寧音ちゃんは用事があるから部活を休むと言って、そのまま帰ってしまった。
 部室へ向かうと、沢田くんがひとりで熱心に勉強している姿があった。
 わたしが来たことに気づいたようで、沢田くんはピタリと手を止める。

 「沢田くん、来るの早いね。勉強してるの?」

 「……まぁ」

 「もうすぐテストだから勉強してるの?」

 「いや、違う」

 沢田くんはそう言って、顔を下に向けてしまう。
 じゃあどうしてそんなに勉強しているのだろう、と疑問になった。

 「……わたし、前に本音を言うことができないって言ったの覚えてる? そのとき沢田くんも共感してくれてた……よね」

 「……うん」

 「やっぱり、沢田くんも過去に何かあったの? わたしが力になれるかは分からないけど、話聞くよ」

 「大丈夫、東風さんには関係ないから。心配してくれてどうも」

 そう言って、沢田くんはその場を立ち去ろうとした。
 そのとき、沢田くんが手に持っていたノートが何冊か落ちてしまう。
 わたしは一冊のノートを拾い上げると、たまたま開いてしまったページに衝撃的なことが書かれていた。

 「“ガリ勉”、“うざい”、“消えろ”……?」

 「ちょ、勝手に読むな!」

 沢田くんは怒鳴って、わたしからノートを奪い取る。
 一瞬しか見えなかったけれど、他にもいろいろな悪口が書いてあった。
 でも明らかに、沢田くんの綺麗な字じゃない。それどころか全てバラバラだった。
 やっぱりこれは、沢田くんが書いたわけじゃないんだ。

 「ごめんね、勝手に見ちゃって」

 「いや。俺こそ、怒鳴っちゃって悪い」

 「いじめ、られてるの?」

 「……別に、東風さんには関係ないだろ」

 「そうだけど、沢田くんはいつも我慢してたの? いつから?」

 わたしが質問攻めをすると、沢田くんは諦めたようにため息を吐いて、話し出した。

 「去年、俺期末で一位取ったでしょ。そのときから。納得いかない奴らが多いみたい」

 「……沢田くん、どうして黙ってるの? わたしたちだけじゃなく、親御さんにも話さないの?」

 「話しても無駄だから。……俺が毎日勉強してるのは、親のせいなんだ。いい大学に行って、父さんと同じように医者になってほしいらしい。だから俺はこうやって勉強を続けるしかない」

 沢田くんが熱心に勉強している理由は、親に言われ続けているからだったんだ。
 疑問になっていたことが、少しずつ分かるようになってきた。

 「俺は医者になりたいとは思わないけど、やるしかない。……前までは、そう思ってた。でも小説研究部に藤崎が誘ってくれてから、変わったんだ」

 「そう、なの?」

 「そう。やりたいことが明確に分かった、って感じ。俺、本が好き。同じくらい、物語を書くことも好き。小説家っていいなって思い始めてきたんだ」

 沢田くんは、小説研究部に入ってから自分のなかにある考えが変わったんだ。
 わたしだけじゃなかった。この部活がきっかけで、自分に自信を持てるようになった人。

 「俺、小説家を目指そうと思う。もちろん医者になってほしいっていう親の気持ちも分かるから、医者の道には進む。でも趣味として小説家になりたい」

 「……素敵な夢だと思う。わたし、沢田くんのこと応援する」

 「このことを話したのは、東風さんが初めてなんだ。本当にありがとう。気持ちを聞いてくれて」

 「ううん、わたしは何もしてないよ。わたしたちを変えてくれたのはーー藤崎くんだよ」

 藤崎くんは、わたしたちの救世主だ。
 ーー大切な人を失うのが怖いから、必要以上に人と関わらない。
 前まではそう思っていたけれど、今はそんなこと全く思っていない。それは、藤崎くんが気づかせてくれた。
 みんなで何かをやる楽しさを、この部活を通して知った。
 わたしたちは、藤崎くんにすごく救われているんだ。

 「そうだな。藤崎のおかげ」

 「うん。すごいね、藤崎くん」

 「本当にな」

 そんなことを話していると、ガラガラッと部室のドアが開いた。
 ちょうど話していた、藤崎くんだった。

 「あれ! 先輩たち早いですね!」

 「別に普通だよ。今、藤崎のこと話してたとこ」

 「えぇ、何話してたんですかー?」

 藤崎くんがそう言うと、わたしたちは顔を見合わせる。

 「んー、秘密。悪口かもな」

 「悪口!? 東風先輩、そうなんですか!?」

 「さぁ、どうかなぁ」

 「えー!」

 わたしと沢田くんは、クスクスと笑い出す。それに続いて藤崎くんもおかしそうに笑った。
 こんな瞬間が一番、楽しいと思える。わたしは、初めて青春というものを感じられた。