言い様のないそれに燈向は思い切り顔をしかめた。

『おにー…さん? だよねっ?お仕事お疲れ様でぇ~っす!』
『突然ですけどこれから俺らと飲み行きませんか!?奢るんで!!』
──なんだ男か
──男!?!?!?
──これは負けたわ(女)
──めっちゃ戸惑ってんの可愛くね?w

 画面の向で配信者とやらが喋るたび、どんどんとコメントの勢いが増す。
 それと反比例するように、画面の向こうの彼は──春人は困惑と、僅かに恐怖を滲ませて身を固くしていて。

『おにーさん、おにーさん! 俺たち○○ってグループなんだけど、知ってる?』
『………………』
『知らないかぁ~~! 俺らもまだまだだわ!!』
──○○知らないってマ?
──草
──草
──まだまだだね!w
『じゃあまあ、以後お見知りおきくださいってことで飲み行きましょ~!』
『や、あのっ…いい、です……行かない…』
『え~~~~~!? 何で!??』
──断られてて草
──マジ!?俺だったら絶対いくけど!?
──てかお兄さん引いてるくね?
──これは草
──草

 春人はいつもこの先にあるゲーム会社に打ち合わせで顔を出す時にしか店に来ない。
 なので彼が今どの辺りに居るのかは容易に特定出来るが、客を放り出して行くわけには……。
 このまま彼らが春人の拒否を素直に受け入れて引き下がってくれることを願いつつ、燈向は配信を観る。

が。

『い~じゃ~ん!! 行こ!?お金なら俺ら全部出すから!心配ないから!』
『違っ……そうじゃなくて…やめてっ』
『会社で自慢出来るよ? 俺らと飲んだって』
『結構ですからっ……撮さないで…!』
『何で? おにーさんキレイな顔してんだからいーでしょ?ほら、この配信いま三万人観てるの!アピってこ?』
──そーだ!そーだ!顔見せろーーーー!
──マジ美人もっと撮して
──嫌がってんじゃんやめてあげなよ
──全力で拒否られてて草なんだがw

 燈向の願い虚しく、彼らは嫌がる態度を見せる春人に対して余計に執着し始めた。
勢いよく流れいるコメント欄も囃し立てる者もいれば、冷静に彼らを咎める者や、完全に俯瞰で楽しんでいる者と様々で、異様な雰囲気を醸している。

「…………っ、真奈ちゃんごめん。 ちょっとお店空ける」
「えっ!? ちょっ、ヒナ!!?」
 我慢の限界に到達した燈向は、彼女に一言そう告げてバーカウンターから駆け出る。
 いま店にいるのは常連ばかりだし、春人を連れて戻る十分少々の間に店のほうで“何か”が起こるとは思わない。
「春人っ……」
 乱暴に開いたドアベルがガランガラン!とけたたましく鳴るのを背中で聞きながら、燈向は全力で駆け出した。