人生とは、小さな絶望を継続して体験していくこと。
この言葉を初めて見たとき、私は勝手に決めるなと憤慨した。
そんなことはない。誰だってそうじゃないし、誰しもが幸福であるべきだ。
そのときは至って真剣にそう考えていたけれど、数年経った今では全てが違って見えてくる。
小さな絶望の連続である点は確かにそうだし、全員が幸せになるべきというのは偏った思想な気がする。
道徳を名目にいつの間にか植え付けられた固定観念が、個々のものではなく大衆による理想論であることに気がついたときに私は大人になった。
批判するつもりはない。極論で言えば、全員が同じ思想であればそれはそれで幸福が完成されるだろう。
でも、私は思想家ではなくただのしがない事務員だ。
それも、関東の端っこにあるフランチャイズ店の。
ともなれば小難しいことを考えるべきは仕事についてだし、何を成し遂げようとしているわけでもない一介の国民が国や世界について大袈裟な思考の展開をするのも間違えている。
じゃあ、なんでこんな空論に時間を費やしているのか。
答えは一つ。現実逃避だ。
3年付き合った彼との破局から今日でめでたく1ヶ月。何でも記念日と銘打ってきたのだから、同じ熱量で祝い奉らないと割に合わない気がする。
何の帳尻を合わせようとしているのか自分でもわからないけれど、とにかく彼と私の人生が全く重ならなくなることに耐えられなかった。悲しい副反応だ。
良いことよりも悪いことのほうが立て続けに起こるものだから、勿論仕事でも玉砕した。
こちらの5年間に及ぶ献身的な働きなど視界にも入っていなかったようで、1年で辞めた派遣を契約社員として入社させていた。ぽっと出のやつに、まんまとその席を奪われたのだ。
もうないだろう。もう不運は出尽くしただろう。
むしろ清々しい気持ちで嫌な予感がした実家からの電話に出てみるとそれはもう爽快に裏切られた。
結局、なんとも厄介な頼みごとを引き受けてしまったことで遂に私の中の糸が切れて、全てを休むことにした。
恋愛も。仕事も。家族も。
頼むから一旦、休ませてくれ。
