まずは腹ごしらえ。
 注文したものを受け取り食べる為には、一度手を離す必要がある。
 繋いでいた手を離すのは惜しかったけれど、それを解いてようやく、俺はいつもと同じ呼吸をすることが出来た。
 先輩は焼きそば。俺は控えめにたこ焼き。
 それぞれの物を手に、一度人波を外れて腰を落ち着ける。

「すごい人ですね……」

「ほんと……街中に、こんだけの人がいるんですね」

「どうなんでしょう……あっ、ほら、あそこのご夫婦? は、外国人さんですね。観光でしょうか」

 肩を組んで目の前を通り過ぎる、ブロンドの男女に目をやり先輩が言う。

「住んでる人も多い地域ですし、分かりませんね」

「観光だったら、とても素敵な思い出になりそうですね。お住まいの方でも、年に一度のお楽しみです」

「素敵な夏になりそうですね」

「……ええ、本当に」

 淡く微笑みながら、先輩は焼きそばを一口。
 そんな様子を見送りながら俺も、どでかいたこ焼きを一つ頬張った。
 味は――分かる。
 少し、いつもの調子に戻って来た。

「おいし……」

 満足そうに笑う先輩を横目に、俺は上の方に目をやった。
 けれど、そこかしこで輝く灯りが眩し過ぎて、星空なんて見えやしなかった。
 心の中で肩を落としつつ、遠くの方に見える屋台、近くを通る人だかりに目をやって――結局は、夢中で焼きそばを啜る先輩の方に落ち着いた。

「そんなに美味しいもんですか?」

「うーん……気分、でしょうか。よくよく考えれば、お母さんの作る焼きそばの方が、美味しいですよ」

「ははっ、そりゃそうだ」

 祭りの食事なんて、言い方はアレだが出来合いの味だ。
 想像に易く、だからこそハズレがない。

「そういう榎さんのたこ焼きは、たしかチェーン店さんの出店でしたよね?」

「ええ。知らないお店だったけど、美味しいですよ」

 名前は忘れてしまったけれど、屋台にかかっていたパンフレットには、全国何十店舗と書かれていた筈だ。それなりの規模で展開されているたこ焼き屋らしかった。

「……一つ、いります?」

 尋ねると、好奇心に目を輝かせる先輩は嬉しそうに頷いた。
 一つ、爪楊枝を刺して、先輩の方に差し出す。
 それを、焼きそばの器にでも乗っけてくれたらそれで良かったのに、

「はむっ」

 大きな口を開けて齧りついて、けれどもやっぱり食べきれなくて、結局は自分の手に持つ器の上へと半分置いてしまった。

「んー! おいひいでふねっ!」

 こっちの胸中なんて知らない先輩は、無邪気にそんな感想を語るだけ。
 まったく心臓に悪いことをする人だ。
 ……ちょっと前までのこの人には、考えられない行動ばかり。
 祭りの雰囲気に中てられてか、この十数分だけで、見たことのない表情ばかり目にした。

「今度、このお店にも――」

 先輩は言いかけて、やめた。
 代わりに、俯き、残っていた半分のたこ焼きを口へと放り込む。

「先輩……?」

「いえ、何でもありません。あまり榎さんを振り回すのもなぁ、と考え直しただけです」

「振り回してくださいよ。何でも付き合うって言ったの、本心なんですから」

「……ええ、そうですね。榎さんは、そう言ってくれますもの」

 そう語る横顔は、どこか――

「食べ終わったら、何をしましょうか?」

 がらりと声色を変えて、先輩が言う。

「えっ? え、うーん……定番と言ったら、金魚すくいかヨーヨー釣りか、ここでは見てませんけど射的とか? あと、運試しにくじ引き、わなげ……あ、型抜きもあったな」

「良いですね。全部やりましょう!」

 明るく笑って、楽し気に俺の目を見る。

「え、全部……?」

「はい、全部! せっかくですし、全部初めてなので」

「あ――そっか、そういうこと」

 高校最後の夏祭りは、人生初めての夏祭りでもあったわけだ。
 それは――そうか。それはそうだ。
 全部全部、一気に楽しんだって良い。

「何でも付き合ってくれるんですよね?」

 どこか悪戯っぽい笑みを浮かべて、先輩が言う。
 断る理由なんて、一つもなかった。

「――ええ勿論。存分に楽しんでやりましょう」

「ふふっ。はい!」

 先輩は、明るく無邪気に笑った。

(あぁ……やっぱり、もう嘘なんてつけないな)

 夕闇と提灯の灯りに照らされる笑顔を眺めながら、今ようやく、誤魔化していた気持ちをはっきりと自覚した。

 俺は――先輩が好きなんだ。