「――ふぅん。仲良くやれてるなら、良かったわ」

 姉が、珈琲を一口啜った後で頷いた。
 キッチンで作業している俺の傍らに、腰を預けながら。

「仲良く、って言っていいのかは分からないけど――自分で言ってるより、意外と話してくれるよ」

「日記の賜物じゃない? あの子、先生の私相手に質問したいって時だって、ほんっとに喋らないんだから。あんたなら『大丈夫かな』って思ったんでしょ」

 姉はあっけらかんと言うけれど。
 もしそうであるなら、先輩の話を聞いた後だと、重みを感じてしまうな。
 どれだけの覚悟と緊張感で話していたのだろう、と。

「私としても、麻衣と友達になったのがあんたで良かったなって思うわ」

「何で?」

「優しいから」

「……そういうこと素で言うの、やめろって」

「あはは! 照れてやんの!」

 ケラケラと笑いながら、姉は俺の小脇を小突いた。

「でもね、これ本音。あの子と関わってる中でさ、友達になるならうちの弟なんかどうだろうって、ずっと思ってたからさ。異性だけど、あんたなら人との距離感は大丈夫そうだし、下手な言葉で相手を無意識に追い込むなんて真似もしないでしょ?」

 俺は頷いたけれど――正直、やりかけたことはやりかけた。

「――あれ、やらかした?」

「……やらかしかけた」

「まぁ――ん、その自覚があるなら大丈夫」

 頷きそう言って、姉は俺の頭をポンと叩いた。
 飲み干したカップをシンクに置いて、回り込んだカウンター向こうから頬杖をつく。

「ね。あの子と、仲良く出来そう?」

「仲良くしたい、とは思う」

「あら素直」

「隠すことでも、強がって誤魔化すことでもないからね」

「ふぅん。好きになりそうな感じ?」

「……それは分からない。けど、無いとは言えない」

「――そっか」

 短く呟き頷いて、姉はソファの方へと腰を下ろしてテレビを点けた。
 バラエティー番組の賑やかな音が響き始めた。

 好きになるかなんて、まだ分からない。
 産まれてこの方、誰かに恋をしたことなんてないから。
 今はただ、友達が欲しいと切望する彼女の願いを、ただ叶えてあげたいと思うばかりで、別に何がしたいとか、どうなりたいとか、そんなことは思っていない。

 ……いや、どうなりたいかは、あるか。
 ちゃんと彼女の友達になりたい。今は、そう思う。

「――ね、真琴」

 姉が、テレビに目をやったままで呼び掛けて来た。

「なに?」

 俺も、包丁を使う手元に視線を落としたままで応える。

「もしね。もしだよ」

「んー」

「あの子のことを、そういう意味で好きになったらさ」

「んー」

「好きだって気持ち、ちゃんと伝えてあげてね」

「……ん」

 俺は、無意識の内に頷いていた。
 けれど、流した訳じゃない。
 姉の言っていることの意味は、ちゃんと頭で理解していた。出来ていた。
 だからこそ、俺は頷いた。
 それはきっと、彼女にとって、そして彼女のことを知る姉さんにとって、とても重要で、必要なことだろうと思ったから。
 もっともそれは、

「……まあ、好きになったらね」

 俺が、彼女に恋心を抱いたらの話だ。
 今はまだ、自分の気持ちは分からない。

「ん、十分。あの子のこと、よろしくね」

 真面目な声音の後には、ドッと沸き上がった番組と一緒に、遠慮のない笑い声を上げた。
 その背中を見やりながら、ふと思う。
 俺は高二で、彼女は高三。
 仮に、本当に仮に、もしそういうことがあるとしたら――
 そう遠くない未来の出来事なんだろうか、なんて、ぼんやりと考えていた。