終業式も終わり、夏休みに入った。
 初日から俺は、宿題の山を手に、学校へ来ていた。
 何時間いるかは分からないけれど、ずっと話しっぱなしということは無いだろうと思ってのことだ。

 カリカリ。
 サラサラ。

 ノートの上を鉛筆が滑る音が、二つ、だだっ広い教室の中に響く。
 先輩も、今日は準備室ではなく教室の方にいる。
 それでもまだ恥ずかしいのか、或いは気まずかったりするのか、教室の端と端に離れて座っている。

 セミの鳴き声。
 窓から入る風が揺らすカーテンの擦れる音。
 遠くの方に運動部の掛け声。
 鬱陶しいくらいにうるさい、心臓の音。

 会話なんて殆どない中、それらが耳を刺激して、宿題にすら集中出来ない。

「…………ふぅ」

 俺は、腹の中で渦巻く思いと一緒に、深く息を吐きつつ鉛筆を置いて、広げたままのノートの上に突っ伏した。
 腕を枕にして、壁の方に顔を向ける。
 窓のすぐ外で鳴いていたセミの大きな声が一つ、途切れた。
 その代わりとでも言いたげに、他の声が大きくなった。
 一瞬、強い風が吹き抜けて、カーテンが暴れた。それが顔を叩きつけるものだから、閉じていた目もすぐに開いてしまった。

「ふふっ」

 先輩の笑い声が背中に掛かる。
 思わず目を向けると、俺の方を見て、口元を隠して笑う先輩と目が合った。
 ポニーテールが、楽し気に揺れている。

「ゆっくり、出来ませんね」

 先輩は可笑しそうに笑いながら、そんなことを言った。

「…………ええ」

 頭を掻きながら、身体を起こす。

「そう言えば先輩、文芸部で何をしてるんです? 小説でも書いてたりするんですか?」

「先代の部長さんたちがいた頃は、そうでした。でも、今はもう書いていません」

「え、じゃあ何をしてるんです?」

「……色々、ですね」

 勉強とか日々の宿題とか、そういうことだろうか。

「ふぅん……」

 突っ込んで追随することもなく、俺はその返答を受け止めるだけに留めた。
 そうして無言の時間が出来てしまったら――また、意識はいとも簡単に引っ張られてしまう。

「夏祭り……もうちょっとですね」

 それを口にしたのは、俺ではなく先輩だった。
 また、心臓が強く打った。

「……ですね」

 そう返す頃には、先輩は緊張した面持ちで俺の方に目を向けていた。

「浴衣……お母さんに、ちょっと奮発してもらっちゃいました。レンタルですけど、初めて、わがままを言いました」

「そ、そうなんですか……」

「はい。せっかく、最後の夏休みだから……お母さんも、いいよ、って頷いてくれて……お、男の子と行く、とは、恥ずかしくて言えなかったんですけど……」

「……まぁ、ですよね」

 俺の方は、姉が事情を知っているだけに、誤魔化すことは出来なかった。
 先輩のことも知らない相手であったなら、俺もきっと、バスケ部のやつらと行く、なんて誤魔化していたと思う。

「……楽しみ、です」

「……はい。俺も」

 もう、顔なんて見れる状態じゃなかった。
 夏の暑さとは別に、身体の奥底の方から熱くなるこの感覚。
 それを誤魔化すように、俺はまた腕を枕にして、顔は壁の方に向けた。



 次の日も、俺は学校に行った。
 今度こそ宿題を進める為に。
 上手くいった。想定以上には進んだ。
 でも、身にはなっていなかった。
 何をどこまでやったかなんて、終わってから考えた程だった。

 夢中でやっていたからではない。
 夢中になれなかったからだ。