一試合、二試合――ギリギリな場面はありつつも、順当に勝ち進んでゆく俺たち一組。

 身体は思う通りに動き、足に違和感もない。この手から離れるボールの感覚に、俺は懐かしさと興奮、同時に緊張感も覚えていた。
 対する二組は、余裕ある内容で勝ち進んで行っていた。バスケ部のいない組相手にはちゃんと試合になるよう配慮もしつつ、最後はしっかりと締めて勝つ――決して相手を舐めている訳ではないそのやり方に、益々以て実力差を感じた。

 準決勝。バスケ部のいない三組の気迫に終始圧されながらも、なんとか辛勝を決め、晴れて決勝への切符を手にした。

 その準決勝の最中に俺は、少し足に違和感を感じた。
 体力の限界じゃない。怪我に響き始めていたのだ。
 もう一つの準決勝が行われる十五分の間に、氷でも何でも良いから、痛み、理想的な動きとの乖離を誤魔化さないと。
 そう思い立ち、悟志らに断りを入れてチームから一時離れる俺のことを、二階席から見ていたらしい先輩が下りて来て、迎えてくれた。

「お疲れ様、真琴くん。保健室に行くんだよね」

「……やっぱ分かりますか」

「うん、ちょっと辛そう。悟志さん、だっけ、あの人も、ずっと君のこと見てたよ」

「まぁあいつなら気付いてるよな……早いとこ、ちょっとだけでも戻さないと」

「一緒に行こ、って言いたいけど、応急手当ならここでも出来るよ。私、持ってきた」

 そう言う先輩は、小脇に抱えていた保冷用の小さな鞄から、保冷剤やテープといったものを取り出した。

「必要そうなもの、何となく家から持ってきたの。保冷剤は、準決勝前に保健室で。役に立ちそうで良かった。これで私も真琴くんに関われたから、優勝気分をちゃんと味わえそう」

「……優勝出来たら、MVPは間違いなく麻衣先輩ですね」

「ふふっ。でもごめん、私には手当ての心得がないから、先生呼んでくるよ。座って待ってて」

 そう言い残して、先輩はパタパタと早足で行った。
 お弁当だけでなく、こんな気遣いまで――。
 本当に、もしものことが起こったら、間違いなく先輩のおかげだ。
 この優しさに応えられるよう、何としてでも勝たないと。

「やいやい、誰かと思ったら我が弟じゃない。なっさけないわねー」

 戻って来た先輩が連れていたのは、まさかの姉だった。

「酷い言いようだ……てか何でいるんだよ。自分のクラスは?」

「今正にやってるよ。準決、うちの子たち。あんたの友達、やられちゃうかもね」

 ニヤニヤと、楽しそうに笑う姉。

「ご、ごめんね、真琴くん……手が空いてそうなの、榎先生しかいなくて……て、手当てくらいなら出来るって話されるし、選んでる暇もなかったから……」

「麻衣先輩が謝ることでは……」

 中学時代、俺が軽い怪我を繰り返したり、親代わりだという立場から、姉は応急処置については周りの誰より詳しかった。
 たまに見に来てくれた試合で仲間が怪我をした時も、何故か姉が手当てをしている場面も目にしたことがある。

 ……多分、あんまりやっちゃいけないことだとは思うけど。

「なーにあんたたち、随分と親しくなったんじゃん?」

「あぅ……や、あの、これはその…!」

 言葉に詰まる先輩も、何だか久しぶりに見た気がするな。

「良いだろ別に。友達なんだから。ねえ、先輩」

「そ、そう、です…! 真琴くんは、大事な友達一号さんなんですから…!」

 拳をグッと握り、強く言い切る。
 そんな姿に、姉は笑いながらもさっさと俺の手当てをしてくれた。

「あんた、確かこっち向きに悪かったわよね。だから――っと。テーピングはおっけ。氷は後で外しなさいね」

「ん、ありがと。勝てる気がしてきた」

「うんうん、麻衣の為にも頑張んなさいよ。担任としては複雑だけど」

 そう言いながら姉は、患部を優しく撫でたあと、最後にバシンと肩を叩いて立ち上がる。

「ふふっ」

 それを見ていた先輩が、どういう訳か吹き出した。

「なーに麻衣? 楽しそうに笑ってさ」

「いえ。先生と真琴くん、ほんとに姉弟なんだなって。羨ましいです」

「麻衣、一人っ子だもんね。ならどう、うちの弟なんて。嫁いでくれたら姉になってあげるわよ」

「そういう冗談、ほんといいから。先輩も、嫌な絡みは殴ってても拒否った方が良いですよ。許し続けてたら調子に乗るんで」

「うーん。でも、榎先生がお姉ちゃんだったら、毎日楽しそうだよね」

 先輩は、楽し気に笑う。
 そんな未来がもし来れば、確かに毎日飽きはしなさそうだけれど――この楽し気な笑顔は、心からのものなのか、それとも強がってのものなのか。
 分からないけれど、事情を知っている姉が下手にそれを意識するような言い方をしないのも、先輩が慕っていて、それを打ち明けている理由なんだろうな。
 四六時中気を遣われるような扱いは、先輩も本意ではないことだろう。
 内向的だったり、かと思えば行動派だったりな姿を見ていて、そう思うようになった。
 姉の性格は先輩にとって適任で、その姉が最期の年に担任になったのは、偶然ではなく、そうなる運命だったのかもしれない。

「――ありがと、姉ちゃん」

「ん? 何よ、あんたまで」

「ううん、何となく」

「やーね気持ち悪い。麻衣も何か――」

「麻衣先輩」

 姉の言葉を制して声を出す俺に、先輩が向き直る。

「絶対に勝ちます。勝って、小さなものだけど、優勝を先輩にあげます。お弁当に手当て用のものまでくれた先輩は、もう俺の一部ですから。試合に出てる俺に関わった、行ってみればマネージャーみたいなものです。今までよりもっと、一緒になって喜べると思います」

「……うん。ちゃんと見てるからね」

「はい。ラスト十五分、死ぬ気で頑張ってきます」

「うん!」

 明るく笑う先輩は、汗にまみれた俺の頭を、ポンと優しく撫でてくれた。

「頑張れ、真琴くん!」

 ひと際明るく、優しく笑う先輩。
 今なら、プロ相手だって勝てるような気がする。
 それくらいの勇気を貰えた。

「――行ってきます」

 立ち上がり、悟志らの待つ方へと歩く。
 その隣に並んだ姉が、

「あんた、今最高にかっこいいわよ。頑張んなさい」

 ボソッと言ってくれたそんな言葉でさえ、今の俺には大きな原動力となった。

「おう」

 来年はない。今日勝たなきゃ意味がない。
 今この瞬間、あと十五分だけ身体が持てばいい。
 ただの球技大会。ただの学校行事。
 それでも――今の俺にとっては、部活の試合以上に意味のある時間だ。
 必ず勝って、先輩との約束を果たすんだ。