吐く息も凍り付きそうな程に寒い、冬。
 真っ白な雪を払うと、僕は腰をおろし、手を合わせた。

『白浜家之墓』

 そう書かれた墓石の前で俺は、丁度一年くらい前までのことを思い返す。

 紅葉狩り、焼き芋、何でもない散歩――それだけでも十二分に幸せだったけれど。
 その後クリスマス、年越しと、冬の行事も共に過ごすことが出来た。

 小さなことでも盛大にやって、ただただ笑って時を過ごした。
 その度、麻衣は『ここまでしなくていいよ』と恥ずかしそうにしながらも、心の底からの笑顔を浮かべていた。

 四人で、泊りがけで温泉旅館にも行った。
 入浴ばかりはひとりぼっちだったけれど、部屋に戻ると賑やかで、楽しい旅行になった。
 そうそう。お酒を飲んだ佳代さんは、意外にもゆるゆるになってしまってたっけ。
 べたべたと麻衣に甘えた後で、姉の膝枕へと落ち着いた時には、流石に驚いた。

 麻衣の話だと、普段は一切人前でお酒は飲まないようにしていたらしい。
 それだけ、佳代さんも僕らに心を開いてくれたのかな。

 ああ、思い出した。麻衣も麻衣だった。
 寝ぼけ癖でもあるのか、夜中に一度布団を出た後、戻って来た時には俺の布団に潜り込んできた。
 流石にそれはまずいでしょ、と運んでいこうかと思った矢先、幸せそうな寝顔で抱き着いてきて……まったく。こっちの身にもなって欲しいよ。
 今だから言ってやるけど、あのあと朝になって麻衣の方が何も覚えてない様子だったから、俺の方から黙ってたんだから。

 まぁ――良かったは良かったけれど。
 あの幸せそうな寝顔は、本物だった。
 あの時は、俺と一緒なら安心して寝れそう、なんて言葉は半信半疑だったけれど。
 子どものようにふにゃふにゃと緩みきった寝顔を見ていたら、嬉しさからまた泣き出しそうだった。

 …………なんだ。
 ここに来たら、悲しいことまで思い出してしまうものかと思っていたのに。

 そんなこと、なかったな。
 浮かんで来たのは、楽しかったことばかりだ。

 思えば、お葬式の時だってそうだった。
 佳代さんと僕と姉、三人だけでの粛々とした葬儀だっただけに、もっと泣きじゃくるかと思っていたけれど、元々が長くなかった筈のところ、楽しめなかったことまで楽しめて、それだけ沢山の思い出も出来て、寂しいばかりじゃなかったからだ。

 涙は出た。
 けれど、辛いばかりのものじゃなかった。
 写真の中で笑う麻衣に、笑って返せるくらいには。

「まことー、そろそろ時間だよー」

 遠くの方から姉が呼ぶ。
 仰いだそちらでは、諸々の片付けを終えた姉と佳代さんが待っていた。

「今行くー!」

 短くそれだけ返して、俺はもう一度だけ目を閉じる。
 満足いくまで思いを送った後で、

「――よし。行って来ます、麻衣」

 最後にそっと撫でてから、俺は二人の待つ方と急いだ。
 佳代さんの運転する車に乗り込み、扉を閉める。

「ちゃんと話せた?」

「うん、ばっちり」

「うんうん、よしよし」

「ありがとうね、真琴君」

「行く前に話したがったの、俺ですから。おかげで、気も引き締まりました」

「そう。なら良かったわ」

 ルームミラー越しに、佳代さんが微笑んだ。

「共通テストなんてへっちゃらポンよ。肩の力抜いて、好きに頑張って来なさい」

「うん。家庭教師ありがと、姉ちゃん」

「可愛い弟の為だもの、当然よ。それに私、教師だし」

 ふふん、と鼻を鳴らして得意気な姉に、佳代さんが笑う。

「あ、佳代さん笑いましたね?」

「いえ、麻衣から聞いていた通り、本当に仲が良い姉弟ね。子どもが二人も増えた気分だわ」

「ふふん、本当の子どもになってあげてもいいんですよ?」

「それは――ええ、そうね。ふふっ。寂しくなったら、あなたたちを呼ぼうかしらね」

 佳代さんも、そんな冗談を返してくれるようになった。

「じゃあ佳代さん、お願いします」

 姉の言葉に頷くと、佳代さんは緩めにアクセルを踏んだ。
 窓の外――墓石の方を眺める俺に、もう一度だけ挨拶する為の時間をくれるように。


 ――ありがとう。大好き。行って来ます。また来るね。


 心の中、それだけのことをちゃんと言い終えたところで、車は通りを曲がって行った。



 ~終~