「すいません、シスターモーフ。大丈夫です」

 イースラは腕で涙を拭うと立ち上がった。
 普段の様子から考えると明らかにおかしい。

 素直にすいませんなんて言う子でもない。

「少し顔洗ってきます」

 どこか寂しげな、大人びたような表情でイースラは笑った。

「みんなごめん、水頼むわ」

「ご、ごめん? 頼む?」

 イースラの口から聞かない言葉が飛び出してクラインは怪訝そうな顔をした。
 泣いて少し赤くなった目をしてイースラは教会を出た。

「町だ……」

 教会は小高い丘に建っていて丘の下にはすぐ町が見えていた。
 町というには少し小さく村というには大きめで微妙なところだけど牧歌的な雰囲気があって穏やかな時間の流れる良い町である。

 そんな町もイースラの知らないところで滅んでしまった。
 記憶と違わぬ町の姿を目に焼き付けたイースラは教会の裏手に回る。

 そのまま丘を降りていくと川が流れている。
 
「冷たい……」

 天然の流水なので手をつけてみるとひんやりとしている。
 やはり自分は生きているのだなとイースラは思った。

 死んで、何かな原因で古い記憶でも見ているのかと考えていた。
 しかしそうではない。

 今の自分は生きているし、みんなも生きているし、世界は滅びていない。

「何でこんなことになったんだ?」

 イースラは川の水を掬い上げてパシャリと顔にかけた。
 もうすでに濡れているのでそんなことしても頭の中はあまりクリアにならない。

 その場にストンと腰を下ろして川を見つめる。
 時折落ちてきた葉っぱが水面に浮かんで不規則に揺れながら流れていく。

 どうしてこうなったのか考えて続けて思い出したのは死ぬ直前に懐中時計を手に入れたことだった。
 今起きている現象をざっくりと説明するならば時間が戻っているということである。

 懐中時計も時に関するアイテムだ。
 何かの関連性があるのではないかと考えた。

「そういや異界商人は何か説明しようとしていたな……」

 あの時はユリアナが死んだ直後で気が動転していた。
 懐中時計はただの時計だと思い込んで説明も聞かずに拒絶した。

「……あれにこんな効果があったのか?」

 魔力も感じないような懐中時計だった。

「時を戻す……そんなことが可能なのか?」

 時間を操るなんてことイースラは聞いたことがない。
 冷静になればなるほど懐中時計の能力がすごいものだったのではないかと思えてきた。

 ゴッドクラスのアイテムだと異界商人がチラリと言っていたことも今更ながら思い出した。

「つまり……時が戻ったのか」

 何で記憶を持ったまま時間が戻っているのかとか不思議なことはあるけれど、自分の身に何が起きたのかひとまず理解した。

「本当に時が戻ったのなら……うわっ!」

 ブツブツとつぶやきながら考えをまとめようとしていたら頭から何かをかぶせられてイースラは慌てた。

「あんたの服。そのままじゃ風邪ひいちゃうでしょ?」

 かぶせられたものを取って後ろを振り向くとサシャが立っていた。
 かぶせられたのは服だった。

 いつまで経っても戻ってこないイースラのことを心配してして服を持ってきてくれたのだ。

「その……」

 サシャはイースラの隣に座った。

「ごめん……」

 イースラが泣いてしまったのは別の理由だが、子供たちの間ではサシャが蹴ったから泣いたのだということになっていた。
 サシャもまさか泣くだなんて思っていなかったので申し訳なさを覚えていた。

「いや、俺も泣いちゃってごめん」

「なんかさ、辛いことでもあった? 私でよければ相談乗るから」

 蹴ったことで泣いたのだろうが痛いからとかそんな理由で泣く相手じゃないことはサシャも分かっている。
 自分の知り得ない何かがあったのだろうとサシャは不安げな目をしてイースラの顔を覗き込んだ。

「……色々あったんだ。そう、色々」

 イースラが遠い目をして顔を上げる。
 本当に昨日までと同じ人なのだろうかとサシャは思った。

 ただのイタズラ坊主だったはずなのに今日のイースラの目はなぜか吸い込まれそうなほどの深い何かをサシャに感じさせた。
 思わずドキッとしてしまってサシャの耳が赤くなる。

「なあ」

「なーに?」

「お前、俺のこと好きか?」

「はっ!?」

 突然の質問だった。
 川を見つめていたサシャはまたイースラの方に顔を向けた。

 顔が真っ赤になって口をパクパクとさせている。
 こんなことを聞いたのは気まぐれではない。

 時が戻る前サシャは若くして亡くなった。
 死ぬ間際にイースラのことが好きだったとサシャ本人が言い残していたのである。

 サシャは可愛いと思う。
 こんな田舎のこんなボロい孤児院にいるにしては整った顔立ちをしている。

 だから男子たちに人気だった。
 こうして時間が戻る前はどうして一緒に来てくれるのか不思議だった時期もあった。

「そそそ、それは……」

「俺は結構お前のこと好きだぞ」

「ふえっ!?」

 これでもかというぐらいにサシャの顔が真っ赤になって、青い髪で顔を隠すようにしてうつむく。

「あぅ……私も…………イースラのことす……嫌いじゃない」

 いきなりのことで勇気が出切らなかったサシャの精一杯の返事だった。