俺は彼女の言葉に素直に従って、放課後教室へ向かった。
 夕日の差した仄かに薄暗い教室で、彼女は一人窓辺に佇んでいた。
「おい、来たぞ。五分な」
 俺は教室の入り口からそう声をかけた。俺の言葉に、彼女はこちらへ振り返って「来ないかと思ったよ」とほっと胸を撫で下ろした。
「じゃあ早速用件を言うね」
 俺が教室に両足を入れた瞬間、彼女は口を開いた。
「君、私のこと消してよ」
「…はっ?」
 彼女の言葉に俺は思考も追いつかないまま声が出た。
 今、俺は何と言われたのだろうか。
「私のことを消してって言った?」
 俺の問いかけに彼女は「うん」と笑顔で頷いた。
「断る。じゃあな」
 俺がそう言って振り返り、教室から片足を出した。てっきり止めてくるのかと思ったが、そんな気配はない。
 俺は何となく振り返ってみる。するとそこには少し儚げな表情を浮かべ、夕日に染められるルナの姿があった。
 俺は教室に片足を戻し、彼女の方へ身体を向け直した。
「話だけ聞いてやる」
 俺の言葉に今度はふっと軽く笑いをこぼし、彼女は口を開いた。
「百万円でどう?」
「はぁ?」
 彼女から出た言葉に、俺は再び疑問符を浮かべた。俺はてっきり事情を相談してくれると思っていたのに。
「死亡保険に入ってるから、それくらいは払えるはずだよ。遺言に書いておく。それに君を犯罪者にするつもりはないよ」
 彼女は当たり前かのように平然とそう語った。
「待て待て、仮に俺が百万貰えるとして、どうやって俺の罪を庇うんだ?」
「それはね、君に屋上から私の背中を押してもらうんだ。そしたらきっと誰も君が殺したとは思わない。私が勝手に死んだと思うよね」
 俺の問いに対し、彼女は得意げに指を回しながら言った。
「ふざけてるの?」
 あまりにいい加減な様子に俺はついそう言葉を漏らした。
「本気だよ」
 俺の言葉に、彼女は今度こそ真剣な眼差しで俺を見つめた。
 こんな話、仮に本気だとしても断るに決まっている。俺には人殺しをする覚悟なんてない。
 そう結論を出し、断ろうとした時、俺が彼女に本を貸したときの光景が蘇る。
 泣きながら階段を上っていた彼女は、一体どこを目指していたのだろうか。
「お前、あのとき俺がいなかったらどうするつもりだった?」
「屋上から落ちて死のうとしてたよ。でも、その覚悟を削いだのは君だよ」
 だから責任取ってと彼女は言った。
 俺があの時本を貸してしまったから、こんなことに巻き込まれてしまったのかと、今更ながら自分の行動に後悔した。
「分かった。でも時間がほしい」
 俺の提案に彼女は少し悩んだ後、いいよと言った。
「でも、期間はこっちが設けるよ。そうだなぁ、じゃあ冬が明けて、桜が散るまでね」
 彼女の言葉に俺は「分かった」と返す。だが、俺は微塵も了承できていない。それもそのはずだろう。俺は時間がほしいと言ってそのまま逃げるつもりだったのだから。
「じゃあまた明日、学校でね」
「あぁ」
 言い終えると彼女は教室を立ち去った。そして、教室にはたった一人、俺だけが取り残された。
 何の罪にもならず、百万円が得られるのなら、殺してしまえばいいじゃないかと考えてみるが、どうしてもそうは思えなかった。当たり前の事だが、俺には人を殺す勇気なんてなかったんだ。
「帰ろう」
 俺は思考を放棄し、呟くようにそう言って教室を出た。
 部活動休養日ということもあって電気のついていない廊下は、窓から差し込む夕陽によって照らされていた。
 俺は階段を二階分下り、廊下を少し歩いて玄関に辿り着いた。もしかしてまた彼女と出会うんじゃないかなんて心配していたが、杞憂だったようだ。
 俺は上靴を脱ぎ、自分の下駄箱に入れてから外靴を取り出し、地面に放り投げた。
 放り投げられたそれは、一つは靴底を上に、もう一つは靴底を下にして静止した。
「俺の雲行きは不明と」
 俺は座り込んで靴を履いた。
「はぁ、よいしょっと」
 勉強道具の詰まったリュックを背負ったまま立ち上がるのは中々骨が折れる。
「にしても、『私のこと消して』か」
 その後の会話から、殺してほしいという意味にとるのが正しいのだろうが、何かが引っかかる。
 これから死ぬって決心して、覚悟を持った人間が涙を流すものなのだろうか。
 答えは分からなかった。なぜなら俺は死のうとしたことがないからだ。
 正直に言ってしまえばこのまま関与したくないのだが、それもそれで俺の良心が抉られる。
 一度差し伸べた手は、手を取られるまで差し伸べなければならないという俺の中の自分勝手な流儀に反するのだ。
「どうすればいいんだ、俺」
 そんな事を考えながら俺は帰路についた。
 夕日に焼かれた街並みは、いつもより温かみがあって、気温こそ低いものの、まるで俺を励ましてくれているように感じた。
「よう、光。元気?」
 聞き慣れたいい加減な声が俺の耳を刺した。
声のした方向に振り返ると、そこには綺麗に整えられた七三カットに眼鏡が特徴的な俺の幼馴染、南川聖がいた。
「下の名前で呼ぶなって言ってるだろ。あと元気ではない」
 俺の言葉に聖はごめんごめんと軽々に言った。
「にしても元気じゃないってはっきり言うの珍しいね」
 聖は俺と同い年で、俺の影響かライトノベル小説にかなりハマっている。
「あぁ、ちょっと色々あってな。今悩んでるんだよ」
 俺の言葉に聖はへえと言って、この間二人で一緒に買った小説の話をし始めた。
 相談しようと期待していたのだが、どうやら期待をすることは間違いだった事に気づいた。
「はぁ」
「あ、今ため息ついただろ。なんだよ、本当に何かあったのか?」
 俺の様子に流石の聖でも違和感を覚えたのか、俺の肩に手を置きながらそう言った。
 俺は肩に置かれた手を振り払いながら口を開く。
「お前さ、百万あげるし罪にならないから人殺せって言われたらどう思う?」
「え、それは赤の他人ってこと?」
 俺の言葉に真っ先に出てくる言葉がそれなことに驚きながらも、俺は「うん」と返した。
「えー。でもな、罪にならないってのが本当かわからないし、金には困ってないから俺はいいや」
 聖の言葉に俺は聞く相手を間違えたと思った。
 聖の家はかなりの金持ちだし、こいつはこう見えて地元の名門高校に通うくらいには頭も良く、人に騙されるということもないから、金には困っていないのだ。
「そうか。ありがとな」
「なんだよ、何があったんだ?」
 俯く俺に聖が言った。俺はそれに対して「なんでもない」と返した。
 そこから聖がそれ以上追求してくることはなかった。こいつは単純な性格だから、難しいことはできないししたくないのだろう。
 それから俺達は、何事もなかったかのように本の話をした。
 そして、気が付けば日も暮れていたが、無事家にたどり着くことができた。
「じゃあまたな」
 俺はそう言って自分の家の門を開いた。
 聖は「おう」と言って本を持った手を俺に振った。
「ちゃんと前見ろよー」
 俺がそう忠告するも、聖は再び本を持った手を振りながら立ち去った。
「まぁここからあいつの家も近いし、大丈夫か」
 俺は門を閉じ、玄関の扉を開けた。
「ただいま」
 俺は誰にも聞こえないように小さく呟くように言った。
 そうする理由は特にはないが、帰ってきて家族と「ただいま」「おかえり」というやりとりをするのが何となく嫌だった。
「あら光、おかえり」
 リビングに続く扉を開けると、夕飯の匂いと共に笑顔の母に歓迎された。
「うん。今日のご飯何」
「今日は生姜焼きだよー」
「うん。分かった」
 俺は母の隣で手を洗いながら軽く会話を済ませ、自室へ向かった。
 自室の扉を開け、制服のブレザーを脱ぎ捨てた俺はベッドに横向きで横たわった。
「消して、か」
 彼女の言葉が頭の中で永遠に巡っている。消してほしいというのは本心なのだろうか。どっちにしろ、俺には彼女を殺す覚悟がない。
「どうやって断ればいいんだ」
 そんなことを考え続けていると、瞼が重くなってきた。それが睡魔に襲われていたのだということは、起きてから気づいた。
「光、ご飯の時間だよ。起きて」
 母さんの声が聞こえると同時に身体が揺さぶられていることに気づく。
「あぁ、ごめん。今行くよ」
「光がご飯前に寝るなんて珍しいわね。ひじ君と喧嘩でもした?」
「違うよ」
 俺は瞼をこすりながら否定した。
 母はそれを聞いて両手を腰に当てながら「まったく」と言って部屋を出ていった。何がまったくなのかは、俺には分からなかった。
 俺は部屋着に着替えてから部屋を出て、リビングに向かった。すると、そこには既に食事が盛り付けられた皿が二人分置かれていた。
「いただきます」
 俺は席に座り、真っ先にそう言って箸を手に取った。
 夕食の献立は生姜焼きにサラダ、味噌汁と白米といういかにも夕飯と言えるものだった。
「はい、どうぞー」
 母は何だか楽しそうに笑っていた。
 母のそんな様子を横目に、俺は生姜焼きを白米の上に乗せて口へ放り込む。
 噛む度に生姜焼きから溢れ出る肉汁が白米に染み込んで、口の中に味が広がっていく。
「どう?美味しいでしょ」
 今日は自信あるのよと母は嬉しそうに笑った。
「うん。ところで三者面談って行くの」
「もう、すぐ話逸らす。行くわよ、光の素行の悪さを聞きに」
 なんて人聞きの悪いと言いたいところだが、否定はできなかった。授業をサボって階段の踊り場で読書をする時点で、素行がいいわけないからだ。
「うん、立ち眩みしないように気をつけてね」
「そんなに?もう、お父さんになんて言えばいいのよ」
 母が頭を抱える様子を無視するように、俺は箸を進める。だが、不意にその手は止まった。
「光?」
 母は食べる手を止め、訝しみながら俺を見た。
 手が止まった理由は、頭の中にあの言葉が流れてきたからだ。
「君、私のこと消してよ」
と。
「ごめん、何でもないよ」
「そう言うときは大抵が何でもなくないの。どうしたの?」
「本当に何でもないって」
 俺は白米の入った茶碗と箸を机に力強く置いた。それによって生じたゴンッという音で俺は我に返った。
「ごめん、本当に何でもないんだ」
 俺はそう言って再び茶碗と箸を手に取った。
「そう、まぁ母親に話したくないことの一つや二つあるわよね」
 母は少し寂しそうに目を細めながら、箸を進めた。
 どうして俺はもっと素直になれないのだろうか。きっと年齢のせいだ。そう言い訳をして、俺は口にサラダを放り込んだ。
「ごちそうさまでした」
 俺はそう言って食器も下げずにそそくさと自室へ戻った。
「なんでこんなこと、俺に頼むかな」
 頭を半分枕に埋めながら、俺は弱音を吐くように呟いた。
 ルナはクラスでも人気者だから、頼む相手なんていくらでもいるだろうに、なぜ俺に頼むのか。いくら考えても答えは出なかった。
「色々聞いてみるしかないよな」
 そう結論付けた俺は布団を被り、冴えた目を無理やり閉じて、朝を待った。
 チュンチュンと小鳥が鳴いた。やっと朝が来たみたいだ。
 俺はベッドから起き上がり、制服に着替える。着替える俺の手は、寝不足のせいか若干動きが悪いように感じた。
 着替え終えた俺は、扉を開けてリビングへ向かう。リビングにたどり着き、キッチンに立つ母を目視した俺は、目を逸らしながら無言で食卓に座った。
「光、おはよう」
「今日の朝ご飯は?」
 母の挨拶に返事を返すこともなく、俺はそう尋ねた。
「今日はトーストの上にベーコンと目玉焼きを乗せたやつー」
 母は俺の問いに対して陽気に答え、両手に皿を持ち、食卓に座った。
「はい、光にはちょっと焦げちゃったやつね」
 母はそう言って目玉焼きとベーコンの間から焦げた表面を覗かせるトーストの乗った皿をこちらによこした。
「何でだよ、普通そういうのは焦がした本人が焦げたやつだろ」
「お母さんに優しくしない子にはお母さんも優しくしませーん」
 母の言葉に俺は目を逸らしながら「別に優しくしてないわけじゃないだろ」と小さく呟くように言った。
「まぁ反抗期だしね。しょうがないなぁ」
 母はそう言うと俺の手元にあった皿と母の手元にあった皿を入れ替えた。
「別にそんなんじゃないけど」
 俺はそう言いながら口を大きく開き、トーストにかぶりつく。
 半熟の卵から黄身が溢れ出し、皿の上にこぼれる。その様はまるで緩やかな噴火のようだ。
「美味しい」
 俺は無愛想にそう一言だけ言葉を紡いだ。
「あら珍しい、どうしたの急に」
 母のわざとらしい態度に、俺は「母さんが優しくしろって言ったんだろ」と睨みつけながら言った。
「ふふっ、そういえばちゃんと面談の日付覚えてる?」
「十二月八日だろ。覚えてるよ」
 俺の言葉に母は再び「あら珍しい」と煽るように言った。
 俺が何となく母と会話をしたくない理由は何というかこういうお調子者のような性格にあるのかもしれない。
「母さんの方こそ、あと一ヶ月も先なんだから日付忘れないでよ」
「うん、大丈夫大丈夫。メモはしてないけど」
 じゃあどこからその自信は湧いてくるんだとツッコもうと思ったが、ため息をつくだけに留まった。
 朝食を食べ終え、洗面台で歯ブラシが俺の口の中でシャカシャカと音を立てている。
 歯を磨いている間も、俺の頭の中にあったのはやはりあの言葉だった。
 鏡に映る自分の顔を見つめてみるも、疑問に対する答えは書いていない。
 歯を磨き終え、リュックを背負ってそそくさと玄関に向かった。
「いってらっしゃい、光」
 母からこれを言われないために急いでいたのに、結局言われてしまった。
「あぁ」
 俺は一言だけ呟くように言葉を漏らし、振り返ることもなくドアノブを捻った。
 学校に近づくにつれ、俺と同じ制服を身にまとった人間の数が増していく。そして、それと同時に「昨日のテレビ見た?」とか「あの先生マジ最悪」とか、そんな年相応の会話が聞こえてくる。
 俺はそれらの一切を無視して、一人で学校に向けて歩を進める。まさに一匹狼というやつだろう。
 学校にたどり着き、開きっぱなしになった玄関から校舎に入る。そして、靴を脱ぎ、自分の下駄箱に入れる。
「おはよー」
 俺が上靴に手をかけたそのとき、活気に溢れた女の子の声が真横から聞こえた。
 俺はその声に思わず手を止めた。
「あぁ、おはよう」
 俺は声のした方に顔を向ける。そこには俺の悩みの種である蓮見ルナがいた。
「浮かない顔だね」
「当たり前だろ。誰のせいだと思ってる」
 彼女が笑顔で放った言葉に俺は即答した。
「そうだね。ところで、今日の放課後空いてる?」
「空いてる」
「そう。じゃあ校門前で集合ね」
 彼女は自分の靴を取りながら言った。俺も彼女に遅れないように靴を取り、それを履いた。
 教室に入ると、みんながそれぞれ友人と呼べる人間におはようと挨拶をしていた。もちろんルナも例外ではない。だが、俺にはこの学校に友人と呼べるほど親しい間柄の人間は居ないため、無言で着席した。
 着席した俺は、授業道具を取り出すこともせずに小説を手に取った。
 退屈なホームルームが終わり、先生が教室から出たあと、俺はいつも通り階段の踊り場まで足を運んだ。
 今日こそは誰にも邪魔されずに読書を完遂する。そう思いながら俺は本を捲った。
 地面と壁が程よく体を冷やしてくれてかなり心地が良い。まさにここは俺だけの特等席と言えるだろう。
 始業のチャイムが俺の鼓膜を刺激するが、それは鼓膜を刺激するだけに留まり、俺の心には何も響かなかった。
 普通の生徒であれば今から授業かと落胆するところだろうが、授業をサボることがもはや日課の俺には何の効果もない。まさに某有名ゲームで言うところの「こうかはないようだ…」というやつだろう。
 本に書かれた文章を読んでいくが、まったくと言っていいほど頭に入ってこない。まるで単なる文字の羅列を見ているみたいに。
 現場に存在しなくても妨害をするなんて、彼女は中々面倒なことをしてくれたものだ。
「はぁ」
 気が付けばため息がこぼれていた。それでも、何もしないというのも退屈なので読書は続けた。
 そして、俺はやっと待ちくたびれた放課後を迎えた。放課後までの時間はいつもの何倍も長く感じた。
「やっほー」
 校門に足を運ぶと、ルナは陽気な声で俺に向かって手を振った。
「それで、目的地は?」
「目的地?ないよ」
 彼女はそう言い切ってみせた。彼女の言葉に俺はきょとんとした。
「じゃあ何で俺を誘ったんだよ」
「話をするためだよ。君が望んでたことじゃないの?」
 確かにその通りだった。俺はルナについてもっと理解を深めるために話をしたかった。
「ほら、行くよ」
 黙り込む俺を横目に、彼女はそう言って歩き出した。そして、こちらに一つ微笑んでみせた。
 それから、彼女に連れられて住み慣れた街を歩いた。住み慣れているはずなのに、改めて誰かと歩くとどこか新鮮な感じがするのは一体なぜだろうか。
 話をするために誘ったと言う割には彼女は口を開かなかった。ただ鼻歌を歌いながら体で小さくリズムを刻んでいる。
「なあ」
「ん?どうしたの」
「話をするんじゃなかったのか?」
「うん、するよ。でもどうせ話すならいいロケーションのほうがいいでしょ」
 彼女に言われるがまま、俺達は街を歩いた。
 そして、錆のかかった緑色の古い歩道橋の中心で彼女は止まった。
 小学校の前、そして少し大きな通りに位置する歩道橋は、決して静寂が訪れることこそないものの、誰か利用するということはなく、落ち着いた空気が流れていた。
「それで、君は私に何が聞きたいの?」
 彼女は景色を眺めながら言った。それに便乗するようにして、両手を手すりに置きながら景色を見る。
「まず、何で俺に殺してと頼んだんだ。ルナには友人がたくさんいるだろう。わざわざ俺に頼んだ理由は?」
 俺の言葉に彼女は無表情という言葉が一番似合う顔をしながら口を開いた。
「うーんとね。友達に頼んでも殺してくれないでしょ。むしろ止めてくる。それなら赤の他人のほうが受け入れてもらいやすいよね。これが一つ目の理由」
「もう一つは?」
「うーん。言い表すのは難しいけど、君の行動に優しさを感じたからかな」
 俺はここで一つ素朴な疑問が浮かんだ。俺が優しいということ自体もそうだが、優しい人間に殺しを頼むだろうか。
「普通逆じゃない?優しいなら人は殺したくないっていうでしょ」
「それは偽善だよ。私が本当に死にたいんだって分かったら本当に優しい人は私を殺してくれる。それが私にとっての救いだって理解できるから」
 彼女の言葉に俺は「なるほど」と声を漏らした。
 何というか、彼女の言葉には不思議と説得力というか重みがあるというか、とにかく自然と納得することができた。
「それで、その理論で行くと俺は偽善者なんだけど」
 俺の言葉に彼女はちっちっちと人差し指を振りながら笑顔で口を開いた。
「君は私を殺すよ」
 そう言った瞬間、彼女から笑みは消えた。そして、先程まで振っていた指が俺を差した。
「じゃあ次の質問、何で俺がお前を殺すと思ってんの?」
 金に目が眩みそうだからとでも言われると思った。でも、結果は全く違うものだった。
「君は優しいから」
 俺はその言葉にふと彼女の方へ目線をやった。すると、そこには一度見たことのある真剣な表情でこちらを見つめるルナがいた。
「残念だけど、俺は優しくない」
「うん。思ってたより全然優しくない」
 彼女の言葉になら俺はやめて他の人にしろと言うために口を開いた。だが、俺より先にルナが言った。
「でも、根は誰よりも優しいと思う」
 俺は気が付けば「なんで?」と口にしていた。それは純粋な疑問だった。
 こんな俺に優しさなど感じられるはずがないと、自分で確信していたからだ。
「君はあのとき、私に本を貸してくれた。それはきっと君なりの優しさ。泣いている女の子を放ってはおけないっていう君の優しさ」
「買いかぶりすぎだ。俺は本当に何となく本を貸しただけだ」
 俺は苦笑いをしながら言葉を紡ぐ。だが、俺の紡いだ言葉は彼女によって引き裂かれた。
「ううん。私には分かるよ。だって君は優しい目をしてるもん」
 彼女はそう言って俺の頬に両手を当て、僕の顔の向きを強引に彼女の方に変えた。
 冬場の外にずっといるということもあって、彼女の手は冷たかった。その冷たさに、俺は思わず目を閉じた。
「あはは、ごめんごめん」
 彼女はそう言いながら俺から数歩距離を取った。
「まあそういうことだから。だから私は君に頼んだの」
「その期待は僕にはあまりにも重いな」
 そう、その期待は本当に僕にとって重かった。というか、誰にとっても重たいだろう。
 人を殺せるという期待をされるなんて、本来殺し屋でもない限りあり得ないだろう。
「そうだよね。でも、私はこのことを他でもない君にお願いしたいの」
 彼女の言葉はまるで僕の心を劈くようだった。
「もう一つ、質問がある」
 僕は彼女の言葉に返事をすることもできずに、少しの沈黙を作った後にそう言った。
「何かな?」
 彼女は景色を眺めながら笑顔を浮かべている。
「君は、なんで笑ってるんだ」
「光くんは不幸な人間は不幸な顔をしていろって言う人?」
 その問いで俺は何となく察した。彼女は何かを抱えていて、その上で笑って生きたいだけなんだと。
「ごめん、俺が悪かった」
 バツの悪そうな俺に彼女はこちらを向いて優しい笑顔を浮かべながら「いいよ」と言った。
「なあ」
「何?」
 俺達の会話はなんだかぎこちないものになってしまった。理由は恐らく、お互いにお互いを気遣う気持ちが強いあまり、何をどう話していいか分からないのだろう。
「ごめん、やっぱり何でもない」
「そっか」
 俺には俺が思い浮かべた言葉を彼女に伝えることはできなかった。でも、俺はこのとき確かに思った。
 どんな事情を抱えていたとしても、蓮見ルナは生きるべきだって。