◇
目を覚まして最初に目に入ったのは、学校でよく見るなんだかよくわからない模様の入った天井。
おばあちゃん家も同じだったような気がする。
回らない頭でそんなことを考えていた。
「あ、八百さん。目が覚めた」
ベッド脇のカーテンが開けられて、ひょこっと現れた先生の顔で、ここが保健室なんだと理解した。
「えっと……」
「あなた、倒れたのよ。屋上で」
ぼーっとしながら困惑した雰囲気を出していたであろう私に、半田先生が教えてくれた。
「倒れた……」
そういえばそうだった……気がする。と、先ほどの胸元への衝撃を思い出す。
「真山くんが抱えて運んできてくれたの」
そう言いながら先生はカーテンの向こうの人物に顔を出すように促している。
それからすぐにひょこっと顔を出したのは、二年になって転校してきたクラスメイトの男子だった。
「…………」
無言。そして無表情。
「あらもう、照れてるの? いいことしたんだから」
大人ってすぐにこういうことを言いがちだけど、真山くんに限って言えば照れているわけではないと思う。
彼、真山良実は高二になって私のクラスにやってきた転校生。
私たちの学校はクラス替えがないから、彼だけが新しい顔だった。
整った顔立ちで短めの黒い髪はさらっとしていて背も結構高かったから、挨拶をするその瞬間までは女子たちが〝王子⁉︎〟なんて少しざわざわしていた。
だけど彼の挨拶は……
『よろしくお願いします』
その一言で終了した。
先生が『何か自己アピールでも』なんて促したけど真山くんは、無言のまま切れ長の目で、教室を睨みつけるように眺めるだけだった。
先生が『もういいから席に戻って』って言うまでずっと。
その時の冷たい物言いと態度、さらにはそれから休み時間はいつも一人で背筋をピシッと伸ばして本を読んでいるという近寄り難さから、ついたあだ名は……
〝アイスマン〟
もちろん本人には内緒の、半分陰口みたいなものだ。
といっても彼はスポーツは人並みに、勉強は人並み以上にできるみたいでイジメられているというわけでもない。
ただただ、人を寄せ付けないってだけ。
つまり、今こうして彼が無言でいることもとくに照れているわけではなくて、彼の平常運転ってこと。
「まあいいわ。とにかくありがとうね、八百さんが無事で良かった」
先生がそう言うと、真山くんはペコリと小さく頭を下げて例の如くさっさとカーテンの外に行こうとした。
「あ、真山くん」
思わず呼び止めた。
「ありがとうございました」
ゆったりとした丁寧な言葉と少しだけ甘えたような声色に、にっこりとした微笑みをつけてお礼を伝える。
「…………」
彼は無表情なままジッと私を見つめると、またペコリと頭を下げてあっさりと保健室を出て行ってしまった。
「やっぱり照れてるのかしらねえ。八百さん可愛いもの」
先生と呼ばれる人が特定の生徒に〝可愛い〟なんて言っていいのかと思わないこともないけど、今は私と先生の二人だけだ。それに、彼女の言うことは正しいんだから仕方ない。
「そんなぁ。私なんて全然ですよ」
眉を下げて今度は困ったように「ふふ」と笑ってみせる。
「八百さんって、現代っ子にしては本当に控えめよね〜美人さんなのに物腰が柔らかくて感心しちゃうわ。真山くんとは真逆……ってこんなこと言ったらいけないわね」
言ってはいけないとは思うけれど、とにかく正しいから仕方ない。
それにしても……さっきから何か忘れている気がする。
屋上で見た空と、先ほど去り際にこちらをジッと見ていた真山くんの眼差しが脳裏を過ぎる。
なんだっけ?
「ところで八百さん、体調は大丈夫? 貧血みたいだけど」
「あ、ええと……昨夜、夜更かししてしまって……」
そこまで言って、寝不足の理由を思い出してハッとする。
「先生! 私帰ります!」
ベッドから飛び出して、髪とセーラー服のリボンを整えてさっさと荷物をまとめた。
「え⁉︎ ちょっと」
「ご迷惑をおかけしました」
深々とお辞儀をして、保健室を後にする。
「締め切り……! あと三日しかないのに!」
自分だけにしか聞こえないような小さな声でつぶやきながら廊下を歩く。小走りすらもできないのがもどかしい。……けど仕方ない。
「あー八百ちゃ〜ん! バイバーイ」
三年生男子たち。
「さようなら」
歩きながらお辞儀をしてニッコリと笑顔。
「姫バイバーイ」
クラスメイト女子。
「さようなら」
歩きながら品良く手を振って笑顔。
「八百先輩、さようなら〜」
一年生女子二名。
「さようなら」
こちらも歩きながら手を振って微笑。
挨拶をして通り過ぎると、噂をする声が耳に入る。
「やっぱ八百先輩って超きれー」
「なんか親が芸能人らしいよ」
「えー? 私はお母さんが華道の家元だって聞いた」
「家柄からして華やかで上品! って感じだよね〜。うちなんて弟がくだらないマンガばっかり読んでて——」
そんな一年生の声を聞きながら「ふふっ」と笑みをこぼす。
そう、私こと八百朱音は、芸能人の父と華道家の母という華々しい雰囲気漂う家に生まれた。
容姿にも恵まれ、母に教え込まれた礼儀作法で身につけた振る舞いはどこからどう見ても上品。
真山くんと違って面と向かって言われるニックネームは
〝晴高の姫〟
晴高っていうのは晴山高校の略称。
プリンセスじゃなくて姫なのは、私の絹糸のような長い黒髪と華道家の娘という肩書きが和風っぽいからだそうだ。
少し照れくさかったりもするけれど、入学した頃からずっとこうだからもう慣れてしまったし、私が可愛くて上品なのは事実だ。
そんな私は廊下を走ってはいけないし、よく知らない人たちからの挨拶だって無視してはいけない。
晴高のお姫様でいることは私の使命のようなものなのだ。
午後六時。
「ない!」
帰宅した私は自分の部屋で絶望している。
「嘘でしょ」
通学に使っているリュックをひっくり返して、荷物を全部広げて。
「締め切りまで時間がないのに……ううん」
そんなことよりアレが見つからないこと自体が問題だ。
顔から血の気が引いていく。
どこかに紛れていないとしたら、どこかで落とした?
どこで?
非常にマズい事態に、今日一日の行動を思い出してみる。
「…………あ!」
目を覚まして最初に目に入ったのは、学校でよく見るなんだかよくわからない模様の入った天井。
おばあちゃん家も同じだったような気がする。
回らない頭でそんなことを考えていた。
「あ、八百さん。目が覚めた」
ベッド脇のカーテンが開けられて、ひょこっと現れた先生の顔で、ここが保健室なんだと理解した。
「えっと……」
「あなた、倒れたのよ。屋上で」
ぼーっとしながら困惑した雰囲気を出していたであろう私に、半田先生が教えてくれた。
「倒れた……」
そういえばそうだった……気がする。と、先ほどの胸元への衝撃を思い出す。
「真山くんが抱えて運んできてくれたの」
そう言いながら先生はカーテンの向こうの人物に顔を出すように促している。
それからすぐにひょこっと顔を出したのは、二年になって転校してきたクラスメイトの男子だった。
「…………」
無言。そして無表情。
「あらもう、照れてるの? いいことしたんだから」
大人ってすぐにこういうことを言いがちだけど、真山くんに限って言えば照れているわけではないと思う。
彼、真山良実は高二になって私のクラスにやってきた転校生。
私たちの学校はクラス替えがないから、彼だけが新しい顔だった。
整った顔立ちで短めの黒い髪はさらっとしていて背も結構高かったから、挨拶をするその瞬間までは女子たちが〝王子⁉︎〟なんて少しざわざわしていた。
だけど彼の挨拶は……
『よろしくお願いします』
その一言で終了した。
先生が『何か自己アピールでも』なんて促したけど真山くんは、無言のまま切れ長の目で、教室を睨みつけるように眺めるだけだった。
先生が『もういいから席に戻って』って言うまでずっと。
その時の冷たい物言いと態度、さらにはそれから休み時間はいつも一人で背筋をピシッと伸ばして本を読んでいるという近寄り難さから、ついたあだ名は……
〝アイスマン〟
もちろん本人には内緒の、半分陰口みたいなものだ。
といっても彼はスポーツは人並みに、勉強は人並み以上にできるみたいでイジメられているというわけでもない。
ただただ、人を寄せ付けないってだけ。
つまり、今こうして彼が無言でいることもとくに照れているわけではなくて、彼の平常運転ってこと。
「まあいいわ。とにかくありがとうね、八百さんが無事で良かった」
先生がそう言うと、真山くんはペコリと小さく頭を下げて例の如くさっさとカーテンの外に行こうとした。
「あ、真山くん」
思わず呼び止めた。
「ありがとうございました」
ゆったりとした丁寧な言葉と少しだけ甘えたような声色に、にっこりとした微笑みをつけてお礼を伝える。
「…………」
彼は無表情なままジッと私を見つめると、またペコリと頭を下げてあっさりと保健室を出て行ってしまった。
「やっぱり照れてるのかしらねえ。八百さん可愛いもの」
先生と呼ばれる人が特定の生徒に〝可愛い〟なんて言っていいのかと思わないこともないけど、今は私と先生の二人だけだ。それに、彼女の言うことは正しいんだから仕方ない。
「そんなぁ。私なんて全然ですよ」
眉を下げて今度は困ったように「ふふ」と笑ってみせる。
「八百さんって、現代っ子にしては本当に控えめよね〜美人さんなのに物腰が柔らかくて感心しちゃうわ。真山くんとは真逆……ってこんなこと言ったらいけないわね」
言ってはいけないとは思うけれど、とにかく正しいから仕方ない。
それにしても……さっきから何か忘れている気がする。
屋上で見た空と、先ほど去り際にこちらをジッと見ていた真山くんの眼差しが脳裏を過ぎる。
なんだっけ?
「ところで八百さん、体調は大丈夫? 貧血みたいだけど」
「あ、ええと……昨夜、夜更かししてしまって……」
そこまで言って、寝不足の理由を思い出してハッとする。
「先生! 私帰ります!」
ベッドから飛び出して、髪とセーラー服のリボンを整えてさっさと荷物をまとめた。
「え⁉︎ ちょっと」
「ご迷惑をおかけしました」
深々とお辞儀をして、保健室を後にする。
「締め切り……! あと三日しかないのに!」
自分だけにしか聞こえないような小さな声でつぶやきながら廊下を歩く。小走りすらもできないのがもどかしい。……けど仕方ない。
「あー八百ちゃ〜ん! バイバーイ」
三年生男子たち。
「さようなら」
歩きながらお辞儀をしてニッコリと笑顔。
「姫バイバーイ」
クラスメイト女子。
「さようなら」
歩きながら品良く手を振って笑顔。
「八百先輩、さようなら〜」
一年生女子二名。
「さようなら」
こちらも歩きながら手を振って微笑。
挨拶をして通り過ぎると、噂をする声が耳に入る。
「やっぱ八百先輩って超きれー」
「なんか親が芸能人らしいよ」
「えー? 私はお母さんが華道の家元だって聞いた」
「家柄からして華やかで上品! って感じだよね〜。うちなんて弟がくだらないマンガばっかり読んでて——」
そんな一年生の声を聞きながら「ふふっ」と笑みをこぼす。
そう、私こと八百朱音は、芸能人の父と華道家の母という華々しい雰囲気漂う家に生まれた。
容姿にも恵まれ、母に教え込まれた礼儀作法で身につけた振る舞いはどこからどう見ても上品。
真山くんと違って面と向かって言われるニックネームは
〝晴高の姫〟
晴高っていうのは晴山高校の略称。
プリンセスじゃなくて姫なのは、私の絹糸のような長い黒髪と華道家の娘という肩書きが和風っぽいからだそうだ。
少し照れくさかったりもするけれど、入学した頃からずっとこうだからもう慣れてしまったし、私が可愛くて上品なのは事実だ。
そんな私は廊下を走ってはいけないし、よく知らない人たちからの挨拶だって無視してはいけない。
晴高のお姫様でいることは私の使命のようなものなのだ。
午後六時。
「ない!」
帰宅した私は自分の部屋で絶望している。
「嘘でしょ」
通学に使っているリュックをひっくり返して、荷物を全部広げて。
「締め切りまで時間がないのに……ううん」
そんなことよりアレが見つからないこと自体が問題だ。
顔から血の気が引いていく。
どこかに紛れていないとしたら、どこかで落とした?
どこで?
非常にマズい事態に、今日一日の行動を思い出してみる。
「…………あ!」



