それから文化祭までの数日。
私はものすごくモヤモヤとした気持ちで過ごすことになった。
両親に心配をかけたくなくて、それに勉強も休みたくなくて学校には通い続けた。
好奇の目は、数日程度では下火になるなんてことはなく注がれ続けている。

——『俺はマイク師匠を尊敬してる。あの人の笑いは本来は誰も傷つけないはずだから』

——『本当は八百さんだってお父さんのこと尊敬してるんじゃないの?』

真山に言われた言葉が頭の中を何万回も巡っている。
彼が父を好きなこと、尊敬していることが嘘じゃないことくらいわかってる。
だったらどうして?
なんで簡単にバラしてしまったの?
『なんでやねんっ』を胸にくらった日からの屋上での思い出と、〝どうして?〟が交互にやってくる。
そんな風にぐるぐると考えているうちに、文化祭の前日を迎えた。
明日は学校をサボろう。

そう思っていたのに……。



翌日午後一時四十五分。
アイスマンこと真山のステージが気になって、つい来てしまった。
一緒に模擬店や出し物をまわる友だちもいないのに……って思ったけど、それは昨年も同じだった。
虚しくなったところで、また真山の言葉を思い出す。

—— 『いじめられないように仮面かぶってたら友だちができないって、なんかおかしくない?』

私たちはお互いに外面で誤解されているという共通点があった。
だけど、〝本当の自分隠そうとする私〟と〝本当の自分を知ってもらおうとしている真山〟が本当は正反対だって、最近気づいた。
彼はいつもいつも正論で、真っ直ぐだった。

—— 『俺は、姫をやってる八百さんより、今こうして目の前にいる素の八百さんの方が好き』
—— 『もちろん……友だちとして』

私だって、本当は冷たくないってわかってからの真山の方が好きだった。
打ち解けられたって思っていたのに。
また〝どうして?〟が顔を覗かせて、胸が軋む。
「あ! 八百さん!」
体育館の近くで、二時から始まる真山のステージを見るかどうか迷いながらうろうろしていると、誰かが声をかけてきた。
クラスメイトの女子、黒木さんだった。
「ちょっと話、いいかな」
彼女は私を、体育館裏の人けのないところに呼び出した。
もしかしてまた脅されるんだろうかと思ってしまう。
「あの、ごめんなさい」
目の前の彼女は、ぺこりと頭を下げた。
「え? 何?」
「八百さんのお父さんのこと」
「え……?」
聞けば彼女のいとこが竹内くんと同じ学校で、先日のラーメン屋さんにいた三人組のうちの一人だったそうだ。
「それで……うちの学校に小比類沢マイクの娘がいるって聞いて」
あの日、竹内くんが私をからかう様子と私の制服でわかってしまったらしい。
「軽い気持ちでクラスで言っちゃったの……そしたら思ってた以上に広まっちゃって」
彼女は涙目だ。
悪意がなければ何をしても許されるなんて思わないで欲しいけど……多分、真山なら許す。
それにもう噂は広まってしまったんだから、どうしようもない。
「もういいよ。謝ってくれてありがとう。言わなければ黒木さん発信だってわからなかったのに」
私がそう言うと、彼女は少し気まずそうな顔をした。
「真山くんに言われたの」
「え……」
「彼、ずっと噂の発信源を探ってたみたいで」
自分が犯人だと誤解されていたからだろうか。
「それで、私にたどり着いたら——」
続く黒木さんの言葉を聞いたら、真山のステージを見に行かないわけにはいかなかった。
『八百さんがすごく傷ついてるから、ちゃんと自分の言葉で謝って』
真山が彼女にそう言ってくれたらしい。
彼が犯人だって誤解して、話も聞かずにあんなに責めたのに。
「最低なのは、私じゃん」
だから今度は、私が真っ直ぐ自分の言葉で謝る番だ。

とっくに真山のステージが始まっている体育館は、暗い客席がシン……と静まりかえっている。
ステージ上では真山が宣言通り、一発ギャグを次々に披露している。
「嘘でしょ……真山くんがこんな人だったなんて」
「アイスマンって、超寒いからアイスマン?」
時々聞こえてくる声から察するに、どうやら想像通りの状況になっているらしい。
私は深い深い深呼吸を一回。
それから、脇の通路を通ってステージに向かう。
「すみません、このマイク借りてもいいですか?」
「え?」
許可の言葉を聞く前に、ステージに上がっていた。
真山はスタンドマイクの前で『ギョベックリ・テペ遺跡!』のポーズだ。
『真山!』
ステージに現れた私に、さすがの真山もギョッとしている。
『八百さん……なんで』
『謝りに来たの。誤解して、話も聞かずに責めてごめんなさい。それからありがとう』
私はこれ以上ないくらい深々と頭を下げた。
それからパッと頭を上げる。
『それはそれとして、師匠としてアドバイスしに来た』
ここははっきり言ってあげなくちゃ。
『真山のギャグ、やっぱり超つまんない』
私の言葉に会場がざわつく。
『……今、段々会場が温まってるところで』
真山の言葉に客席から「温まってないよ!」なんてヤジが飛んだ。
『そんなんで〝やるからには、全員笑わせたい〟? ふざけないでよ、その言葉が一番笑えるギャグなんですけど』
『ちょ、八百さん……?』
『そのクオリティで〝小比類沢マイクに憧れてる〟なんて言われたら、私の尊敬する小比類沢マイクの名前に傷がつくでしょ』
『え……』
『私だって、生まれた瞬間から小比類沢マイクのファンなんだから』
真山の言った通り、本当は父を尊敬している。
誰も傷つけない笑いで、たくさんの人を笑顔にしてきたから。
それを近くで見てきたから。
大好きな父の芸のためなら、本当は私一人くらい傷ついたっていいって思っていたのに。
『私は弱くて、結局父の笑いから逃げちゃったけど』
一人で背負うのは、弱い私には難しかった。
『逃げてないじゃん』
真山はスタンドからマイクを外してしゃべり出した。
『コーヒーくん、初めて読んだ時にすぐにわかった。小比類沢マイクがモデルだって。まさか娘が描いてるなんて思わなかったけど』
そう、小比類沢から名前を取ってコーヒーくんのキャラクターを作った。
『くだらないとか下品とか言われるかもしれないけどさ、誰も傷つけない笑いで小学生と俺を笑顔にしてるじゃん』
どんなにバカにされたって、絶対に誰も傷つけない漫画にするんだって心に決めてた。
真山にはそれが全部伝わってた。
父は本当は私のヒーローなんだって。
『……真山は笑顔にはなってないけどね』
思わずクスッと笑ってしまった。
『師匠としてのアドバイス』
『何?』
『真山にはツッコミ役が必要だと思う。ピン芸人、向いてないよ』
そこまで言って「ふぅ」とため息をつく。
『私で良かったら、相方にしてくれない? 小比類沢イズムならばっちり。だって娘だもん』
私の言葉に、会場から笑いが起きた。
『ほらね、私の方がおもしろい』
真山の方を見て、眉を下げて笑う。彼はちょっぴり悔しそう。
それからマイクをオフにした。
「あーあ。ギャグをやらない人、お笑い芸人じゃない人が私の理想だったのに。よりによってこんなにつまんないアイスマンを好きになっちゃうなんて私の方こそ『なんでやねん』だわ」
「え?」
「ギャグは寒いけど、いつもいつも真っ直ぐで超かっこいいと思う。私、真山のこと好きになっちゃったみたい」
真山はやっぱり読めない表情をしている。
「真山は別に私のことなんて好きじゃないかもしれないけど——」
「待った待った」
真山が私の言葉を遮る。
「なんで俺が八百さんのこと好きじゃないって思うわけ?」
「なんでって、そんなの……私といてもドキドキしないでしょ?」
「言ったじゃん、普通にドキドキしてるって」
確かにそんなセリフは聞いたけど……。
「あれは、私が赤井コーヒーだからだって」
「よく考えたら師匠になってくれってお願いしてるのに、気まずくなるなって思ってごまかした」
「嘘でしょ?」
本当に読めなさすぎる。
「え、じゃあ……真山って、私のこと好きなの?」
真山はコクリと頷いた。
「好きだよ」
「私、鼻血とか、おならとか言っちゃうのに?」
「俺も言うし。っていうか、転校初日から知ってた。八百さんがそういう子だって」
「え?」

それから真山は転校初日のことを話してくれた。