数分後。

 通常の試合は五分の延長時間だけれど、午後からの日程も考慮し、延長は三分ずつと決まった。
 両クラスとも、打ち合い、守り合いの展開。
 終始うちがリードを奪っていた中、ラスト十数秒で逆転を許し、一点差を追いかける最後の攻撃。
 気合い十分にゴール下へと斬り込んだ悟志を止めるべく飛ぶバスケ部、その間際にクラスメイトへと渡されるボール。
 そのシュートを阻止すべく、賢しく残ったもう一人の元仲間が飛んだ瞬間、そいつは俺にパスを寄越して――

(これさえ入れれば…!)

 ブロックに来る人間はいないドフリー。
 シュートを一本打つだけ。簡単なこと。

 ……その、筈だった。

「っ……!」

 シュートを打つべく踏み込んだ足は激しい痛みを覚え、そのまま膝から崩れ、ボールを零してしまった。
 何とかそれを拾い上げる悟志だったが、無情にも三分経過を報せるブザーが鳴り――試合は、一点差で負けてしまった。
 俺は両膝、両手をついて、その場に力なく崩れた。
 立っているのもやっとなくらいの、痺れるような痛みが、膝から全身へと駆け巡った。

「マコ…!」

 手を貸してくれたのは、悟志と二組の連中。
 俺の身体を起こすと、そのまま壁際へと連れて行ってくれた。

「試合は惜しかったが、大丈夫か……?」

 悟志が言う。

「……まぁ、何とか」

 身体は何とか無事だ。歩けはする。
 けれどもそれ以上に、心の方が無事ではなかった。

「……表彰式だってよ。行ってきて」

「でも――いや分かった。後で保健室連れてってやるから、ちょっと休んでろな」

 言い残して去ってゆく悟志と共に、二組の連中も表彰台前へと整列。
 一人残った俺は――深く息を吐いて天井を仰ぎ、壁に身体を預けて全身の力を抜いた。

(終わった……終わっちゃったのか……)

 言いようのない心地に、顔をしかめる。
 久しぶりの熱と共に、思い出してしまった。
 吐き戻しそうなくらいに苦く苦しい、敗北の味。

「お疲れ様、真琴くん」

 先輩の声が耳を打ったけれど、もう振り返るだけの力も残っていなかった。

「惜しかったね。でも準優勝だって、凄いね」

 手渡されたタオルを、無造作に顔に掛ける。

「かっこよかったよ、真琴くん」

 弾むように明るい声に、

「…………どこが、ですか」

 そう返す声は、自分でも思った以上に低く、冷たく零れた。

「どこがって、大活躍だったよ。何本も何本もシュート決めて、悟志さんとの連携もばっちりで――」

「でも、勝てませんでした……」

「それは残念だけど、でも――」

「勝てなかった……勝てなかったんですよ……先輩に、優勝をあげるって約束したのに…!」

「たったの一点差だよ。私、優勝したみたいな気持ちで――」

「それじゃ意味がないじゃないですか…!」

 違う。

「優勝をあげるって言ったんです、俺…! 先輩に優勝をあげるって…! 弁当もらって手当もしてもらって、勝てる気でいたんです…!」

 違う。
 違う違う。

「真琴、くん……」

「運動だけなんですよ……勉強なんて嫌いだし向上心もそんなに無いし、運動だけが自分を証明出来て、何か出来るって思った唯一のことだったのに……」

 違う。

 よせ。やめろ。もう黙れ。
 そんなことを言いたいんじゃない。
 何か出来るっていうのは、先輩の為にって意味で――そう言えば良いだけなのに。

「で、でも、一点だけ、一点だけだよ…! 真琴くんが頑張ったの、私ちゃんと――」

「バスケだけなんです……バスケだけだったのに…!」

 何をそんなに焦っているのか。
 そう、焦っているのだ。
 確実に終わりが近付くその中で、自分に唯一出来ること。
 それを証明出来る絶好の機会だったのに、証明出来なかったこと。

 ただの一回。今日だけだった。
 全ては、先輩の為だった。

 それなのに……。

「私、運動したことないけど、凄いことだって分かるよ。だから――」

「運動をしたことないって言うなら、分かりませんよ……どれだけ悔しいかなんて……」

 違う。
 違う違う。
 違う違う違う。

 俺は、先輩の為に優勝できなかったことが――


「運動したことがない先輩には、運動を奪われたやつの気持ちなんて……」

 言いかけて、ハッとした。

 けれど――

「…………うん。そうだね」

 全てが、遅かった。

「……私、自分のクラスの応援に行って来るね……ご、ごめん、ね……」

 今にも泣きだしそうな顔を隠して、先輩はそのまま走って行ってしまった。
 言いたいことじゃなかった。

 でも――誰にも言えないことでもあった。
 人間、心身が追い込まれた時に本音が漏れるとはよく言うけれど。

「く、そ…………大バカ野郎」

 俺が先輩の為にしたかったのは、そんな気持ちからじゃなかった筈なのに。

――もう二度と、ごめんなさいなんて、口にさせないでいいように――

 そう思っていたはずなのに。
 たった一つ、小さな優勝を手に出来なかった、それだけのことで――
 俺は、全てを失ってしまった。