「はぁ……やった、ほんとにやった……」

 一夜明けて冷静になった頭は、痛くなってしまう程の後悔を負った。
 自責の念に駆られて仕方がない。
 あんな話をするつもりも、あんな言い方をするつもりも、別になかった筈なのに。
 姉と顔を合わせるのを躊躇って、わざと遅く部屋を出る頃には、姉は既に出勤していて――机の上に『昨日はごめん、ゆっくり寝てなさい。先に行ってるね』と書かれたメモを見つけて、よりいっそう自分が惨めになった。

 俺なんかより、よっぽど大人だ。
 大人になろうと背伸びをすることさえ、まだ早いと思える程に。

 ——そんなことを、放課後まで引き摺ってしまうくらい、昨夜の俺はどうかしていたと思う。

 どれも嘘はなく、本音をぶつけた。
 それは、姉の方も同じなのだ。
 自分が出来たとか、出来なかったとかじゃない。
 友達は大事にしろ。当然のことだ。
 でも……。

「帰り辛づら……」

 朝、俺がわざと部屋を出て来なかったことだって、姉は気付いている筈だ。
 昨夜、姉より早く自室に戻ったのだから。
 もっとも、それだって、ただ姉と顔を合わせ辛かっただけのこと。
 子どもなのだ。まだまだ。
 それが、よくよく分かった。

「はぁ……」

 今日だけで、もう何回溜め息を吐いていることだろうか。
 その理由が他でもない自分だからこそ、より惨めになってしまう。
 帰り辛いと感じた俺は、特に用も当てもなく、フラフラと校内を彷徨った。

 職員室前や、吹奏楽部なんかが活発な方へは行かず――そうなると自ずと、芸術科目や文科部系で使用する特別教室がある方へと足が向いた。
 うちの学校は三階建ての『コ』の字型で、コの右下の角辺りが正面玄関、上線部分の一階から三階までが教室、下線部分一階から三階までが特別教室らがあるという造りになっている。
 職員室は、コの字の縦線部分の二階。そこを避けるように一階へと下りてから、下駄箱前を通って特別教室の方へと歩いた。
 理科室、準備室は、授業で何回か来た。最奥にある旧理科室は、立ち入りが禁止されていて、今は誰も入ることが出来ないようになっている。理由は知らない。
 事故だの幽霊だのという噂話は聞いたことがあったけれど、そんなのどれも迷信だろう。

 そんな思いで正面を通り過ぎ、突き当りへと差し掛かる。
 外に見えるグラウンドでは、サッカー部や野球部が練習に励んでいた。
 そんな姿を見ていることでもまた――これでは自責の坩堝だ。
 我ながら、一体何をやっているのだろうか。

 溜息交じりに、こんなこともやめようと、俺は踵を返した。

 その時、旧理科室の扉が、僅かに開いていることに気が付いた。
 隙間から見える中は真っ暗だ。

「誰か――」

 いるとは思えない。
 思い切って扉を開いてみても――ほら、誰もいない。
 幽霊だの小動物だのが隠れられそうな隙間もないくらい、物という物まで何もない。
 ただただ閑散とした、空き教室だ。
 理科室特有の黒いカーテンも閉め切られている。

「こんな風になってたんだ……」

 土産話、程度にはなるだろうか。
 昨日断ったことを謝るついでに友人へと持っていく話としては、申し分ない。

「…………」

 ここなら、丁度いいだろう。
 しばらく時間を潰すために、少し座って過ごそう。
 もし怒られてしまった時の為に、適当な言い訳でも考えながら。
 思い立ったが吉日。俺は扉を閉め、窓辺の机に向かう形で一つポツンと置いてあった椅子へと腰を下ろした。
 どうせ、他に行けそうなところもないのだ。

「……って言ってもなぁ」

 何もない。
 本当に、何もない。
 何もないからには、どうすることも出来ない。
 暇を潰せそうな物も持って来ていない。スマホでゲームをするような趣味もない。
 そんな人間が、暇な時間に出来ることと言えば。

「……おやすみ」

 独り小さく呟いて、腕を枕にして突っ伏した。
 夏の暑さの中なら堪えたことだろうが、まだまだ初夏も初夏なこの時期は、却って心地が良いくらいの暖かさだ。

 カチ、コチ――秒針の進む規則的な音だけが耳に届く。

 それを聞いている内、不思議と心も穏やかになっていって――
 気が付けば、自責の念からあまり寝付けなかった昨夜の代わりに襲い来る睡魔に負けて、程なく眠りについてしまった。