彼氏にフラれた。気がついたときには連絡先を全てブロックされていた。これはフラれたようなものだ。

今日はホワイトデー。彼氏から、メッセージもなにもなかったことが少し気になった。私はバレンタインにチョコを渡したのに、彼からはなにもない。イベントごと関係なしに、最近は彼からの連絡がほとんどきていない。私からメッセージも送っていたけれど、それも未読無視の状態だ。こんなときに働いてしまうのは、女の勘。『まさかブロックされているのかな…』と確かめてみれば、そのまさかだった。

カーテンが閉めきられた真っ暗な部屋。仕事から帰ってきて、寝る前のスマホチェックしているときに、彼氏からブロックされていることに気がついた。私はベッドの上で膝を抱える。何も表示されていない真っ暗なスマホの画面を茫然と眺めていた。

悲しいとか寂しいっていう感情はなかった。一方的な別れ方は今回で三度目。二度あることは三度ある、とはよく言ったものだ。そんな別れ方ももう慣れた。男はみんな同じだ。くだらない。自分の口で別れを告げる勇気もない。逃げるかのようにブロックして、一方的に関係を終わらせる。ああ、本当に男ってくだらない。ムカつく。たった今、元カレ認定された奴なんか、こっちから願い下げよ。私にはあんたなんかより、もっといい男がお似合いよー……。

私は元カレを忘れるために、目には涙なんか浮かんでいないと自分に言い聞かせながら、スマホをいじった。迷いなく指が動く。数十秒後にはマッチングアプリがインストールされていた。

元カレと出会ったマッチングアプリ。その前の元々カレと出会ったのもマッチングアプリ。悲しいことに、大人になると出会いも簡単に見つからない。だから、マッチングアプリでいいな、って人を探している。大好きな人に出会えるように。私のことを愛してくれる人に出会えるように。いつか、結婚できる日を夢見ている。

……私は真剣に結婚相手を探しているのに。テキトーな男ばかりしかいない。思い出したら、また腹が立ってきた。

私は慣れた手つきで、プロフィール欄を埋める。自分の性格に一途アピールを添える。文章からにじみでる可愛さも忘れずに。写真は笑顔が大事。それと無加工に見える写真を選ぶのがポイント。実際に会ったときに「写真詐欺」なんて言われないように。

 切り替えが早いなって自分でも思う。だけど、限られた時間の中で、たった一人の運命の人と出逢いたい。だから、一分一秒たりとも無駄にしたくない。フラれたショックは残っているけど、それでも私は前に進む。そのためには、まず、男性側のプロフィールを確認して……。私はスマホに顔を近づけるように、チェックを始めた。

 この人はダメ。この人も加工しすぎ。頭にうさ耳がつくフィルターって今流行りなの? みんな同じ人に見えるんだけど。プロフィール見る価値もなし。……次。

 スワイプした瞬間。猫に頬を近づけるように抱いている男性の写真が目に映る。猫を抱っこしているのに無表情。誰かに撮ってもらったような写真だけど、笑顔がない。雰囲気もすべてが暗い。分かるのは、この写真は無加工だってことくらい。猫を抱いているけど、猫好きかどうかは分からない。だって、猫が可愛いって表情すらしていないから。

 他の人とは違う写真の選び方。少し気になってプロフィール欄を開く。



―――

 一つでも条件を満たしていない人はお断り。

一、猫を飼っているので、猫が好きな人とだけ会います。猫が嫌いな人は話になりません。

二、真剣に出会いを探している人。遊びでアプリやっている人は、同じような目的の人と遊んでください。

三、俺より痩せている人。体重で決めるわけじゃないけど、あくまで俺は、痩せている人が好み。個人的好みなので、他の男性が俺と同じ考えをしているとは思わないでください。

四、趣味(ゲーム)に理解がある人。ゲームが好きなので、同棲したときとかにゲームをやらせてくれる人がいいです。もちろん、二人の時間は大切にしたいので、あくまで趣味の時間も大切にできる人っていう意味。

五、結婚前提にお付き合いができる人。結婚願望がない人は、俺に「いいね」も送らないでください。時間を無駄にしたくないので。本気で将来を考えられる人とだけ出逢いたいです。

(以下略)

 最後までプロフィールを読んでいただき、ありがとうございました。気になってくれた方は「いいね」お願いします。

―――



 ……読み終わった。いやいや、待って⁉ この長い文章、中学時代の教科書を読むことより困難だったよ⁉ なんとなく言いたいことは理解できたけど、なんかもう、クセが強すぎる! この人、大丈夫なのか⁉ と心配になるレベル。なにか気に病んでいることでもあるのかな。写真越しから負のエネルギーさえ感じるような、そんな錯覚にさえ陥ってくるよ。自分のプロフィールを書くにあたって、箇条書きする人、見たことない。しかも、ひとつひとつの言葉に棘があるように感じる。これは女性側が近寄りづらい自己紹介だ。結婚願望とか書いてあるけど、あなたが結婚願望あるの? って今すぐ聞き返したい。そんなに尖がった自己紹介の書き方をして、出会いを逃しているんじゃないのかな。

 いろいろ突っ込みたいところはある。あるけど、すべてに突っ込んだらキリがない。疲れちゃう。とりあえず、クセが強いのはよく分かった。分かったうえで、私はこの人と話してみたいと思った。半分以上は興味本位だけど。そんな私はどうかしているのかもしれない。

 私が「いいね」ボタンを押すと、ほんの数分の間にマッチングが成立した。え、ちょっと待って。こんなに早くマッチングしちゃう? 急な展開に私の心臓はバクバクしている。どうしよう、なに話せばいいのか分からない。他の人では緊張なんてしないのに、変に手が震えてしまっている。


『こんにちは。なんて呼べばいいですか?』


 悩んでいる間に送られてくるメッセージ。戸惑いながらも私はメッセージを返す。


美優(みゆ)って呼んでください。あなたのことは、どう呼んだらいいですか?』

『俺は達樹(たつき)っていいます。好きなように呼んでください。今日はお休みですか?』

『じゃあ、達樹さんって呼びますね。今日は仕事休みです。うちは土日休みなので』

『俺もです。一緒ですね!』


 ドクンっと跳ね上がる心臓。語尾にびっくりマークがついている。それだけで、私のテンションは一気に上がった。ぽんぽんと弾む会話。今日は土曜日でお互い休日だからか。それとも達樹さんが話を広げてくれるからか、会話がどんどん続いていく。


『猫ちゃんは何匹飼っているんですか?』

『三匹ですよ。茶色と、白と、黒。写真見る?』


 他の人から見たらごく普通の会話かもしれない。だけど、達樹さんのプロフィールを読んで警戒していたせいだろうか。達樹さんからの穏やかで、どこか温かみのあるメッセージが送られてくるたびに嬉しくなる。時々、敬語が抜けるところも可愛いな、って思ってしまう。そのまま敬語が抜けて、自然に話せるようになったらいいなぁ、なんて思う。


『そろそろ寝ます。明日も仕事早いので。美優さんは?』

『私も寝ます! おやすみなさい』

『おやすみなさい。また明日』


 帰ってきた返事にニヤニヤしてしまう。布団に潜り込み、スマホを胸の前で握りしめる。
 達樹さんと交わした『おやすみ』の言葉。なんでもない言葉だけど、今の私には、すごく特別なものに感じた。
 また明日があるんだ。社交辞令だったかもしれない。それでも、『また明日』って言ってもらえて、浮かれてしまう自分がいた。
 達樹さんのことをもっと知りたい。また明日も話したい。そして私は意外と単純なのかもしれない。そう思ったマッチングアプリ一日目。




 現在、午前9時25分。待ち合わせ時間まで、あと15分ある。

 マッチングアプリを始めて一週間が経った今日。初めて達樹さんと会う。あれから、メッセージを毎日のように重ねて、画面越しではあるけど少しずつ惹かれていった。話していくうちに、仕事に対してもプライベートに対しても一生懸命な人なんだなって思った。恋愛にも一生懸命っていうのかな。真剣に人と向き合おうとしているのが伝わってくる。

 達樹さんと駅で待ち合わせ。今日は、車で迎えに来てもらって、それからショッピングモールへ行く予定。

 私は車の運転が苦手なこともあって、ショッピングモールの近くの駅まで電車に乗ってきた。達樹さんに運転が苦手ということを伝えたら、『美優さんさえよければ迎えに行くよ。男の人の車とか大丈夫?』と言ってくれた。達樹さんは気遣いもできる人だ。私は、達樹さんなら大丈夫だと思った。きっと、彼は私が嫌だと思うことはしてこないから。

 私は古びた駅を出たところのベンチに腰掛けていたが、だんだん緊張していたのか座っていられなくなってきた。立ち上がった私は、意味もなく歩いてみたりする。

 今日は天気がとてもいい。雲一つない青空。風は少し冷たい感じもする。薄手のコートを持ってきて良かったと思う。さすがに、ニットに膝上丈のスカートだけだと寒い。おしゃれは我慢だ!と思って、スカートを履いてきた。コートを羽織っていても、少し寒い。春になったばかりのこの季節は、まだまだ冷え込む日もあるらしい。


 ピコン、とスマホが鳴る。画面を開けば達樹さんからのメッセージ。


『あともう少しで着く!』


 もう少し。もう少しで達樹さんと会うんだ。なんか緊張してきたな。私は鞄からコンパクトミラーを取り出し、前髪を整える。リップもちゃんと塗ってあるし大丈夫だよね……。

 達樹さんってどんな人だろう。写真では笑顔も明るさもなかったけど、普通に笑う人なのかな? 笑いかけてくれなかったらどうしよう。絶対に気まずい。ああ、少し怖くなってきた。だけど、会ってみたい。

 緊張を紛らわすために、その場で小さく足踏みをしていると、一台の赤い車が駅の駐車場に入ってきた。主張の強い赤。車に関しては無知だけど、かっこいいと思わせる車だった。


『着いたよ! 待たせちゃってごめんね』


 達樹さんからのメッセージ。じゃあ、あの赤い車は達樹さんの車……? 近づこうとすると同時に開かれる運転手席側のドア。降りてきたのは、すらっとした細身の男性。ジャケットを着こなしている彼はモデル並の体型。髪もかっこよくセットされている。写真で見るよりイケメン…。


「美優さん?」

「は、はい! 達樹さんですか?」

「そうだよ。待たせちゃってごめんね」

「いえっ。今着いたばかりで」


 私がそう言うと、達樹さんはくすっと笑った。柔らかくてきれいな笑み。その笑顔に吸い込まれてしまいそうだった。


「……美優さんは優しいね。じゃあ、行こうか」


 私は達樹さんの半歩後ろをついていく。助手席に乗せてもらうと、安心感のある座席のシートが包み込んでくれた。
 



 30分は車で走っていたと思う。体感時間は数分。達樹さんの気遣いとか、話し方とかが優しくて、車に乗っていて心地良い。私に興味を持ってくれているのが伝わる。だから、私も達樹さんのことが気になる。運転する彼の横顔もかっこよくて、ちらちらと見てしまう。

 気がつけばショッピングモールの駐車場に着いていた。広い駐車場。達樹さんが車を停めた場所は、駐車場の中でも端の方。ショッピングモールの入り口から遠くて人気のない場所。周りには車が停まっていない。なんでこんな端に停めたんだろう?という疑問も浮かんだけれど、特に気に留める必要もないかな。


「運転してくれてありがとうございます」

「ううん。ドライブは好きだから。……美優さん乗せてるから、ちょっと緊張したけど」


 そう言って、そっぽを向く達樹さん。その頬は微かに、赤く染まっているように見えた。

 え、え、え。ちょっと待って。可愛すぎる。私を車に乗せていると緊張するって……。達樹さんを見ていると、嫌でもうぬぼれてしまう。そんな自分が恥ずかしくなって、私は車を降りようと、助手席のドアに手をかけた。


「待って」


 声と同時に掴まれた右手。顔を向ければ、達樹さんが真剣な表情で私を見つめていた。


「えっと、」

「出会ったばかりでこんなことを言うのは違うのは分かっているんだけど。困らせるつもりはなくて。……聞いてほしい」


 急に激しく鳴る心臓。緊張感が走る車内。助手席に座りなおす音さえ、大きく響くように感じる。

 私は達樹さんの言葉に、こくり、と首を縦に動かした。


「美優さんとアプリで初めて会話した日、すごく嬉しかったんだ。いっぱい色んなことを話してくれるし、俺のことについても色々聞いてくれる。俺のこと知ろうとしてくれるんだな、って。興味持とうとしてくれてるんだな、って。すごく嬉しかったし、楽しかった。美優さんからメッセージ来てないかな、ってずっとソワソワしていた」


 そんなふうに達樹さんが思ってくれていたなんて、全く知らなかった。私も、達樹さんと話すことを楽しみに仕事を頑張っていたところはある。私たち同じように思っていたんだって、胸がぎゅっとなった。


「初めて電話したとき、美優さんの声聞いて、なんだか安心した。俺、人と電話するのとか苦手なんだけど、美優さんとは安心して話せた。気が付いたら1時間以上も話していて、びっくりした」

「うん」

「美優さんと話してると、ソワソワするんだけど、どこか落ち着く自分もいて。心がリラックスしているというか。この子、いい子だな、素敵な子だな、って思うようになっている自分がいた。仕事中も美優さんのことを考えちゃう。……実際、今日会ってみたら、写真以上に可愛くて。笑顔も可愛いし、話し方も好きだなって。やっぱり、こうやって会って話していたほうが楽しいっていうか。幸せを感じるっていうか。車の中でも、(以下略)」


 達樹さんは私にすごく温かい言葉をかけてくれる。照れくさいし、恥ずかしいような、なんかうずうずしてしまうような、くすぐったい気持ちになる。

 だけど、長い。長い、長すぎる。現在、体感時間でいうと五分は経っている。余裕で十分超えそう。その時間、全部私のことについて話している達樹さん。最初は、ドキドキしたし、もしかして告白してくれるのかな、って期待してしまった。だけど、あまりに前置きが長すぎて、冷静に達樹さんを見てしまう。

 冷静に達樹さんを見た結果。


「ふっ、ふふっ」


 つい、込み上げてくるものが我慢できなかった。


「美優さん……?」


 不安そうな、揺らいだ目を向ける達樹さん。なんか、もう。


「達樹さんが可愛い」

「え?」

「ほんと、可愛い。なんか愛しく思えるよ」


 笑いと共に出てくる、本音。達樹さんが愛しい。こんな一生懸命に想いを伝えてくれる人、他にいない。見てて飽きないし、この人といたら毎日が楽しいんだろうな、って思う。一緒にいたら落ち着くし、心が満たされる。もし、そんな人が、他の女の人と一緒にいる姿を想像してしまったら、もやもやするんだろうな。

緊張のせいか、汗ばんでいる達樹さんの手を握り返す。私が笑みを向けると、達樹さんは真剣な眼差しで私を貫く。


「俺と、結婚前提で付き合ってください」

「前置きが長すぎるよ。……こちらこそ。お願いします」




 今思えば、出会って一週間で告白は早すぎる。お互いのことをそこまで知らないのに、好きになるなんて。それに二つ返事で答える自分もどうかしている。あのときは勢いだけで行動していた気がする。これが俗にいう、若気の至り、ってやつ? 本当にクセが強い人と出逢って、恋人にまでなったな、って思う。


「美優、コーヒー淹れたけど、飲む?」


 そんな少し変わった彼は、今では私の……。


 ソファに座る私の隣に、腰を下ろす彼が微笑む。私は差し出してくれたマグカップを両手で受け取った。私たちの左手の薬指には、ダイヤモンドが埋め込まれたシルバーの指輪が輝いている。


「ありがとう、達樹」


 そう。あれから五年の月日が流れた。今では私たちは結婚ニ年目の夫婦。まさか、本当にあの達樹と結婚するなんて、当時の私は思ってもいなかった。変わった人に惹かれた私も、少し変わっているのかもしれない。


「私、幸せだな」

「俺も。美優と一緒だから幸せだよ」

「そういう、なんでも思ったこと口にしちゃうところ! ほんと、変わってるんだから!」


fin.