「彼氏の作り方ってどうすればいいんだっけ?」
午後の休憩時間。
フロアの自販機で鉢合わせした同僚の 莉愛と、世間話をしていた時だった。
コーヒー缶片手に、ふと頭に浮かんだ疑問を投げかける。
「澪って彼氏欲しかったんだ?」
よほど驚いたのか、莉愛は目を丸くさせた。
新卒で入社して3年目。莉愛とは同期で会社以外でもよく遊んだりする。
そんな間柄でも私は普段、恋愛の話をあまり口にしなかった。
だからこそ、私がこの質問をしたことが意外だったのだと思う。
「うん。普通に欲しいよ?」
「ふーん」
なにか考えているような顔をした莉愛は、すぐさまスマホを操作する。
そして、ぐいっと目の前にスマホを差し出された。
あまりに近くて身体がのけぞりながらも、じっと目を凝らす。
「な、なに?」
「だったらさ、このマッチングアプリおすすめ」
改めて目の前に差し出されたスマホの画面を凝視する。
「誰でも求めている人とのマッチング……」
ぼそりとキャッチコピーを読み上げた。
どこかで見たような広告。正直嘘っぽい。
「ええ~。マッチングアプリかあ」
再び気のない返答をする。
マッチングアプリに世の中の抵抗が薄くなっていることは知っていた。
現に、周りでマッチングアプリを使っている子は増えたと思う。
だけど、自分がやるとなると話は別だ。どうしても乗り気にはなれなかった。
「なんか、ちょっと怖くない?」
やってみたことがないので、未知の世界に飛び込むようなもの。そう思うとやっぱり躊躇してしまう。
「マッチングアプリって効率いいんだよ?」
効率かあ。
そう言われて、過去の記憶が手繰り寄せられる。
友達主催の飲み会は、自分に合った男性……。
つまり、"当たり"といえる男性がいるかどうかは行ってみないと分からない。今回ハズレだなあ、なんて思った経験だって何度もある。
友達に知人を紹介してもらえば、いまいちだと思った時。紹介してもらった手前、その旨を言い出しにくい。
少し考えただけで、アプリ以外の出会いも欠点がすらすら出てくる。
そんなことをぼんやり考えていたら、気がゆるんだ。
「まあ、やってみるのもいいかな」
そんな何気ない会話からはじめたマッチングアプリ。
この時の私は、ひそりと心が弾んでいたのかもしれない。
まさか、出会う人があんな人だなんて、想像もしていなかった。
しばらく考えた末、莉愛の強い後押しもあり登録してみることにした。
家に帰ってきて、ソファに寝転がりながらアプリを操作していく。
まずはプロフィール登録。
本名では登録したくない。そう思った私は『おみ』と入力した。
澪を逆さまにしただけ。
なんの変哲もないニックネーム。
このアプリはニックネームの他にも、プロフィールを細かく入力しなければならないらしい。
「ちょっとめんどくさいな」
こういう登録作業があまり好きでなかった私は、すぐに憂鬱になる。
浅くため息をついて、仕方なしに進めていく。
「好きなタイプ? んー。横暴な人はイヤだし。まあ無難に優しい人、かな」
とりあえず、流れ作業のように質問に答えていく。
「どんな人を求めますか? えーっと。話が合う人。でいいか」
質疑応答を繰り返していくうちに、タップする手が重くなってきた。
思っていた以上に質問が多くてめんどくさい。
そもそも、乗り気ではなかったんだ。なのに真剣に質問に答えている自分がおかしくなってくる。
しばらく続けるうちに、途中でスマホを放り投げたくなった。
「猫派ですか? 犬派ですか?」
この情報大事かな?
そんなことを思ってしまうほど、細かい質問もあった。
「まあ、強いて言えば犬派かなあ」
質問の多さに、ちょっとげんなりしながら答えていく。
その後も、しばらく答え続けた時だった。
やっと現れた登録完了の文字。
思わず、はあと深い息を吐いた。
それからアプリを徘徊していく。
まず思ったのは、意外と利用ユーザーが多いこと。
流行っていることは知っていたけど、これほど利用者がいるとは思わなかった。
見定めするように眺めていた時だった。
『いいね!がつきました』
通知音と共に現れた文字にどきりとする。
開始数分で誰かがいいね!してくれたらしい。
戸惑いを引きずりながら、赤く光った通知ボタンを押してみる。
表示されたのは、いいね!してくれたであろう男性のプロフィール。
「ふーん」
その人のプロフィールを見た正直な感想。
まあ、普通の人だと思う。悪い言い方をすれば、特に良さを感じない人。
最後まで読み終えても、惹かれるところは見当たらなかった。
その流れのまま「おすすめ」とやらに出てきた人たちをスクロールしていく。
このアプリは、私とマッチングしそうな人を厳選してくれているらしい。
たしかにこれは効率がいい。
見ていく中で、ある一人の男性が目にとまった。
ニックネームは、『よしくん』
本人の写真は、やや下を向いて伏目がち。
だけど鼻筋は通っていて、だいぶ綺麗な顔だちに見える。
あまり深く考えずいいねを押してみる。
――ぴこん
甲高い通知音が鳴り、びくりと肩が震える。
『マッチングしました』
え、向こうも見てくれたってこと?
こんなに早くマッチングするんだ……。
初めてのことで固まっていると、また通知音が鳴る。
次は、メールのマークのアイコンに「1」と数字が表れた。
すぐさまタップして、メッセージを開く。
『はじめまして。突然のメッセージ失礼します。よしと申します。よければお話出来たらうれしいです』
拍子抜けしてしまうほど丁寧な文章。
そのおかげで、私の中にあった警戒心は減っていく。
『はじめまして。登録したばかりでよくわかってないのですが、よろしくお願いします』
とりあえず、当たり障りのない返事をする。
『わかります。実は僕も登録したばかりでよくわかってません笑』
さっきより砕けた文章に、ホッと気持ちが和んだ。
悪い人ではなさそう。そんな安心感を覚える。
それから、私はよしくんと毎日やり取りをするようになった。
『今日はラーメンを食べた』
『今日は8時に起きた』
そんな何気ない、たいして興味のない日記のような会話。
だけど、それがなんとなく心地よかった。
それから数日。しばらくやり取りを続けると……。
『今度会ってみない?』
その文字を見た途端、心臓がドキリと跳ねる。
ついにきた。そう思った。
『いいですよ』
どうしようかと考えた後、そう返事をする。
アプリ内ではあるけど、ずっとメールのやり取りをした。その中で、不信感は特に感じなかった。
それどころか、日々の会話が楽しいと感じていた私は、会うことを決断する。
♦︎
ついに、よしくんに会う当日を迎えた。
実際会ったら、写真詐欺とかあるのかな。
こういうのは、写真より見劣りするのが普通なんだろうけど。
そう言い聞かせて、自らハードルを下げることにした。
待ち合わせの場所につくと、すでに男の人が立っていた。
黒のジーンズに、白っぽいシャツ。それは事前に教えてくれた服装と重なる。
決して派手な服装ではないけど、サラッと着こなしている。
その感じも、好感をもてた。
近づいていくと、心拍数が上がっていく。
遠目で見るより、すらっとしていて身長は高い。これはプロフィール通りだと思う。
そして、近くで見ると、鼻筋が通った綺麗な顔だちをしている。
思った以上に、かっこよくて、思わずどきっと胸が高鳴る。
誰だよ。マッチングアプリは写真詐欺が通常運転だなんて言った人は。
正直、写真より実物の方が良いくらいだった。
きっと彼がよしくん。だと思う。
不思議と迷いはなかった。ぎゅっと服の袖を握りしめ、声を振り絞る。
「あの……」
おそるおそる声をかけると、よしくんはゆっくりとこちらを振り向く。
私の顔を見ると、柔らかな笑顔をうかべる。
「もしかして、おみさん?」
はじめて聞く声は、男の人にしては少し高めの声だった。だけど、優しさを感じて嫌味のない声。
「は、はい」
ぎこちなく返すと、よしくんはうんうんと二度頷いた。
「初めまして。わー。なんだか緊張しちゃうなあ」
「私も初めてなので、緊張します」
話してから、改めて顔をよく見てみる。
近くで見てもカッコいいと思った。そう認識した途端、ちょっとドキドキしてきた。
「うんうん。俺もだよー」
優しく同調してくれるので、緊張の糸がほぐれたように気が和む。
よしくんの柔らかな話し方も、なんだかホッとする。
それから私たちは、少し歩いたところにあるカフェへと入った。このお店は最近オープンしたらしい。
白と水色を基調とした内装に、落ち着いたミントカラーのテーブル。SNS映えしそうで、お洒落なお店だった。
案内されたのは、2人用のテーブル席。
向かい合って座ることになり、顔を見るのにまた緊張がやってきた。
「初めてきました。こんな素敵なお店があること知らなかった」
「うんうん。俺も初めてだよー。素敵なお店だよね」
口癖なのかな?
「うんうん」と頷きながら話すことが多い気がする。
心の隅で少しだけ引っ掛かったけど。
私の意見を認めてくれているような気がして、不思議といやな気持ちにはならなかった。
メニュー表とにらめっこをして、私はチョコレートラテ。よしくんはブラックコーヒーを注文した。
待たずに届いたあと、ラテの甘さを味わいながら、よしくんは話を振ってくれた。
それからしばらく話してわかったこと。
よしくんは、中村義孝というらしい。
本名を名乗られるとは思っていなくて、ちょっと嬉しくなった。
私が緊張してるのを悟ってくれたのだろうか。
質疑応答の様に、淡々と質問を投げかけられる。
「おみさんは、猫派? 犬派?」
どこかで聞いたような質問。
そういえば、マッチングアプリでも同じ質問があったっけ。
「強いていうなら、犬派かなあ……」
「え! そうなの! 僕も絶対犬派」
よしくんの顔が、ぱあっと明るくなった。
好きなことが同じということも嬉しい。
「やっぱり犬かわいいよなあ」
「チワワとか大好きなんです」
「うんうん、わかるー! 僕も一緒」
会話が弾んで、なんだか私まで口角があがる。
それから話していくと、共通点の多さに驚いた。
好きな食べ物。
好きな映画のジャンル。
好きな俳優。
私が答えると「え! 僕もだよ?」と毎回のように、目を丸くさせるので、クスッと笑ってしまった。
「こんなに気が合う人初めてかも」
ふいにこぼれ落ちたのは、本音だった。
初対面の会話で、こんなにも通じるところがあるなんて、初めての経験。
自分と同じものを好きだと言ってくれるのは嬉しいもので、親近感を覚えた。
「うんうん、僕もだよ。僕たち相性がいいのかもしれないね?」
そういうと、私の目をまっすぐ見つめる。
思わずどきりとしてしまう。
だって、同じことを思っていたから。
こんなにも初対面で話が盛り上がるなんて、きっと相性がいいのだと私も思う。
その日は、よしくんがこの後予定があるということで解散することになった。
マッチングアプリと聞くと、今までどこか引け目を感じていたけど。
実際会ってみたら、普通の人だった。
出会い方がマッチングアプリだっただけで、よしくんとは他の出会い方をしても仲良くなれそうな気がするほど。
そう思えるのは、きっと共通点が多かったからだと思う。
初対面なのにこんなにも話が盛り上がったのは、過去に出会った人でいなかった。
そんな風に振り返ると、口角がにんまりと上がる。
♦︎
「え、マッチングした人と会ったの!?」
次の日、会社で莉愛を見かけると、こそっと報告をした。
場違いなほど大きなリアクションをされて、思わずあたふたしてしまう。
「ちょっと、声が大きいよ! マッチングなんて声張らないで」
「ごめんごめん」
軽く謝った後、じりじりと近づいてきた。
「それで? どうだった?」
「結構……よかったかも?」
控えめに返すと、ニマニマと含んだ笑みを向けられる。
「どんな人だったの?」
「とにかく気が合って……素敵な人、かな」
ちょっと照れ臭くなりながらも、そう返した。
あんなに躊躇していたマッチングアプリ。
「飛び込んでみてよかったなあ」
にんまりと緩んだ口元から、ぽつりとこぼれ落ちた。
♦︎
なにも予定がなく迎えた休日。
家でまったりしていると、ふとあの時飲んだチョコレートラテが飲みたくなった。
よしくんと行ったカフェは、家からも遠くはない。
女性一人でもは入りやすい穏やかな雰囲気だったし。
時間を持て余した私は、カフェに足を運んだ。
まだお客さんは少なくて、比較的空いていた。
案内されるまま、席へと座る。
メニュー表を見ると、どれも美味しそうで心が躍る。
考えた末、結局この間と同じチョコレートラテを注文した。
店員さんが運んできたチョコレートラテを口に運び、広がる甘さの余韻に浸る。そんな時だった。
「わあ、このお店かわいいね」
聞こえてきたのは、可愛らしい女性の声。
どうやら後ろの席に座ったらしい。
背中越しに聞こえる声は弾んでいて、数日前の私と重なった。
「うんうん。このお店とってもかわいいね」
背後から聞こえてきた声に、ピクッと体が反応する。
ふいにある人物の顔が脳裏に浮かぶ。
ちょっと高めの声。それに独特の相槌。
この声知ってる。私の記憶の中のよしくんと重なるんだ。
その瞬間、ざわりと嫌な予感がした。
「このお店かわいいね。私初めて来たよ」
この会話、聞き覚えがありすぎる。
数日前の私は、同じ場所で、同じセリフを言っていたから。
「うんうん、わかるー。僕もこのお店初めて来た」
聞こえてきた返答は、以前私に向けられたものと同じだった。
耳に届けば届くほど、よしくんの声に思えて仕方がない。
独特の相槌も、優しい話し方も。全てあの時のよしくんと重なってしまう。
私の嫌な予感が当たってると仮定すると、彼は嘘をついている。
だってつい数日前に、私とここにきたばかり。
初めてだなんて、大嘘だ。
それからも彼はどの質問にも、うんうんと相槌をうち、共感の声をあげている。
ある可能性が膨らんで、それは核心に変わっていく。
おそらく、この声の主はよしくんだ。
胸が落ち着かない中、背中越しの会話は続く。
「犬派? 猫派?」
聞き覚えのある声が、既視感のある質問をする。
「えっと、猫かな。実は猫飼ってるんだあ」
「うんうん、わかるー。僕も猫飼ってるよ」
耳に届く会話に、サーッと血の気が引いた。
私との会話では、よしくんは犬派と言っていたのに。
それに、猫を飼ってるだなんて、一切言ってなかった。
なんだか冷静になってきた。
よく考えれば、初めて会った他人同士。
そんなに共通点が見つかるわけがない。
少し考えれば、共通点が多すぎることに、不信感を感じていいのに。
あの時の私は、浮かれていたのかもしれない。
そんな風に冷静な判断をする自分と、まだ格闘する声も心に残る。
ただ、よしくんと声質が似ている人かもしれない。
全くの別人かもしれない。
そんな期待と不安が、胸の中で交差している。
これは私の目で確認しないと。
そう思い、期待を瞳に込めてゆっくり振り返った。
すると、目に飛び込んできたのは――。
「僕たち、相性がいいのかもしれないね」
見覚えのある満面の笑み。
私ではない目の前の女性に笑いかけるのは、たしかによしくんだった。
視界に映るのは、あんなにも心が揺れた笑顔。
表情は同じはずなのに思わずゾッとした。
彼が放つ言葉も、笑顔も、私に向けられたものと同じ。
まるでテンプレみたいに、違う女性にも使っている。
なるほど、そういうことか。
あの日の会話は、ただ私に合わせてたってことね。
共通点が多いだなんて、それは作られたものだった。
つまり、よしくんの会話は大半が嘘。その場しのぎの会話で、さも共通点が多いように見せてるってこと。
「うんうん」と相槌を打つ、心地よさを感じていた彼の癖。
それも、僕は君に共感してるよ? と、単なるアピールだったということか。
点と点が繋がると、私は冷静になる。
息をするように嘘をついて、清々しいほどの笑みを浮かべられる彼が怖くなってきた。
あれほど浮かれていた恋心も、スッと溶けるように消えた。
この際、なにか言ってやろうかな。
一瞬そんなことを頭をよぎる。
怒りを落ち着かせるため、目の前にあるチョコレートラテを吸い込んだ。あんなに甘かったはずなのに、どこか苦みを感じる。
ぐいっと飲み干して、伝票をぎゅっと握りしめた。
横目でキッと睨み、勢いよく席を立つ。結局、私は言葉を飲み込んだ。
そのまま彼らの横を通り過ぎていく。
すぐ横を通っても、気づかれもしなかった。
彼にとって、私なんてその程度の存在だったのだと思う。
そう理解した途端、吐きそうになった。
少しでもいいな。と思った時間を返してほしい。
彼は息を吐くように嘘をつく人で、そんな彼に淡い恋心を抱いていただなんて。
身震いがするほど怖くなった。
マッチングアプリのおかげで、短期間のうちに二つの感情を知れた。
甘く恋する気持ちと、人を怖いと思う感情。
恋と怖いは案外近いのかもしれない。



