週明け。
 月曜日。

 放課後。
 俺はまた、あの教室へと足を運んでいた。

 鍵は――やっぱり、開いている。
 ノートも、そこにきちんと置いてあった。

『誰でも良かったとは思っていましたが、今は、あなたと仲良くなりたいと思っています。初めて、返事をくださったので』

 丁寧な文面と、丁寧な字。

「あなたと、って……誰かも分からないやつと仲良くなって、どうするんだろ」

 口にした疑問をそのまま、俺は文字にした。

『誰とも知れない奴と仲良くなって、どうしたいの? やりたいことでもあるの?』

 そう書いて、ノートを閉じて――
 俺は、教室を後にした。



 翌日。

『色々とやりたいことはありましたが、交換日記が出来ているだけで、何だか満足できています。こうして誰かと話すこと、今まで殆どなかったので』

 誰かと話したことがない?
 ボッチ――か、言いたくはないが虐められでもしていたのだろうか。
 でもそんな人間が、わざわざある意味悪目立ちしそうな策を弄してまで、友人を欲するものだろうか。
 謎は深まるばかりだ。



 交換日記は、それからも続いた。
 放課後、俺が書いたことには、次の日の放課後までには必ず返事が書かれていた。
 土日が挟まる日でも、それは変わらなかった。二日挟まるというだけで、週明けには必ず返事があった。

『交換日記してるだけで満足?』

『はい。今は』

『まあ日記と言うか、これもうただの会話だけど。やりたかったことは、今はもうしたくないの?』

『したいとは思っています。でも、顔も名前も知らない幽霊を相手に、誰が遊んでくれると思いますか?』

『それもそうか。遊んでやるぞって言っても、遊んでくれって頼まれても、まずはお互いに顔と名前を知ってある程度の関係値もなきゃ難しいもんね』

『そういうことです。でも本当に、今はあなたとこうしてお話しが出来ているだけでも、とても満足しています。ありがとうございます』

『別に。部活にも入ってなくて暇だからさ。こっちも、いい暇つぶしにはなってるよ』

『それは何よりです。引かれていたら、どうしようかと思っていました』

『若干引いてるけどね。冷静になって考えたら怖いし変でしょ。日記を通して友達が欲しい幽霊とか。まあ、君が幽霊かどうかも分かってないんだけどさ』

『それはご想像にお任せ致します』

『自分の正体をご想像にお任せする幽霊っていうのも、おかしな話だよね』

 まったく。

「変なやつ」

 思わず、ノートを手に一人で笑ってしまった。
 日記なんて名ばかりの、互いに短い文章での会話。
 寧ろ、長文を書け、という方が難しい話で――学校での生活も家での生活も、別に日々面白いことも変わったこともないから、俺の方は綴ることがない。
 今日のところも、それだけ書いて、俺は教室を後にした。
 そうして正面玄関で靴を履き替え、外に出た時だった。

「あれ、真琴だ。お疲れ様」

 壁を隔てて隣り合わせになっている、職員用の玄関から出て来た姉と鉢合わせた。

「お疲れ。今帰り?」

「それ、私の台詞。今日もちょっと遅かったんだね。バスケ部?」

「――うん。今日は、ちょっとだけ。自主練だけじゃなくて、今日はチーム練もあるみたいだったから、邪魔になるし」

 嘘だ。
 また、胸がチクリと痛んだ。

「ふぅん……」

 姉は小さく呟きながら、バッグから取り出したお茶を一口。
 ふぅ、と息を吐いて、それを俺に手渡して来た。

「それは何よりだ。ちょっと、安心した」

 いっそのこと見抜かれていたら楽になれるのに、予想に反してそんなことを言うものだから、胸の痛みが少し強くなる。
 嘘を吐いていることそれ自体も、その嘘のせいで姉に安心感を与えてしまったことも。

 それでも――

「……ん」

 束の間でも、姉を安心させるために吐いた嘘。
 吐き出した言葉を、今更撤回することは出来ない。
 臆病なままの俺は、受け取ったボトルを煽って、お茶と一緒にその苦しさを飲み込んだ。



 次の日も、俺は空き教室へと赴いた。
 そこでまた日記を更新して、教室を後にする。
 そのサイクルで玄関へと向かう時間帯、丁度姉も仕事が終わる時間のようで――

「ちょっと話があるんだけどさ。一緒に帰ろっか」

 その日は、校門を出たところで待ち伏せていた姉に、捕まってしまった。

「――ん」

 間違いなく、心当たりはあった。
 だから俺は、ごねることもなく隣に立って、姉と共に家路についた。