中学二年の時だった。
彼、竹内(たけうち)くんに告白されて付き合い始めた頃。
『やっぱ朱音の父ちゃんって小比類沢マイクなんだ』
『うん』
めずらしい名字だから、みんななんとなく気づいていたんだと思う。
私もその頃までは父のことをおもしろいって思っていた。
だけど……。
『マジかー。オワコンじゃん』
『え……?』
『超ダセー』
そんな風に言われるなんて全く想像してなかったから、本当にびっくりしたし……ショックだった。
さらに運悪く、っていうか自分の部屋だったから……。
『なにこのノート。朱音の?』
彼が手にしていたのは、机の上に置いてあったノートだった。
『あ、それはあんまり見ちゃダ——』
『げー! なんだよこれー。〝パンツ〟〝ゲップ〟〝鼻血〟? 変な絵』
私がマンガを描き始めたのも、フリップ芸でずっと絵を描いていた父の影響だった。
中二の頃はちょうどゴロゴロコミックでデビューが決まった時期で、ノートはマンガの練習とネタ帳を兼ねていた。
『すげー下品。ひくわ〜』
その日まで、私のことを『可愛い』って言っていたはずの竹内くんの態度が一変した。



「次の日に学校に行ったら、クラス中が父のこともノートのことも知ってた。それからはもう、最悪」
当時のことは本当に思い出したくない。
「学校中の知らない先輩や後輩にまで『ぷるるん!』って言われて、ノートに下品な言葉を書いてるって噂も広まって。学校中から嘲笑の的にされたの」
「ひでえ」
「それまで〝可愛い〟って言われてた分だけ、元々嫌われてたみたいで」
卒業するまでずっとそれが続いた。
「だから高校にはわけを話して、母の方の名字で通わせてもらってるの」
もちろん、書類なんかは小比類沢になっている。
「だから! 高校では絶対に小比類沢マイクの娘だってことも、ギャグ漫画家だってことも秘密にするのが私が平穏に過ごすための使命なの!」
「使命ってそういう意味か」
そうやって秘密を守っていたら、どこからか漏れた情報で〝親が芸能人〟〝母が華道の家元〟なんて尾ひれがつき始めた。親が芸能人は嘘ではないけれど、母は華道の家元ではなくお花の教室の先生だ。
「ふーん。そっかぁ」
もうあんな思いはしたくないから、お笑い芸人だけは好きにならないって決めてる。
「でも、もうバラしても良くない?」
「は?」
「だってその話って、どう考えてもマイク師匠のギャグを人を傷つけるために使った方が悪いだけじゃん」
真山は私の顔を見て言った。
「でも、みんなの中で〝姫〟になってるから。また陰では嫌われてるでしょ。ちょっとでも隙を見せたらまた転落人生」
「なんか本末転倒ってやつ」
彼がボソッとこぼした。
「いじめられないように仮面かぶってたら友だちができないって、なんかおかしくない?」
……正論。
「でも、バラしたらみんなに嫌われて——」
「俺がいるじゃん」
「え?」
「俺は、姫をやってる八百さんより、今こうして目の前にいる素の八百さんの方が好き」
相変わらず、冷静な物言い。
「す、好き⁉︎」
「え? あ、もちろん……友だちとして」
そうだよね。アイスマンは恋愛なんて興味なさそう。
「ありがとう」
今きっと、私は自然に笑ってる。
「でも、やっぱり秘密にしておいて欲しい」
私がそう言ったら、真山は少しがっかりした様子だったけど「わかった」って言ってくれた。
真山に本当のことを言えたのは、なんだかすごく安心したし……嬉しい。