イースラは口も使ってユリアナの残したバングルを右手に何とか嵌めると箱の前に立った。

「突っ込めばいいのか?」

「そうです。そしたらきっと何か掴めるので、掴んだら手を抜いてください」

 なぜか底の見えない箱の中に手を突っ込むのは勇気がいる。
 カメラアイが位置を移動してイースラと箱の様子がよく分かるようなところに来ていた。

 同時に画面の画像もちゃんと動いていて、カメラアイの目を通しているものが映し出されているのだと分かる。
 もう失うものもないイースラは恐怖を覚えるような箱の中にためらいなく手を突っ込んだ。

 水の中に手を入れたようなわずかな抵抗感がある。
 まさぐるように手を動かしてみるけれど手には何も触れない。

 何もないのかと思っていたら指先に何かが触れた。
 なんとなく逃げていってしまいそうでイースラはさらに腕を突っ込んで逃さないようにそれを掴んだ。

 手に握れるほどの何かを掴み取ってイースラは箱から腕を引き抜いた。

「これは……懐中時計?」

 イースラは自分の手に握られたものを見て苦い顔をした。
 それは懐中時計であった。

 古めかしい見た目をした懐中時計で中の構造が見えるような作りになったオシャレなものである。
 イースラも懐中時計というものは知っていた。

 この世界には無かったものであるが、ポイントで買えるものの中に懐中時計があったのだ。
 特別な効果はないがいつでもどこでも時間が分かるということでダンジョンの攻略などに持っていく冒険者も結構いた。

「おっ、おめでとうございまーす! ゴッドクラスのアイテムが当たりました〜!」

「ちょっと待て……これはなんだ?」

「これはカイクロスの懐中時計ですよ〜」

 イースラには鑑定スキルがないのでアイテムの情報は分からない。
 ただ懐中時計は時間が分かるというだけのもので特別なアイテムではないことは分かっている。

「このアイテムはですね〜」

「返品だ……」

「えっ?」

「こんなもの返品だ!」

 時間が分かるだけのものなどいらない。
 懐中時計を地面に叩きつけたいぐらいの気持ちを抑えてイースラは異界商人を睨みつけた。

「申し訳ございません。購入なされた商品の返品は受け付けていないんですぅ〜」

 鼻につく話し方だとイースラは思った。

「う……うぅ……」

 再び膝から崩れ落ちてイースラの目から涙が流れる。
 ユリアナは自らの命をかけて未来に希望を残そうとした。

 一発逆転のチャンスを狙ってアイテムも命もかけたのに出てきたのが懐中時計であるなんてと思わずにはいられなかった。
 こんなことならば一緒にいたかった。

 最後に命尽きるその瞬間まで共に戦い抜いていたほうがよかったとイースラは涙を流す。

「おやぁ? お客様をお探しのようですよ?」

 イースラが顔を上げる。
 黒い六対の翼が生えた魔物が空中に浮いていて、イースラのことを見下ろしていた。

 イースラの左腕を噛みちぎったのとは違うが、こいつもまたイースラたちの敵である。

「殺してやる……お前ら全部、ぶっ殺してやる!」

 敵の姿を見た瞬間イースラの頭に怒りが湧き上がってきた。
 懐中時計を潰れそうなほどに握りしめてイースラは立ち上がった。
 
 もはやユリアナはいない。
 人類に希望はない。
 
 それでも戦うしかない。

「俺がお前らを……」

 全ての言葉を吐き切る前にイースラの胸を剣が貫いた。
 黒翼の魔物が投げつけたもので、イースラはそのまま後ろの岩に剣ではりつけにされた。

「グフっ……」

 口から血を吐き出す。
 涙と混ざった血は顎から地面に垂れてゆっくりと広がっる。

 手から力が抜けて懐中時計がするりと落ちていく。
 けれど懐中時計の鎖がバングルに引っかかって地面の直前で止まった。

「なんで……こんなことに」

 黒翼の魔物がゆっくりとイースラの前に降り立った。
 手を伸ばして剣を引き抜くとイースラは力なく地面に倒れる。

「どこから……間違ったのか……最初から?」

 薄れゆく意識の中でイースラは走馬灯のように過去のことを思い出していた。
 過酷な戦いも多かったけれど思い出せるのは過去に出会った温かい人たちとの笑顔に満ちた記憶だった。

「サシャ……クライン……」

 思い出せる限りで最も古い記憶に突き当たった。
 あの頃に戻ってもう一度やり直せるのならと、ふと思った。

 黒翼の魔物が倒れるイースラにトドメを刺そうと剣を振り上げた瞬間だった。

『業績解放! “最後の一人”
 あなたは残された最後の一人となりました!
 その業績を称えて魂にあなたという存在を刻み込みましょう!
 何があってもあなたは最後まで生き残った一人なのです!』

『カイクロスの懐中時計の効果が発動しました。
 望む時にあなたの時間を戻します』

 イースラの視界に二つの表示が現れた。
 しかしイースラの目はすでにボヤけていて表示は見えていなかった。

「ふふ、お客様おめでとうございます。そちらは滅多に出ないゴッドクラスのアイテムですから……」

 黒翼の魔物が剣を振り下ろしてイースラの首が切り落とされた。
 それを映し出す画面の右下の数字は31となっていた。