昼休み、教室の窓際で本を開いていた俺の横に佐藤さんがノートを抱えて立っていた。
「佐々木くん、ちょっと良いかな?」
顔をあげると、彼女は少し困ったように笑っている。
「どうした?」
「えっと、この問題、全然分からなくて…」
そういって差し出されたページを見ると、さっきの授業で扱った範囲の応用問題だった。
「ここは…」
と説明を始めようとした、その時、
「確か、似た問題がワークに載ってたよ。参考にしてみたら?」
不意に横から声が割り込んできた。
涼太だった。一見穏やかな笑みを浮かべているが、目は笑っていない。っつーか、急に割り込んでくんなよ。
「あー、ありがとう。」
佐藤さんはほんの少し眉を潜めたが、それでも気にしないような素振りで俺に視線を戻す。
もしも俺が誰かからこんな無言の圧をかけられたら絶対に二度と話したくなる気がする。
「お願い。解説だけじゃ限界があってさ。少しで良いから教えてもらえない?」
俺が頷いて説明を始めると、佐藤さんは『なるほど』と相槌を打ちながら、真剣な表情で話を聞いていた。こんなに集中して聞いてくれる人はなかなかいないから、少し嬉しくて調子に乗ってしまう。
「ここの値を求めるには…」
けれど、どこかで視線を感じる。俺の体にグサグサと刺す気があるのかと言うくらいに強い視線。
「蓮、そこ違うよ。」
耳元で響く声に、一瞬、心臓がドクンと鳴った。
驚いて顔を上げると、涼太がじっと俺を見つめている。その表情は、さっきまでも穏やかな雰囲気は消え二人きりのときに見せる冷めた表情に近い気がした。
「…ごめん。ここだけ計算ミスしてた。」
「ううん。教えてくれてありがとう。佐々木くんの説明めっちゃ分かりやすかった!」
佐藤さんがお礼を言い、自席へ戻っていく。その背中を見守る間も涼太の視線は途切れなかった。
気になって前を向くと、席が前後だからか椅子を後ろに向けて座っている涼太とは簡単に目が合った。
「…何」
「蓮、頭に何かついてる。」
「…お前、それ早く言えよ。」
まさか、それだけのためにずっと待っていたのか?いや、涼太はそんな面倒なことはしない。
芝居かかった態度に思わず、笑ってしまいそうになる。決して表情には出さないけれど。
自分の頭に手を伸ばそうとすると、涼太が身をスッと乗り出してきた。
「蓮、じっとしてて。取れないから。」
涼太の少し冷たい指先が軽く髪を掠めた。
「ん。」
少しくすぐったくて思わず声が漏れる。
静かに綿を取り除くと、涼太は満足げに微笑んだ。
「こんなのつけちゃって、小学生みたいだね。」
「うるせー。」
くだらないやりとりなのにどこか懐かしくて、つい笑みが溢れてしまう。
「小学生のときみたいだね…」
俺の心を読んだかのような涼太の言葉に驚いた。
こいつも同じことを考えてたんだ。
ふと、昔の記憶が蘇る。
ーー校庭の隅で転んだ俺の頭に、小さな葉っぱが乗っていた。
涼太はそれを取りながら笑った。
『蓮ってちっちゃい子みたい』
そのときの顔が、今の涼太に重なる。
「あの時も、こんなふうに言われたよな…」
小さく呟くと、涼太はわずかに目を細めた。
「蓮も覚えてたんだね。」
「まあな。」
当時の俺は、からかわれたことが少し悔しくてむっとした顔で涼太を睨んだ気がする。
「昔からそういうところは変わんねーよな。」
「そう?蓮のほうこそあの頃と変わってないよ。」
「どこが?」
「ほら、今みたいにむっとするとこ。」
「…してねーよ。」
そう返すと、涼太はますます楽しそうに笑った。
さっきまでの態度が嘘みたいに思えてくる。
この幼馴染のことは誰よりも知っているつもりだったけど、時々その本心が分からなくなる瞬間がある。
「…お前、ほんと何考えてんのか分かんねー。」
思わず問いかけた俺の問いに、涼太は「まあね。」とだけ返した。
「お前な…」
「それより、昼休みもうすぐ終わるよ。」
俺の言葉をかわすように、涼太はさりげなく時計を指差す。
まるでこれ以上は話すな、とでも言うように。
深く追及するのはやめて、本を閉じた。
分かっている。涼太が本当に話したくないことは俺がどれだけ問い詰めても絶対に答えない。
それこそ、昔から変わらない部分だ。
「次の授業、俺の背中を盾にして寝ないでよ?」
「あー、考えとく。」
適当に手を振ると、涼太は呆れたように笑いながら前を向いた。
結局、俺は幼馴染なのに、涼太の気持ちさえも聞くことができない。