「――入っても良いですよ、佳代さん」
扉の方に話し掛ける。
先輩が寝息を立て始めて、更に幾らか時間が経ってからのこと。
「――失礼するわ」
そう言って入って来たのは佳代さん。
勿論、当てずっぽうなんかじゃない。
扉の裏から、あの花の香りが漂って来ていたから。
しかし、
「失礼致します」
その隣から、姉まで顔を出すとは思わなかった。
「なんで……?」
「お見舞いに来たら、偶然下で会ったのよ。あんたが先に来てることは分かってたから、二人で話してから来たんだけど――ちょっと遅かったかな」
「そうですね。榎くん、麻衣は?」
「眠りました。穏やかに。ほんと、良かった」
血色のいい、穏やかな顔を見ていると、これまでのことが一瞬で頭の中を駆け巡った。
「あっ、と、どうぞ…! 姉ちゃんも」
この部屋には、椅子は二つしかない。
慌てて退こうとする俺だったが、
「手、握っててあげて。その方が、麻衣もよく眠れるでしょうし」
その手を離しかけていた俺のことを制して、姉はベッドを挟んだ反対側の方へと移動した。
「私は大丈夫なので、佳代さん座ってください」
「そう? ありがとう、先生」
佳代さんは俺の隣に、姉は向かいでしゃがみ込み、柵に腕を乗せる形で座り込む。
暫くは、ピ、ピ、ピ、と響くモニターの音ばかりが聞こえていた。
けれどそれも、これまでのように不安を和らげてくれるだけのものではなくなっていた。
表示されている血圧、心拍の数値は、先輩が今は穏やかに眠っているのだと教えてくれているようだった。
「麻衣、これほんとは起きてるんじゃないの? あんたの手、握ったままだし」
寝たのだと分かるくらいには緩んでいるが、姉の言う通り、俺の手は確かに握り返されている。
このまま敢えて離れようとしたらどうしてくれるのだろう。そんなことを考えてしまうほど、先輩の手には力が入ったままだ。
「よほど榎くんと離れたくないのかしらね」
佳代さんが冗談ぽく言う。
「……だと、嬉しいんですけど。俺も、もう二度と離れたくは――突き放すようなことは、したくありませんし」
「ええ、そうならないようにね。あなたになら、安心して麻衣を任せられるわ。これからも、一緒にいてあげて頂戴」
「そんな……」
先輩が運動をしたがっていたのは、俺も知っている。
けれど、本当ならそれをしなくてもよかったところ、悪い意味で背中を押すようなことをしてしまったのは俺だ。
そんな俺に、任せられるだなんて。
——そう、後ろ向きにもなるけれど。
今は、とにかくこの人と離れたくはない。
それを肯定してくれる――赦してくれる事実が、何より嬉しかった。
その間違いを正してゆく為の、機会を与えてくれているようにも感じた。
「真琴」
と、今度は姉が俺の名前を呼んだ。
顔を上げる。
「やっぱり、あんたに麻衣を任せて正解だったわ。ありがとね、友達でいてくれて」
「麻衣さんの親みたいに言ってる」
「親みたいなものよ――って言うと佳代さんには悪いかもだけど、それくらい、私は麻衣から色んな話を聞いて、どうしたらいいかってずっと考えてた。例の日記、あの教室に置いた後でまた職員室に来て、良かったのかな、どうだったかな、って相談だってしに来たのよ?」
「日記を置いた後――」
ふと、思い出す。
先輩は言っていた。俺の存在を知ったから、分かったから、その上で日記を置いたのだと。
そのことを相談しに戻ったということは、だ。
「姉ちゃんは――俺があの日助けた人が麻衣さんだったって、知ってたのか」
「……ん、まぁね」
姉は、控えめに頷いた。
「色々あってね。佳代さんと話すようになったのも、それが理由よ。当時はお互いに素性も知れなかったけれど、それから麻衣が高校に上がって、今年から私のクラスに来るなんて。どんな運命よって話」
「てことは、佳代さんも――」
「ええ、君のことは知っていたわ。けれど、麻衣と交換日記をしている相手であったと知った時には、流石に驚いたわ」
麻衣さん――娘さんのことを助けた相手が誰だかは知っていて、姉とも交流を持っていたが、そこまでだったということか。
まさかその先で、同じ学校に通うことになって、交換日記なんかし始めて、今こうして関係者が揃うことになるなんて、確かに想像なんて出来ないよな。
「なんだ、俺だけ蚊帳の外だったのかよ」
「あはは。もう、膨れないの。言ったらあんた、絶対余計なこと考えて、一人でぐるぐるし出すでしょ?」
「うぅ……まぁ、よくお分かりで」
始めから知っていたら、先輩とは今のような関係になれていなかったと思う。
いや、なれなかった。
助けた相手が何か気を遣っているとか、自分の方も素直に何も言えなくなるとか、そんなことばかり考えて、心から先輩の為に何かしようとは、ともすれば思わなかったかもしれない。
「ありがとうね、榎くん。この子の願いに応えてくれて」
「きっかけは、俺からすれば本当にたまたまでしたけど」
「たまたま、心境の変化、気まぐれ――それだって、立派なその人の一部よ」
佳代さんは、それを当然のことのように言う。
「運命というものは、分からないこと、想像しないことの連続よ。だからこそ、どんなことであっても全てその人自身の責任になる。良くも悪くもね。無駄なこと、余計なことなんて、一つもないのよ。過ぎてしまえば、全てが意味のあったことに変わってしまうのだから」
「……はい」
胸に刻み付けておくべき言葉だ。
ありがたいものとしても、自身を戒める為のものとしても。
それだけの考えを持っていながら、佳代さんは俺に、今のように接してくれる。
それがどれだけ恵まれていることか。
噛み締めるだけ噛み締めて、俺はこの先を生きて行かないと。
「それにしても、まさかあんなに甘々なこと言う子だったなんてね」
「茶化すなよ」
「いやいや、あんたじゃなくて麻衣よ。なーんかちょっと嫉妬。私にだって、あんな風に喋ってくれたことないのに」
「教師だからでしょ」
「私だって、麻衣と友達になりたかったわよ」
「……もうなってんだろ、多分」
先輩も言っていた。
もっとも、友達を通り越して、姉だったら楽しそう、風なことをだけれど。
「そうだったら良いけどね」
姉は、満足気に笑った。
「てか聞いてたのかよ、恥ずかしい。そういうのって言わない約束じゃないの?」
「楽しそうな会話だったから、ついね。退院祝いは温泉なんでしょ?」
「俺が誘ったんじゃなくて、先輩が佳代さんを――あっ」
言いかけた口を噤む。
しかし、やや遅かったらしい。
佳代さんもその話は聞いていたのか、ふふ、と笑った後で麻衣さんの方に視線を向けた。
「もう、ほんとにこの子は。親なんて、娘の為に頑張るなんて当たり前なのに。それに引け目を感じるなんて」
「ほんとですよね。うちの子だって、その点聞きわけ悪くて」
誰がうちの子だ。
「子どもからすれば、それがイマイチよく分からないものなんだよ。理屈じゃ理解しても、感情が追いつかないんだ」
子どもなんて、大人くらい理屈で考えられるものじゃない。
だから大人と、ひいては親と、時に衝突してしまうのだろう。
「俺なんかよりよっぽど大人な麻衣さんでも、やっぱり佳代さんには――親相手には、そうなんだ……」
「親の私からすれば、この子の考えなんてまだまだ子どもよ。大人びて背伸びして、私に心配かけないようにって努めてるだけのね」
「……そういうものなんですね」
「そういうものよ。君と同じで、ね」
俺と同じ……それはこそばゆいな。
大人だ大人だと思っていた先輩にも、十代の子どもらしい側面がちゃんとあるんだ。
——いや、それは何となく分かるか。
新鮮なものに触れた時の、あの感情の膨らみ――彼女の特殊な境遇がそうさせていることは間違いないけれど。
意外にも表情豊かに、先輩は驚いたり喜んだりしていた。
そう。とても、子どもっぽく。
「まあ、でも――温泉か。たまには、私も土日で有休をとろうかしら」
「良いですね。親子水入らず、目一杯楽しんでください」
「ええ、そうさせてもらうわ。榎くんとのことを聞き出すには、お泊りじゃないと足りないもの」
「……ほんと、それだけは勘弁してください」
「ふふっ。冗談よ」
佳代さんは笑ってそう言うけれど。
先輩にも釘を打っておいた方が良いだろうか。
……打ったところで、たぶん話してしまうんだろうな。
「聞き出すのは冗談だけれど、まあ安心なさい。あなたたち二人のことは、私は親として応援しているから」
「……どうも」
それはつまり――そういうことだ。
俺が先輩に思いの為をぶつけたところから、いやそれ以前から、二人は扉の外にいたということになる。
待たせてしまっていたのは申し訳ないけれど、それならそれで、やっぱり触れないでおいて欲しかった。
でも、認めてもらえたことは素直に嬉しくて……。
なんだよ、これ。
大人って、いい性格してるよ。
「――っと、いい時間ね。真琴、そろそろ帰ろっか」
姉がそう言ったことで窓の外に目を向けると、もうすっかり陽が沈みそうな頃合いになっていた。
随分と長い時間、話し込んでしまった。
「退院の日取りが決まったら、二人にも教えますね。気を付けて」
「はい。ありがとうございます。佳代さんも、無理なくお過ごしください」
「一番無理してるのはこの子だけれど――ええ、胸に留めておくわ。それじゃあね」
そう言って佳代さんは、控えめに手を振った。
それに姉も手を振り返し、俺は会釈を返してから、荷物を纏め、病室を後にした。
扉がしっかり閉まったことを確認してから、姉は俺に向き直る。
「言いたいこと、ちゃんと言えた?」
「……うん」
「それは何よりだ。頑張ったね」
「……うん。まだ、一個だけ言えてないことあるけど、それは麻衣さんが退院してからって約束したから」
「――そっか」
姉は目を伏せ、優しく笑う。
「それにしても――麻衣さん、ね」
「悪いかよ」
「悪いことはないけど、あの子の方は『真琴くん』って呼んでたのに、あんたの方はいつまでも『先輩』つけて日和ってんだろって思ってた」
「……うっさい」
「ふふーん。で、今日の夕飯は?」
「姉ちゃんは米粒一つ」
「うん、最高に豪華だ。さ、行くよー」
姉は悪戯っぽく笑うと、ズンズン先を歩いてゆく。
その背を追いながら俺は、先輩が退院した時、改めて伝えるならどんな言葉が相応しいだろうかと考えていた。
扉の方に話し掛ける。
先輩が寝息を立て始めて、更に幾らか時間が経ってからのこと。
「――失礼するわ」
そう言って入って来たのは佳代さん。
勿論、当てずっぽうなんかじゃない。
扉の裏から、あの花の香りが漂って来ていたから。
しかし、
「失礼致します」
その隣から、姉まで顔を出すとは思わなかった。
「なんで……?」
「お見舞いに来たら、偶然下で会ったのよ。あんたが先に来てることは分かってたから、二人で話してから来たんだけど――ちょっと遅かったかな」
「そうですね。榎くん、麻衣は?」
「眠りました。穏やかに。ほんと、良かった」
血色のいい、穏やかな顔を見ていると、これまでのことが一瞬で頭の中を駆け巡った。
「あっ、と、どうぞ…! 姉ちゃんも」
この部屋には、椅子は二つしかない。
慌てて退こうとする俺だったが、
「手、握っててあげて。その方が、麻衣もよく眠れるでしょうし」
その手を離しかけていた俺のことを制して、姉はベッドを挟んだ反対側の方へと移動した。
「私は大丈夫なので、佳代さん座ってください」
「そう? ありがとう、先生」
佳代さんは俺の隣に、姉は向かいでしゃがみ込み、柵に腕を乗せる形で座り込む。
暫くは、ピ、ピ、ピ、と響くモニターの音ばかりが聞こえていた。
けれどそれも、これまでのように不安を和らげてくれるだけのものではなくなっていた。
表示されている血圧、心拍の数値は、先輩が今は穏やかに眠っているのだと教えてくれているようだった。
「麻衣、これほんとは起きてるんじゃないの? あんたの手、握ったままだし」
寝たのだと分かるくらいには緩んでいるが、姉の言う通り、俺の手は確かに握り返されている。
このまま敢えて離れようとしたらどうしてくれるのだろう。そんなことを考えてしまうほど、先輩の手には力が入ったままだ。
「よほど榎くんと離れたくないのかしらね」
佳代さんが冗談ぽく言う。
「……だと、嬉しいんですけど。俺も、もう二度と離れたくは――突き放すようなことは、したくありませんし」
「ええ、そうならないようにね。あなたになら、安心して麻衣を任せられるわ。これからも、一緒にいてあげて頂戴」
「そんな……」
先輩が運動をしたがっていたのは、俺も知っている。
けれど、本当ならそれをしなくてもよかったところ、悪い意味で背中を押すようなことをしてしまったのは俺だ。
そんな俺に、任せられるだなんて。
——そう、後ろ向きにもなるけれど。
今は、とにかくこの人と離れたくはない。
それを肯定してくれる――赦してくれる事実が、何より嬉しかった。
その間違いを正してゆく為の、機会を与えてくれているようにも感じた。
「真琴」
と、今度は姉が俺の名前を呼んだ。
顔を上げる。
「やっぱり、あんたに麻衣を任せて正解だったわ。ありがとね、友達でいてくれて」
「麻衣さんの親みたいに言ってる」
「親みたいなものよ――って言うと佳代さんには悪いかもだけど、それくらい、私は麻衣から色んな話を聞いて、どうしたらいいかってずっと考えてた。例の日記、あの教室に置いた後でまた職員室に来て、良かったのかな、どうだったかな、って相談だってしに来たのよ?」
「日記を置いた後――」
ふと、思い出す。
先輩は言っていた。俺の存在を知ったから、分かったから、その上で日記を置いたのだと。
そのことを相談しに戻ったということは、だ。
「姉ちゃんは――俺があの日助けた人が麻衣さんだったって、知ってたのか」
「……ん、まぁね」
姉は、控えめに頷いた。
「色々あってね。佳代さんと話すようになったのも、それが理由よ。当時はお互いに素性も知れなかったけれど、それから麻衣が高校に上がって、今年から私のクラスに来るなんて。どんな運命よって話」
「てことは、佳代さんも――」
「ええ、君のことは知っていたわ。けれど、麻衣と交換日記をしている相手であったと知った時には、流石に驚いたわ」
麻衣さん――娘さんのことを助けた相手が誰だかは知っていて、姉とも交流を持っていたが、そこまでだったということか。
まさかその先で、同じ学校に通うことになって、交換日記なんかし始めて、今こうして関係者が揃うことになるなんて、確かに想像なんて出来ないよな。
「なんだ、俺だけ蚊帳の外だったのかよ」
「あはは。もう、膨れないの。言ったらあんた、絶対余計なこと考えて、一人でぐるぐるし出すでしょ?」
「うぅ……まぁ、よくお分かりで」
始めから知っていたら、先輩とは今のような関係になれていなかったと思う。
いや、なれなかった。
助けた相手が何か気を遣っているとか、自分の方も素直に何も言えなくなるとか、そんなことばかり考えて、心から先輩の為に何かしようとは、ともすれば思わなかったかもしれない。
「ありがとうね、榎くん。この子の願いに応えてくれて」
「きっかけは、俺からすれば本当にたまたまでしたけど」
「たまたま、心境の変化、気まぐれ――それだって、立派なその人の一部よ」
佳代さんは、それを当然のことのように言う。
「運命というものは、分からないこと、想像しないことの連続よ。だからこそ、どんなことであっても全てその人自身の責任になる。良くも悪くもね。無駄なこと、余計なことなんて、一つもないのよ。過ぎてしまえば、全てが意味のあったことに変わってしまうのだから」
「……はい」
胸に刻み付けておくべき言葉だ。
ありがたいものとしても、自身を戒める為のものとしても。
それだけの考えを持っていながら、佳代さんは俺に、今のように接してくれる。
それがどれだけ恵まれていることか。
噛み締めるだけ噛み締めて、俺はこの先を生きて行かないと。
「それにしても、まさかあんなに甘々なこと言う子だったなんてね」
「茶化すなよ」
「いやいや、あんたじゃなくて麻衣よ。なーんかちょっと嫉妬。私にだって、あんな風に喋ってくれたことないのに」
「教師だからでしょ」
「私だって、麻衣と友達になりたかったわよ」
「……もうなってんだろ、多分」
先輩も言っていた。
もっとも、友達を通り越して、姉だったら楽しそう、風なことをだけれど。
「そうだったら良いけどね」
姉は、満足気に笑った。
「てか聞いてたのかよ、恥ずかしい。そういうのって言わない約束じゃないの?」
「楽しそうな会話だったから、ついね。退院祝いは温泉なんでしょ?」
「俺が誘ったんじゃなくて、先輩が佳代さんを――あっ」
言いかけた口を噤む。
しかし、やや遅かったらしい。
佳代さんもその話は聞いていたのか、ふふ、と笑った後で麻衣さんの方に視線を向けた。
「もう、ほんとにこの子は。親なんて、娘の為に頑張るなんて当たり前なのに。それに引け目を感じるなんて」
「ほんとですよね。うちの子だって、その点聞きわけ悪くて」
誰がうちの子だ。
「子どもからすれば、それがイマイチよく分からないものなんだよ。理屈じゃ理解しても、感情が追いつかないんだ」
子どもなんて、大人くらい理屈で考えられるものじゃない。
だから大人と、ひいては親と、時に衝突してしまうのだろう。
「俺なんかよりよっぽど大人な麻衣さんでも、やっぱり佳代さんには――親相手には、そうなんだ……」
「親の私からすれば、この子の考えなんてまだまだ子どもよ。大人びて背伸びして、私に心配かけないようにって努めてるだけのね」
「……そういうものなんですね」
「そういうものよ。君と同じで、ね」
俺と同じ……それはこそばゆいな。
大人だ大人だと思っていた先輩にも、十代の子どもらしい側面がちゃんとあるんだ。
——いや、それは何となく分かるか。
新鮮なものに触れた時の、あの感情の膨らみ――彼女の特殊な境遇がそうさせていることは間違いないけれど。
意外にも表情豊かに、先輩は驚いたり喜んだりしていた。
そう。とても、子どもっぽく。
「まあ、でも――温泉か。たまには、私も土日で有休をとろうかしら」
「良いですね。親子水入らず、目一杯楽しんでください」
「ええ、そうさせてもらうわ。榎くんとのことを聞き出すには、お泊りじゃないと足りないもの」
「……ほんと、それだけは勘弁してください」
「ふふっ。冗談よ」
佳代さんは笑ってそう言うけれど。
先輩にも釘を打っておいた方が良いだろうか。
……打ったところで、たぶん話してしまうんだろうな。
「聞き出すのは冗談だけれど、まあ安心なさい。あなたたち二人のことは、私は親として応援しているから」
「……どうも」
それはつまり――そういうことだ。
俺が先輩に思いの為をぶつけたところから、いやそれ以前から、二人は扉の外にいたということになる。
待たせてしまっていたのは申し訳ないけれど、それならそれで、やっぱり触れないでおいて欲しかった。
でも、認めてもらえたことは素直に嬉しくて……。
なんだよ、これ。
大人って、いい性格してるよ。
「――っと、いい時間ね。真琴、そろそろ帰ろっか」
姉がそう言ったことで窓の外に目を向けると、もうすっかり陽が沈みそうな頃合いになっていた。
随分と長い時間、話し込んでしまった。
「退院の日取りが決まったら、二人にも教えますね。気を付けて」
「はい。ありがとうございます。佳代さんも、無理なくお過ごしください」
「一番無理してるのはこの子だけれど――ええ、胸に留めておくわ。それじゃあね」
そう言って佳代さんは、控えめに手を振った。
それに姉も手を振り返し、俺は会釈を返してから、荷物を纏め、病室を後にした。
扉がしっかり閉まったことを確認してから、姉は俺に向き直る。
「言いたいこと、ちゃんと言えた?」
「……うん」
「それは何よりだ。頑張ったね」
「……うん。まだ、一個だけ言えてないことあるけど、それは麻衣さんが退院してからって約束したから」
「――そっか」
姉は目を伏せ、優しく笑う。
「それにしても――麻衣さん、ね」
「悪いかよ」
「悪いことはないけど、あの子の方は『真琴くん』って呼んでたのに、あんたの方はいつまでも『先輩』つけて日和ってんだろって思ってた」
「……うっさい」
「ふふーん。で、今日の夕飯は?」
「姉ちゃんは米粒一つ」
「うん、最高に豪華だ。さ、行くよー」
姉は悪戯っぽく笑うと、ズンズン先を歩いてゆく。
その背を追いながら俺は、先輩が退院した時、改めて伝えるならどんな言葉が相応しいだろうかと考えていた。



