◇
真山くんと屋上で話をした次の日。
「真山くんって、いつも冷たい顔で本読んでるよね」
「近寄りがたいというか、怖いというか……」
いつもみたいにクラスの女子たちが噂している。
「顔はかっこいいのにね」
「きっとあの本も、カバーの下は難しいミステリー小説とか」
真山くんの席は窓側の一番後ろ。彼がどんな本を読んでいるのかは真後ろにでも立たない限りわからない。
「勉強系の本かも」
うん、読んでそう読んでそう。難しくって頭の良さそうな本を。
誰も思わないよね。
彼が無表情で読んでいるのが、まさかPTAに目をつけられているって噂の『まぁべらす!コーヒーくん』の単行本だなんて。
昨日、結局真山くんの熱意と脅しに屈して、なぜか私は彼の師匠になってしまった。
昼休みだったから、そのまま二人でお昼ご飯を食べた。
『コーヒー師匠。俺のことは真山って呼び捨てにしてもらって大丈夫です』
『いや、コーヒー師匠は私が困るって!』
と思わず言ったら、彼はなぜか言葉を失った。
『さすが……ツッコミのキレが違う』
感動していたらしい。
『ツッコミじゃないし……』
思わず脱力してしまう。
『それにしてもコーヒーくんって小学生向けなのに、よく知ってたね』
その言葉に、隣に座ってパンを食べていた彼の冷たい目が、一瞬輝いた気がした。
『俺、今めちゃくちゃ感動してて』
だから、感動しているようには見えない。
『コーヒーくん、大好きなんだ。電子版も紙の本も買ってて』
『え!』
『だから作者に会えてめちゃくちゃ感動してる』
信じられないけど……そういえばさっき見せられた電子特典のマンガって、ゴロゴロの年間定期購読特典……つまり一年分予約して買っている読者だけの特典だった気がする。筋金入りのコーヒーくん読者ってことだ。
『休み時間もいつも読んでる』
『嘘でしょ⁉︎ いつもずっと無表情じゃない。……あ、もしかしてコーヒーくんがつまらないって言いたいの? 高度な嫌味?』
私が皮肉っぽく指摘すると彼は少し考えるように黙ってしまった。
『俺……笑い方がよくわからないんだ』
ポツリとこぼす。
『というか、感情を表に出すのが苦手っていうのかな』
自覚してたんだ、とまた少し驚く。
『だから、コーヒーくんには毎回爆笑するくらいウケてるんだけど、それをうまく外に出せなくてさ』
悩んでいるらしい彼の言葉にも、表情は追いついていない。
『だから〝おもしろい〟のコツを掴んで、人を笑わせたいし自分も笑いたいんだ』
思わず『ふう』とため息をついて、ひざに乗せていたお弁当箱を地面に置く。
それから彼の前に行って、顔を覗きこんだ。
『表情なんて、無理矢理にでも作ればいいのよ』
彼の口の端に両手を伸ばして、グイッと引き上げる。
『笑おうと思えばいくらでも笑えるでしょ』
私はいつもそうしてる。
『ひや、ひょういふんひゃ——』
彼が何か言いかけたから手を離した。
『いや、そういうんじゃなくて。心の底から笑いたい。本物の笑顔っていうのかな』
彼の言葉がチクリと胸を刺した。私の笑顔はニセモノだって言われたみたい。
『〝おもしろい〟のコツなんて、芸人にならなくたって掴めそうだけど』
少し腹が立って、彼の前でひざ立ちをしたまま無愛想に言う。
『……人生で一回だけ、心の底から笑ったことがある』
彼はまた、つぶやくように言った。
『小比類沢マイク、知ってる?』
その名前に一瞬、眉がピクリと反応した。
【小比類沢マイク】
四十二歳。男性。東京都出身。
一発ギャグやフリップ芸を得意とするピン芸人。
「ぷるるん!」と言いながらジャンプする一発ギャグでブレイク。
最近はバラエティ番組などでスベリ芸を披露することも多い。
(参照:『日本芸人名鑑ウエブ版』)
要するに、一発屋のギリギリ生き残っているピン芸人だ。
大ブレイクした過去があるから今も知名度だけは高い。
『知ってる』
『もしかしてコーヒー先生もファンだったりする?』
『全っ然!』
彼の言葉に反射的に答えて思いっきり首を横に振った。
『俺、子どもの頃に入院してた時期があって。その時に小比類沢さんが病院に慰問に来てさ』
私は、小比類沢マイクが病院にいる場面を想像する。彼はジャケットに蝶ネクタイがトレードマークだ。
『それで持ちネタ全部やってくれたんだよ。ぷるるん!とかさ』
なんとなく、いつもの芸風だって想像がつく。
『その日まですげえ落ち込んでたのに、それ見てたら自然に声出して笑ってて』
『へえ』
『俺もあんな風に誰かを笑わせて元気にしたいなって思った。ああいう笑顔が本当の笑顔だと思う。あんなに心の底から笑ったのはあの日だけだ』
口元なんかは冷静だけど、真山くんの目は明らかに輝いている。
『真山くんって変わってるね』
『え?』
『いまどき小比類沢マイクに憧れてる男子高校生なんて、この世に真山くんだけだと思う』
『そうかなぁ』
彼は不思議そうな顔をした。
『だいたい』
彼に顔を近づける。
『晴高の姫がこんなに近くにいるのにドキドキとかしないわけ?』
ほかの生徒なら『かわいい』『美人』『いい匂いがする』って大騒ぎだと思うけど。
まあ、アイスマンは本当に変人だったってことだ、って顔を逸らして呆れてため息をついた。
『え? 普通にドキドキしてるけど?』
バッと彼の方に向き直す。
『姫とかはよくわかんないけど、八百さんがコーヒー先生なんだなって』
『ああ、そういう意味ね』
驚いて損した。
『それに普段の八百さんよりずっといいと思う。なんか表情がくるくる変わって可愛いっていうのかな』
今度は思わず眉を寄せてしまった。
真顔で何を言うんだろう。
『そんなわけないじゃない! いつもの方が100倍可愛いに決まってる』
『ふーん。そんなもんか』
脅された仕返しにからかってやろうと思ったのに、読めなすぎてこっちがペースを乱されてしまった。
『そういえば、八百さんてなんでいつもはあんな感じなの?』
まあ当然と言えば当然の疑問だとは思う。
『そんなの、真山くんには関係ないでしょ。もうお昼食べ終わったから行くね』
立ち上がって、お弁当箱を片付ける。
『コーヒー師匠』
『その呼び方やめて』
『じゃあ、八百さん。よろしくお願いします』
彼は握手しようと手を差し出す。
『いい? 絶対に、私が赤井コーヒーだってバラさないでよね!』
私はその手を取れずに悪態をつく。
『晴高の姫でいることは私の使命なの』
『使命?』
『邪魔したら許さないから!』
よくわからないって表情の彼を睨むように言って、屋上を後にする。
晴高の姫でいることは私の使命。絶対に誰にも邪魔させない。
——『あんなに心の底から笑ったのはあの日だけだ』
階段を下りながら、真山くんの言葉を思い出した。
『それって……』
——『コーヒーくん、大好きなんだ』
あんなこと言ってたくせに、赤井コーヒーは小比類沢マイクには及ばないって言われたようなものだ。あんなオワコンの一発屋芸人に。
『むかつく』
真山くんと屋上で話をした次の日。
「真山くんって、いつも冷たい顔で本読んでるよね」
「近寄りがたいというか、怖いというか……」
いつもみたいにクラスの女子たちが噂している。
「顔はかっこいいのにね」
「きっとあの本も、カバーの下は難しいミステリー小説とか」
真山くんの席は窓側の一番後ろ。彼がどんな本を読んでいるのかは真後ろにでも立たない限りわからない。
「勉強系の本かも」
うん、読んでそう読んでそう。難しくって頭の良さそうな本を。
誰も思わないよね。
彼が無表情で読んでいるのが、まさかPTAに目をつけられているって噂の『まぁべらす!コーヒーくん』の単行本だなんて。
昨日、結局真山くんの熱意と脅しに屈して、なぜか私は彼の師匠になってしまった。
昼休みだったから、そのまま二人でお昼ご飯を食べた。
『コーヒー師匠。俺のことは真山って呼び捨てにしてもらって大丈夫です』
『いや、コーヒー師匠は私が困るって!』
と思わず言ったら、彼はなぜか言葉を失った。
『さすが……ツッコミのキレが違う』
感動していたらしい。
『ツッコミじゃないし……』
思わず脱力してしまう。
『それにしてもコーヒーくんって小学生向けなのに、よく知ってたね』
その言葉に、隣に座ってパンを食べていた彼の冷たい目が、一瞬輝いた気がした。
『俺、今めちゃくちゃ感動してて』
だから、感動しているようには見えない。
『コーヒーくん、大好きなんだ。電子版も紙の本も買ってて』
『え!』
『だから作者に会えてめちゃくちゃ感動してる』
信じられないけど……そういえばさっき見せられた電子特典のマンガって、ゴロゴロの年間定期購読特典……つまり一年分予約して買っている読者だけの特典だった気がする。筋金入りのコーヒーくん読者ってことだ。
『休み時間もいつも読んでる』
『嘘でしょ⁉︎ いつもずっと無表情じゃない。……あ、もしかしてコーヒーくんがつまらないって言いたいの? 高度な嫌味?』
私が皮肉っぽく指摘すると彼は少し考えるように黙ってしまった。
『俺……笑い方がよくわからないんだ』
ポツリとこぼす。
『というか、感情を表に出すのが苦手っていうのかな』
自覚してたんだ、とまた少し驚く。
『だから、コーヒーくんには毎回爆笑するくらいウケてるんだけど、それをうまく外に出せなくてさ』
悩んでいるらしい彼の言葉にも、表情は追いついていない。
『だから〝おもしろい〟のコツを掴んで、人を笑わせたいし自分も笑いたいんだ』
思わず『ふう』とため息をついて、ひざに乗せていたお弁当箱を地面に置く。
それから彼の前に行って、顔を覗きこんだ。
『表情なんて、無理矢理にでも作ればいいのよ』
彼の口の端に両手を伸ばして、グイッと引き上げる。
『笑おうと思えばいくらでも笑えるでしょ』
私はいつもそうしてる。
『ひや、ひょういふんひゃ——』
彼が何か言いかけたから手を離した。
『いや、そういうんじゃなくて。心の底から笑いたい。本物の笑顔っていうのかな』
彼の言葉がチクリと胸を刺した。私の笑顔はニセモノだって言われたみたい。
『〝おもしろい〟のコツなんて、芸人にならなくたって掴めそうだけど』
少し腹が立って、彼の前でひざ立ちをしたまま無愛想に言う。
『……人生で一回だけ、心の底から笑ったことがある』
彼はまた、つぶやくように言った。
『小比類沢マイク、知ってる?』
その名前に一瞬、眉がピクリと反応した。
【小比類沢マイク】
四十二歳。男性。東京都出身。
一発ギャグやフリップ芸を得意とするピン芸人。
「ぷるるん!」と言いながらジャンプする一発ギャグでブレイク。
最近はバラエティ番組などでスベリ芸を披露することも多い。
(参照:『日本芸人名鑑ウエブ版』)
要するに、一発屋のギリギリ生き残っているピン芸人だ。
大ブレイクした過去があるから今も知名度だけは高い。
『知ってる』
『もしかしてコーヒー先生もファンだったりする?』
『全っ然!』
彼の言葉に反射的に答えて思いっきり首を横に振った。
『俺、子どもの頃に入院してた時期があって。その時に小比類沢さんが病院に慰問に来てさ』
私は、小比類沢マイクが病院にいる場面を想像する。彼はジャケットに蝶ネクタイがトレードマークだ。
『それで持ちネタ全部やってくれたんだよ。ぷるるん!とかさ』
なんとなく、いつもの芸風だって想像がつく。
『その日まですげえ落ち込んでたのに、それ見てたら自然に声出して笑ってて』
『へえ』
『俺もあんな風に誰かを笑わせて元気にしたいなって思った。ああいう笑顔が本当の笑顔だと思う。あんなに心の底から笑ったのはあの日だけだ』
口元なんかは冷静だけど、真山くんの目は明らかに輝いている。
『真山くんって変わってるね』
『え?』
『いまどき小比類沢マイクに憧れてる男子高校生なんて、この世に真山くんだけだと思う』
『そうかなぁ』
彼は不思議そうな顔をした。
『だいたい』
彼に顔を近づける。
『晴高の姫がこんなに近くにいるのにドキドキとかしないわけ?』
ほかの生徒なら『かわいい』『美人』『いい匂いがする』って大騒ぎだと思うけど。
まあ、アイスマンは本当に変人だったってことだ、って顔を逸らして呆れてため息をついた。
『え? 普通にドキドキしてるけど?』
バッと彼の方に向き直す。
『姫とかはよくわかんないけど、八百さんがコーヒー先生なんだなって』
『ああ、そういう意味ね』
驚いて損した。
『それに普段の八百さんよりずっといいと思う。なんか表情がくるくる変わって可愛いっていうのかな』
今度は思わず眉を寄せてしまった。
真顔で何を言うんだろう。
『そんなわけないじゃない! いつもの方が100倍可愛いに決まってる』
『ふーん。そんなもんか』
脅された仕返しにからかってやろうと思ったのに、読めなすぎてこっちがペースを乱されてしまった。
『そういえば、八百さんてなんでいつもはあんな感じなの?』
まあ当然と言えば当然の疑問だとは思う。
『そんなの、真山くんには関係ないでしょ。もうお昼食べ終わったから行くね』
立ち上がって、お弁当箱を片付ける。
『コーヒー師匠』
『その呼び方やめて』
『じゃあ、八百さん。よろしくお願いします』
彼は握手しようと手を差し出す。
『いい? 絶対に、私が赤井コーヒーだってバラさないでよね!』
私はその手を取れずに悪態をつく。
『晴高の姫でいることは私の使命なの』
『使命?』
『邪魔したら許さないから!』
よくわからないって表情の彼を睨むように言って、屋上を後にする。
晴高の姫でいることは私の使命。絶対に誰にも邪魔させない。
——『あんなに心の底から笑ったのはあの日だけだ』
階段を下りながら、真山くんの言葉を思い出した。
『それって……』
——『コーヒーくん、大好きなんだ』
あんなこと言ってたくせに、赤井コーヒーは小比類沢マイクには及ばないって言われたようなものだ。あんなオワコンの一発屋芸人に。
『むかつく』



