「花ちゃんちょっと入れて!」
「いいけど、どうしたの麻子ちゃん。」
花ちゃんが泊まる510号室に駆け込むと、肩の力が一気に抜け、心臓がバクバクしているのが伝わって来た。
「麻子ちゃんどうしたの?」
「お母さんすみません。ちょっとこっちの部屋に泊めてもらえますか?」
奥からお義母さんが出てきた。私と旦那用にとった524号室のダブルルームにはもう戻れない。廊下に出ることすら恐怖だった。
廊下にアイツが居るかもしれない。
部屋の場所を知られているかもしれない。
私と旦那の世界を壊しに来たのかもしれない。
*
さかのぼること30分ほど前。私と旦那、そして旦那のお母さんと妹の花ちゃんがホテルにチェックインした。エレベーターで5階に着いて、私たちは左へ、花ちゃんとお義母さんは右へ向かった。
問題はそこからだった。
(え?)
反射的に旦那の後ろに隠れた。間違いない、アイツだ。黒縁の四角いメガネに贅肉を蓄えた腹。旦那と付き合う前にマッチングアプリで出会ったアイツだ。
アイツは私たちとすれ違って、エレベーター方面に進んだ。部屋に入るとき、エレベーターの方をチラッと見ると、アイツがこちらを向いていた。
そこから急に息ができなくなって、部屋に入ってからも動悸が止まらなかった。
「麻ちゃんどうしたの?」
「ア、アイツが居たの。」
「え?」
「ほら、孝志くんと付き合う前に付き合ってたマッチングアプリの…。」
あー、と相槌を打ちながら、旦那の眉間にはどんどんシワが寄っていた。私にとっても旦那にとっても、アイツは会いたくない相手だった。
「まー、食事もつけてないし、おれも一緒だし。大丈夫じゃね?」
「そうだね、そうだといいな。」
「ちょっとタバコ吸ってくるね。部屋出なければ大丈夫でしょ?」
「うん。わかった。」
旦那は持ってくれていたスーツケースをソファサイドに置くと、カードキーをお尻のポケットに入れて、1階に用意されている喫煙所へ行ってしまった。
独りダブルベッドに腰を下ろすと、アイツのことが鮮明に思い出される。3年前にどうしても結婚したくなって登録したマッチングアプリ。「えっ? こんな人居るの?」というくらい好条件だったアイツ。給料が高く、スポーツもできて、大企業勤務。
でも、付き合ってわかった。アイツは私の結婚相手にはできない、ということ。
高い給料は趣味のギャンブルと車に消えていて、貯金はほとんどない。スポーツができたのは遥か昔の学生時代のことで、今も食べる量が変わらずお腹が膨らむ一方。そして「大企業に勤めている」という肩書きだけで、中身はどんどん落ちぶれている。
アイツと結婚していいのか、迷いが出た頃に今の旦那と出会いスピード結婚というわけだ。旦那にはそういう相手が居たことも伝えてあるし、付き合った日に重なりはない。
でもなぜか、悪いことをした気分でいる。私も旦那も。
自分の幸せを考えて、一応義理も通しているのに。
考えても仕方ないけど、この場の安全を確認したくて、チラッとドアを開けてエレベーターの方を見た。
(あ! ひさしぶり!!)
そう言わんばかりのキミ悪い笑顔。慌ててドアを閉める。オートロックだけど、念の為内鍵も閉める。
ベッドまで戻って頭を整理する。
アイツはこのホテルにいる。
2度目があってエレベーターから左に進んだ520番台の部屋にいることもバレている。
迷っている時間はなかった。
身の回りのものだけを持って部屋を出て右左、あいつに見られていないことを確認して、花ちゃんたちの510号室を目指した。
*
「いいけど、どうしたの?」
お義母さんの問いかけに、私はただただ息を落ち着けて、うんうんとうなずくしかできなかった。
「ちょっと、会いたくない人が私たちの部屋の近くに居て…。」
アイツのことは旦那にしか話していない。お義母さんや花ちゃんは知らない存在だ。
「そう。じゃあ一緒に泊まろ。」
「じゃあ一緒にゲームしない?」
お義母さんが何も聞かず、快く受け入れてくれて、花ちゃんはどこにしまって持ってきたのか人生ゲームを広げ始めた。
「ありがとうございます。」
いま大事なのは、この家族だ。
旦那がいて、お義母さんと花ちゃんがいて。私にとっては血のつながった家族ではないけれど、お互いを思いやり、適度な距離感で嫌なところには踏み込まない。そんな家族が大好きだ。
「孝志は知ってるのかい?」
「あ、そうだ。タバコに行ってました。連絡しますね。」
ポケットからスマホを出して、旦那にLINEを入れる。
『やっぱ怖くて、お母さんたちの部屋にいます。』
ピコ。
LINEを送った裏で新しい通知がきている。トーク一覧で確認するとアイツからだった。
『あれ? 居ないの?』
『え? さっきいたよね?』
『会いたいよー』
立て続けにLINEが入ってくる。既読をつけたくもない。気味が悪く消してしまいたい。というか、そもそも送ってきてほしくない。
ピンポーン。
「ちょっと見てくるね。」
お義母さんが席を立つ。
「うちじゃなかったよ。誰もいなかった。」
ピンポーン。
またチャイムが鳴る。音的に同じく違う部屋だろう。
ピコン。
『部屋、どこなの?』
『いるのはわかってる!笑』
「笑」とかじゃないし、めっちゃ怖いんですけど。
アイツからのLINEがどんどん迫ってくる。
私の息遣いも荒く、激しくなってくるのがわかる。もう、息を吸うのが辛い。
「麻子ちゃんの番だよ。」
(…うん…。)
声も出さず、うなずいてルーレットに手を伸ばす。私の人生、好転させることはできるのか?
コンコンコン。
「はーい。」
またお義母さんが出てくれた。アイツだったら、もう終わりだ。どうしよう、どうしよう。
「いいけど、どうしたの麻子ちゃん。」
花ちゃんが泊まる510号室に駆け込むと、肩の力が一気に抜け、心臓がバクバクしているのが伝わって来た。
「麻子ちゃんどうしたの?」
「お母さんすみません。ちょっとこっちの部屋に泊めてもらえますか?」
奥からお義母さんが出てきた。私と旦那用にとった524号室のダブルルームにはもう戻れない。廊下に出ることすら恐怖だった。
廊下にアイツが居るかもしれない。
部屋の場所を知られているかもしれない。
私と旦那の世界を壊しに来たのかもしれない。
*
さかのぼること30分ほど前。私と旦那、そして旦那のお母さんと妹の花ちゃんがホテルにチェックインした。エレベーターで5階に着いて、私たちは左へ、花ちゃんとお義母さんは右へ向かった。
問題はそこからだった。
(え?)
反射的に旦那の後ろに隠れた。間違いない、アイツだ。黒縁の四角いメガネに贅肉を蓄えた腹。旦那と付き合う前にマッチングアプリで出会ったアイツだ。
アイツは私たちとすれ違って、エレベーター方面に進んだ。部屋に入るとき、エレベーターの方をチラッと見ると、アイツがこちらを向いていた。
そこから急に息ができなくなって、部屋に入ってからも動悸が止まらなかった。
「麻ちゃんどうしたの?」
「ア、アイツが居たの。」
「え?」
「ほら、孝志くんと付き合う前に付き合ってたマッチングアプリの…。」
あー、と相槌を打ちながら、旦那の眉間にはどんどんシワが寄っていた。私にとっても旦那にとっても、アイツは会いたくない相手だった。
「まー、食事もつけてないし、おれも一緒だし。大丈夫じゃね?」
「そうだね、そうだといいな。」
「ちょっとタバコ吸ってくるね。部屋出なければ大丈夫でしょ?」
「うん。わかった。」
旦那は持ってくれていたスーツケースをソファサイドに置くと、カードキーをお尻のポケットに入れて、1階に用意されている喫煙所へ行ってしまった。
独りダブルベッドに腰を下ろすと、アイツのことが鮮明に思い出される。3年前にどうしても結婚したくなって登録したマッチングアプリ。「えっ? こんな人居るの?」というくらい好条件だったアイツ。給料が高く、スポーツもできて、大企業勤務。
でも、付き合ってわかった。アイツは私の結婚相手にはできない、ということ。
高い給料は趣味のギャンブルと車に消えていて、貯金はほとんどない。スポーツができたのは遥か昔の学生時代のことで、今も食べる量が変わらずお腹が膨らむ一方。そして「大企業に勤めている」という肩書きだけで、中身はどんどん落ちぶれている。
アイツと結婚していいのか、迷いが出た頃に今の旦那と出会いスピード結婚というわけだ。旦那にはそういう相手が居たことも伝えてあるし、付き合った日に重なりはない。
でもなぜか、悪いことをした気分でいる。私も旦那も。
自分の幸せを考えて、一応義理も通しているのに。
考えても仕方ないけど、この場の安全を確認したくて、チラッとドアを開けてエレベーターの方を見た。
(あ! ひさしぶり!!)
そう言わんばかりのキミ悪い笑顔。慌ててドアを閉める。オートロックだけど、念の為内鍵も閉める。
ベッドまで戻って頭を整理する。
アイツはこのホテルにいる。
2度目があってエレベーターから左に進んだ520番台の部屋にいることもバレている。
迷っている時間はなかった。
身の回りのものだけを持って部屋を出て右左、あいつに見られていないことを確認して、花ちゃんたちの510号室を目指した。
*
「いいけど、どうしたの?」
お義母さんの問いかけに、私はただただ息を落ち着けて、うんうんとうなずくしかできなかった。
「ちょっと、会いたくない人が私たちの部屋の近くに居て…。」
アイツのことは旦那にしか話していない。お義母さんや花ちゃんは知らない存在だ。
「そう。じゃあ一緒に泊まろ。」
「じゃあ一緒にゲームしない?」
お義母さんが何も聞かず、快く受け入れてくれて、花ちゃんはどこにしまって持ってきたのか人生ゲームを広げ始めた。
「ありがとうございます。」
いま大事なのは、この家族だ。
旦那がいて、お義母さんと花ちゃんがいて。私にとっては血のつながった家族ではないけれど、お互いを思いやり、適度な距離感で嫌なところには踏み込まない。そんな家族が大好きだ。
「孝志は知ってるのかい?」
「あ、そうだ。タバコに行ってました。連絡しますね。」
ポケットからスマホを出して、旦那にLINEを入れる。
『やっぱ怖くて、お母さんたちの部屋にいます。』
ピコ。
LINEを送った裏で新しい通知がきている。トーク一覧で確認するとアイツからだった。
『あれ? 居ないの?』
『え? さっきいたよね?』
『会いたいよー』
立て続けにLINEが入ってくる。既読をつけたくもない。気味が悪く消してしまいたい。というか、そもそも送ってきてほしくない。
ピンポーン。
「ちょっと見てくるね。」
お義母さんが席を立つ。
「うちじゃなかったよ。誰もいなかった。」
ピンポーン。
またチャイムが鳴る。音的に同じく違う部屋だろう。
ピコン。
『部屋、どこなの?』
『いるのはわかってる!笑』
「笑」とかじゃないし、めっちゃ怖いんですけど。
アイツからのLINEがどんどん迫ってくる。
私の息遣いも荒く、激しくなってくるのがわかる。もう、息を吸うのが辛い。
「麻子ちゃんの番だよ。」
(…うん…。)
声も出さず、うなずいてルーレットに手を伸ばす。私の人生、好転させることはできるのか?
コンコンコン。
「はーい。」
またお義母さんが出てくれた。アイツだったら、もう終わりだ。どうしよう、どうしよう。



