「よろしくお願いします」

全てはこのよそよそしいチャットから始まった。

まさか最初のデートで、真夏にスキーウェアを着た男と、ジーンズ姿で結婚式場に来ることになるとは思いもよらなかった。

このやばい男との出会いはマッチングアプリへの好奇心から始まった。

大学2年の夏休み、サークルに入りそびれた私は、友達が少なかった。唯一の友達はアメリカに短期留学へ行き、友達のいない夏休みの過ごし方に悩んでいた。

そんな時に、バイト先の先輩の恋人との出会いを聞き「マッチングアプリ」への偏見が解けて、

いつしか、それに対する不信感は好奇心へと変化していた。

もし、予定が埋まるのなら何でも良い。

彼氏じゃなくったって。

夏休みの暇に乗じて、知らない人とデートの一つや二つこなしてやろう。

そんな気持ちでマッチングアプリを始めた。


名前は下の名前の漢字の訓読みの「アイ」にした。


画面に映し出される写真と簡単なプロフィールに少し苦い気持ちになる。

それはまるで人ではなくカードを選んでいるようだった。



その先に人がいて、私の写真も同じように誰かのスマホの中でカードになっていると考えると、

少し気分が悪くなる。

しかし、知らない人と連絡をとってたわいもない話をしているうちに、罪悪感や不快感は消えていく。

ためらいなく写真を選別できるようになった頃、1人の男とマッチした。

写真は醤油顔の普通の人そうな見た目で顔は悪くない、歳は少し上だけれど、三十代後半の落ち着いた感じに少しだけ憧れがあった。一度だけ会うにはいいかも。趣味はスノボだし、危なそうな感じはしない。そして、職業は経営者だった。

ひとことには「真剣な出会いを探しています」と書いてあった。



「では、分かりやすい格好で行きます」

そんなこんなで、三十代後半の自称経営者と会うことになった。

午前11時、待ち合わせ場所は駅前のチェーン店のカフェ。待ち合わせ時間に着くと、蛍光ピンクのコットンカーディガンを着て白いコットンのニット帽を被った人がいた。胸元にはサングラスがぶら下がっている。
 
「あのー」
「あ!」

「アイさんですか?」
「はい、たーくんさん…?」

服装に反して、落ち着いた雰囲気の『たーくんさん』

「たーくんでお願いします」
「あ、いや、たーくんさんでいきます」

会っていきなり距離を詰められるのは怖かった。

「分かりました」

少し残念そうにする『たーくんさん』
申し上げないが、知らない人にチャットと同じように接するのは難しかった。

***

コーヒーを頼むと、『たーくんさん』はパフェを頼んだ。

「今日この後どうする?」

正直、今日は会って帰ろうと思っていたから、この後があるなんて思いもしなかった。

「この後ですか?」

私が面食らっていると、『たーくんさん』は言った。

「行きたいところあるんだよね」

「どこですか?」

「いや、もし時間があったらで良いんだけど」

この前置きに、嫌な予感が頭をよぎる。

「もし、17時以降から20時くらいまでで、時間が空いてたらたらちょっと付き合って欲しいところがあるんだけど」

「どこ行くんですか?」

私があまりに困惑した顔をしていたのか『たーくんさん』は焦って早口になった。

「いや本当に変なところじゃないよ、寧ろ楽しい?いや、」

「変なところじゃないんですね」

苦笑いで聞く。

「違うよ!そういうんじゃなくて、ディナー?みたいな」

なんだ!ディナー予約してくれてるんだ。さすが『経営者』いよっ青年実業家!と心の中の私が合いの手を入れる。

「なら空いてます。」

そう言ってにっこり笑うと、『たーくんさん』は無表情で頷いて、テーブルに置いてあるお冷をガブガブと飲んだ。

***

その前に行きたいところがあると連れて行かれたのは、某スポーツ用品店。ぽかんとする私をほったらかして、どんどん歩いていく『たーくんさん』。

いくら私を置いて先に行っても蛍光ピンクのカーディガンとコットンの白いニット帽のおかげで、見失うことは無さそうだった。

彼はスノーボードコーナーに向かっていた。

「確か、スノボ好きって言ってましたよね」
「覚えてくれてたんだ」

「次のシーズンの為に、見とかないとね」
「はあ、そうなんですか」

「これとかどうかな?」

赤の紙に黄色の文字で『セール品!』と書かれたウエアをワクワクした顔で見ている。

うん、あの…知らんがな。

1人で買いにこいよ。セールに食いつきすぎやろ。お前が着てるこの蛍光ピンクのカーディガンもセールで買ったんやろなとか思ってまうやん。多分全身そうなんやろな!知らんけど。いや、別にいいねんけど、節約したらいいねんけどさ、好きにしたらいいねんけど!それ初対面の人の目の前でやることか?

と関西人なもう1人の私が心の中で強めのツッコミをしながら、

「いいと思います!」

と笑顔で言ってしまう自分にも呆れる。

そして取ってつけたように

「君も何かいる?」

と聞かれても

「いや、大丈夫です」

と苦笑いするしかなかった。

***

『たーくんさん』がレジから商品を持って私のところへ来た。

上下セットを買ったからか、白い大きな袋を持つ姿は薄目で見たら南国サンタだった。

普通の人ならこの時点で何か理由をつけて帰るのかもしれない。けれど、私は夏休みのエピソードに飢えていた。

例えこれから数時間、多少恥ずかしい思いをしたとしてもいい。何より、この薄目南国サンタが予約したディナーがどんなのかが1番気になった。

「じゃあ次はここに行こう!」

と渡されたのは、一枚のチケット。

そこに書かれていたのは

『エアロビ無料体験‼︎』

いや、なんで?!何でお母さんの休日に付き合うみたいになってんの。

蛍光ピンクのカーディガン着てるせい?
何なんこの人。これはディナーも怪しいぞ。ディナー的な雰囲気出して、ディナーとは言ってなかったもん。これは何か理由つけて帰った方が良さそう。

と思いながらも、自称経営者の薄目南国サンタがエアロビ体験をしている物凄く想像できない絵面を見たくなってしまった。

***

意外とエアロビは楽しかった。
楽しかったけれど、もはやこれはデートではなかった。

事前に知らされていなかった私は、当然ジム着を持っていなかった。ジムに入場する時に有料ながらも借りることができると知ってホッとした。
南国サンタは、ジム着を借りなかった。自分だけ持ってきたのだと思った。

ロッカールームで別れて再び合流した時、私は彼が着替えていないことに気づいた。

持ってきてないし借りもしないんだ!

その瞬間、もう薄目南国サンタにどう思われてもいいと思った。南国サンタに構わず普通に楽しんでしまった。

暇な夏休みの予定がエアロビで埋まってしまいそうだ。

エアロビサンタの様子を見ることも忘れていた。もう、このまま南国サンタの存在ごと忘れて家に帰りたくなっていた。

急いで借りたジム着から着替えて、ロッカールームから出る時、サンタが見当たらないことを心の中で願いっていた。しかし、私はここで想像を超える出来事に唖然とした。

そこに、南国サンタはいなかった。

さっさとこのまま消えてしまおうと、受付の前を通り過ぎようとしたその時だった。

「ごめん!遅れた」

背後から聞こえた南国サンタの声を無視して、歩こうとする私よりも彼の動きは素早かった。

残念さを堪えて私は振り返った。

そこに蛍光ピンクのカーディガンは見当たらなかった。

冬仕様になっていた。

南国サンタは、さっき買ったスノーボードのウエアを着ていた。

そして、ディナーの時間帯になっていた。

***

厚着の南国サンタが「ディナーみたいなやつ」と言っていたものを、私はどんな想像をしていたのだろう。

「ディナーみたいなの」という曖昧なワード。
そして、事前予告なしのエアロビ無料体験。

これは、想定外の何かが待ち受けているに違いない。
逆の意味でワクワクしながらも、家へ帰る理由を探していた。


***

どんな状況も受け入れて、後で笑い飛ばす覚悟はできていた。

けれどここまで、彼が守銭奴だとは思いもしなかった。

目の前に見えるのは結婚式場。

謎の急展開にギョッとする私に、厚着の南国サンタはこう言った。

「無料のディナー食べに行こう」

誰がどう見ても今の私の顔には呆然という文字が浮かんでしまっているだろう。

「無料だからって、結婚の予定もないのにこんなところ来て大丈夫なんですか?」

「大丈夫、いつどのタイミングでカップルが別れるかなんて誰にも予測できないから。昨日まで結婚するって言って式まであげたカップルが突然別れるなんてこともあるからね」

いやいや、そんなこと言うてあんさん、そもそもわてら付き合ってないでっしゃろ。

と心の中の関西人の訛りがどんどん強くなってしまう。

「無料って言っても、色んなアンケートに答えたり契約とかしたりしないといけないんじゃないんですか?」

「そうだよ。だからさ、結婚予定のカップルのふりを少しの間するだけでいいんだよ」

「今日会ったばっかりなのに?」

「いつ結婚式あげたくなるかなんて、分からないもんだよ」

いや、大人としてどうよそれ。今まさにその発言で、結婚に必要な責任とか信頼関係とか大事なもの失ってますけど。

本格的に呆れて帰るチャンスを得たと思った、厚着の元南国サンタは言った。

「実は事情があって」

と言いはじめた。

ことの発端はこうだった。
仕事が忙しくて恋愛なんてついぞしていない様子の息子を勝手に心配した母親を安心させるために、彼女がいて結婚も考えていると嘘をついたが信じてもらえず、その証拠に今度式場の見学に行くと言ってしまったらしい。

そんな嘘に加担するなんて嫌だ。

***

「こちらは、フォアグラのポアレでございます」

結局、妙にカジュアルな格好でキラキラした結婚式場にくる事になってしまった。私の服装もそぐわないが、南国サンタ浮き具合は半端じゃなかった。ウェイターの人からの視線が痛い。

流石にスノボのウエアは暑いのか、袖を捲っている。
春や秋のキャンプならまだしも、夏の結婚式場にそぐわないにも程がある。

その時、彼の捲っていた袖がゆっくりとズレて、料理につきそうになった。

「南国サンっ」

危ない。咄嗟に、心の中のあだ名が口から出てしまった。この人名前何だったっけ?
言い直そうにも、名前が思い出せない。そもそも、こんな所まで来ているのに、ちゃんと自己紹介もしていない事に気がついた。

「な、なん、南国産かなぁー、この野菜」
誤魔化すのに必死になって、変な事を言ってしまった。
南国サンタも私の謎の発言に困惑している。

「ここの野菜は国産だって」

「あはは、そうなんですね」

流石にここで変なことを言って、私たちの関係性が疑われても困る。ふぅ、とため息をつきたくなったのを堪えた時、あれ?何でこんなに私我慢してるんだ?と思いだした。

この状況になって初めて私は正気を取り戻した。

これはデートなんかじゃない。暇だからってこんなのに付き合う義理ないし、初対面で事前予告なしのエアロビ無料体験のデートも意味わからないし、よく考えたらスポーツ用品店に行った時になぜジム着を買わずにスノボのウエアを買ったのかも理解に苦しむし、挙げ句の果てには結婚式場でカップルのふりをしてくれだぁ?はぁ?


積もりに積もったイライラが急激に爆発した私は、椅子から立ち上がった。

「あの、私やっぱり変だと思います」

「どうしたの急に」

「こんなの可笑しいですよ。ちゃんと知りもしない人と結婚式場だなんて。」

「そんなこと言わないでさ、ほら、座ってよ。あと少しだから」

立ち上がった私を見て、ウェイターさんがやってきた。

「お客様!どうされましたか?」
「帰ります」
「ちょっと待って、メインもまだだし」

私が突然帰ると言い出して、焦る元南国サンタ。

「結婚相手探す前に、倫理観どうにかした方がいいですよ。」



「あと、服装も」

颯爽と帰る私。唖然とする元南国サンタ。

マッチングアプリなんてもうごめんだ。
知らない人に会うハードルが下がった事で、本当ならこんな事に向いてない私みたいな人間が危うく何かに騙される可能性だってあるんだから。

しかし、意外な収穫があった。
夏休みの暇はエアロビという新しい選択肢ができた。少しだけ埋まりそうだ。