◇
数日後の休み時間。
「姫って、本当に可愛いよね」
「きれいすぎて近寄りがたいというか」
いつもみたいにクラスの女子たちが噂している。
「スマホを見る横顔すら美しい」
「よく憂いを帯びた顔でスマホ見てるよね」
私の席も一番後ろの列。私がスマホで何を見ているかも、真後ろに立って除きこみでもしない限りはわからない。
「もしかして彼氏⁉︎」
「やっぱりいるのかな、彼氏」
「きっと落ち着いた大人の男の人とか〜」
うん、いそういそう。年上社会人の彼氏とか。残念ながらいないけど。
メールの相手が年上の男性なのは正解。
誰も思わないよね。
私がアンニュイな表情で眺めているのが、まさか担当編集者からのダメ出しだなんて。
【来月のネーム拝見しました、〝鼻クソ〟が三回出てきているので、鼻クソは最後の一回だけにして、他は〝鼻血〟と〝鼻水〟にしましょう】
こんなことが画面に大真面目に表示されているなんて。
ちなみにネームというのは、マンガのセリフやコマ割りを考えた設計図のようなもの。
放課後。
「本当だ。鼻クソ三回よりこっちの方がテンポがいい。さっすが担当さん」
屋上でタブレット画面を見ながら感心してつぶやく。
真山くんにお笑いの稽古をつけてくれという謎の要望を出されて数日、何度か彼と二人で屋上で稽古のようなことをした。
合間に、私はタブレットで自分のマンガのネームや下絵を描いたりして過ごしている。元々昼休みや放課後の屋上で一人でやっていたことだ。
それにしても……。
「数学の授業で新技開発した! その名も……〝分数の割り算、逆数にしてかける〟」
目の前で今日考えたというギャグを披露する彼に、ため息をついてしまう。
「どうかな」
「どうって……」
真山くんのギャグって、本当に絶望的におもしろくない。
コメントに困るけど、師匠と言われたからには今日こそはっきり指摘するべきなのだろう。
腹を括るため、「ンンッ」と咳払いをする。
「全然おもしろくない」
「…………」
彼はその場にへたりこんだ。
う……。傷つけてしまっただろうか。
「やっぱりか〜」
予想外に、真山くんの声は落ち込んでるって感じではない。
「どこが?」
そしてすぐに立ち上がって聞いてきた。
「アドバイス、お願いします」
アドバイスと言われても。
「うーん。何だろう……『逆数にしてかける』ってどういう意味?」
「え? どういう意味って、逆数っていうのは——」
「そうじゃなくて!」
説明しようとする彼の言葉を遮ったから、不思議そうな顔をされてしまった。
「意味を聞かなきゃわからない難しさが問題っていうのかな」
何度か見せられた彼のギャグらしきものは、全てこんな感じだった。
任意の点Pがどうだとか、マヤ文明がどうだとか。
全体的に難しくって……ズバリ言うなら、独りよがりって感じ。
これを文化祭で披露するの?
地獄絵図を想像して、思わず背筋が凍りつきそうになった。
〝アイスマン〟の意味が変わってしまいそう。
「なんていうか上手く言えないけど……おもしろいって、もっと単純でいいんじゃないかな」
「単純?」
「だって真山くんの目指してる笑いって小比類沢マイクなんでしょ?」
彼は頷く。
「あの人のギャグって全体的に単純じゃない。〝ぷるるん!〟とか〝シュワシュワ〜〟とか〝ズンチャ!〟とか〝スパゲッティー‼︎〟とか」
「八百さん詳しいね」
言われてハッとする。小比類沢マイクのギャグをジェスチャー付きで流れるように列挙してしまった。
「もしかして本当は好きだったりする?」
「あーえっと、親が好きなの! ってそんなことはどうでもよくて、ギャグ! もっと単純でいいんじゃない?」
ギャグを考えていたら、先ほどのマンガのネームを思い出す。
「あ、ほら〝鼻クソ〜!〟みたいな」
人差し指を立ててくるくる回して見せる。
「ふっ」
「え?」
「いや、鼻クソって。八百さんが言うとインパクトすごいなって」
女子高生が鼻クソなんて、我ながらどうかと思うけど……。
「……今、もしかして笑った?」
「え? あ」
「ほらね、単純でいいのよ。ギャグは」
なんだ。笑えるんじゃない。
「すげえ。さすが、コーヒー師匠」
「…………」
ほんの一瞬、吹き出すってほどでもない微かな笑いだった。
彼の顔は、もういつものアイスマンに戻っている。
だけど確かに……。
「なんか、いいかも」
「ん?」
「ううん! なんでもない」
誰かの自然な笑顔を引き出すって、悪くない。
普段は顔の見えない読者に向かって描いているから、なんか新鮮かも。
「そういえば。この前ここで倒れた日『なんでやねんっ』とか聞いた気がするんだけど」
「ああ、うん。漫才の練習してた」
彼の言葉に、頭の上に大きな〝?〟が浮かんだ気がする。
「え? だって一人だったじゃない」
「いつかコンビとか組むかもしれないから、ツッコミの練習」
それを聞いて、今度は私が「ぷっ」と盛大に吹き出して声を上げて笑ってしまった。
「真顔で何言ってるの? ヤバい! あはは」
「え?」
「だいたい、真山くん関西人じゃないじゃない」
「ツッコミといえば『なんでやねん』だろ」
彼の言葉に笑いが止まらなくなってしまった。
「真山くんはボケとツッコミだったら絶対ボケでしょ。ふふ」
私が言ったら、真山くんの眉がめずらしく歪んだ。
「え、ツッコミだろ。絶対」
照れたようなその変化に爆笑しながら〝案外かわいいところ、あるじゃん〟なんて思ってしまった。相手はアイスマンなのに。
数日後の休み時間。
「姫って、本当に可愛いよね」
「きれいすぎて近寄りがたいというか」
いつもみたいにクラスの女子たちが噂している。
「スマホを見る横顔すら美しい」
「よく憂いを帯びた顔でスマホ見てるよね」
私の席も一番後ろの列。私がスマホで何を見ているかも、真後ろに立って除きこみでもしない限りはわからない。
「もしかして彼氏⁉︎」
「やっぱりいるのかな、彼氏」
「きっと落ち着いた大人の男の人とか〜」
うん、いそういそう。年上社会人の彼氏とか。残念ながらいないけど。
メールの相手が年上の男性なのは正解。
誰も思わないよね。
私がアンニュイな表情で眺めているのが、まさか担当編集者からのダメ出しだなんて。
【来月のネーム拝見しました、〝鼻クソ〟が三回出てきているので、鼻クソは最後の一回だけにして、他は〝鼻血〟と〝鼻水〟にしましょう】
こんなことが画面に大真面目に表示されているなんて。
ちなみにネームというのは、マンガのセリフやコマ割りを考えた設計図のようなもの。
放課後。
「本当だ。鼻クソ三回よりこっちの方がテンポがいい。さっすが担当さん」
屋上でタブレット画面を見ながら感心してつぶやく。
真山くんにお笑いの稽古をつけてくれという謎の要望を出されて数日、何度か彼と二人で屋上で稽古のようなことをした。
合間に、私はタブレットで自分のマンガのネームや下絵を描いたりして過ごしている。元々昼休みや放課後の屋上で一人でやっていたことだ。
それにしても……。
「数学の授業で新技開発した! その名も……〝分数の割り算、逆数にしてかける〟」
目の前で今日考えたというギャグを披露する彼に、ため息をついてしまう。
「どうかな」
「どうって……」
真山くんのギャグって、本当に絶望的におもしろくない。
コメントに困るけど、師匠と言われたからには今日こそはっきり指摘するべきなのだろう。
腹を括るため、「ンンッ」と咳払いをする。
「全然おもしろくない」
「…………」
彼はその場にへたりこんだ。
う……。傷つけてしまっただろうか。
「やっぱりか〜」
予想外に、真山くんの声は落ち込んでるって感じではない。
「どこが?」
そしてすぐに立ち上がって聞いてきた。
「アドバイス、お願いします」
アドバイスと言われても。
「うーん。何だろう……『逆数にしてかける』ってどういう意味?」
「え? どういう意味って、逆数っていうのは——」
「そうじゃなくて!」
説明しようとする彼の言葉を遮ったから、不思議そうな顔をされてしまった。
「意味を聞かなきゃわからない難しさが問題っていうのかな」
何度か見せられた彼のギャグらしきものは、全てこんな感じだった。
任意の点Pがどうだとか、マヤ文明がどうだとか。
全体的に難しくって……ズバリ言うなら、独りよがりって感じ。
これを文化祭で披露するの?
地獄絵図を想像して、思わず背筋が凍りつきそうになった。
〝アイスマン〟の意味が変わってしまいそう。
「なんていうか上手く言えないけど……おもしろいって、もっと単純でいいんじゃないかな」
「単純?」
「だって真山くんの目指してる笑いって小比類沢マイクなんでしょ?」
彼は頷く。
「あの人のギャグって全体的に単純じゃない。〝ぷるるん!〟とか〝シュワシュワ〜〟とか〝ズンチャ!〟とか〝スパゲッティー‼︎〟とか」
「八百さん詳しいね」
言われてハッとする。小比類沢マイクのギャグをジェスチャー付きで流れるように列挙してしまった。
「もしかして本当は好きだったりする?」
「あーえっと、親が好きなの! ってそんなことはどうでもよくて、ギャグ! もっと単純でいいんじゃない?」
ギャグを考えていたら、先ほどのマンガのネームを思い出す。
「あ、ほら〝鼻クソ〜!〟みたいな」
人差し指を立ててくるくる回して見せる。
「ふっ」
「え?」
「いや、鼻クソって。八百さんが言うとインパクトすごいなって」
女子高生が鼻クソなんて、我ながらどうかと思うけど……。
「……今、もしかして笑った?」
「え? あ」
「ほらね、単純でいいのよ。ギャグは」
なんだ。笑えるんじゃない。
「すげえ。さすが、コーヒー師匠」
「…………」
ほんの一瞬、吹き出すってほどでもない微かな笑いだった。
彼の顔は、もういつものアイスマンに戻っている。
だけど確かに……。
「なんか、いいかも」
「ん?」
「ううん! なんでもない」
誰かの自然な笑顔を引き出すって、悪くない。
普段は顔の見えない読者に向かって描いているから、なんか新鮮かも。
「そういえば。この前ここで倒れた日『なんでやねんっ』とか聞いた気がするんだけど」
「ああ、うん。漫才の練習してた」
彼の言葉に、頭の上に大きな〝?〟が浮かんだ気がする。
「え? だって一人だったじゃない」
「いつかコンビとか組むかもしれないから、ツッコミの練習」
それを聞いて、今度は私が「ぷっ」と盛大に吹き出して声を上げて笑ってしまった。
「真顔で何言ってるの? ヤバい! あはは」
「え?」
「だいたい、真山くん関西人じゃないじゃない」
「ツッコミといえば『なんでやねん』だろ」
彼の言葉に笑いが止まらなくなってしまった。
「真山くんはボケとツッコミだったら絶対ボケでしょ。ふふ」
私が言ったら、真山くんの眉がめずらしく歪んだ。
「え、ツッコミだろ。絶対」
照れたようなその変化に爆笑しながら〝案外かわいいところ、あるじゃん〟なんて思ってしまった。相手はアイスマンなのに。



