「蓮、おはよう。」
春先のひんやりと冷たい空気を纏う朝、その空気を切り裂くように佐伯涼太の声が響いた。茶色い癖っ毛が風に揺れ、185cmの背があまりにも遠く感じる。まあ実際10cmくらい離れてるんだけど。
「おはよう。」
また、いつものように無愛想に返してしまった。けれど涼太はまるで気にしていないかのように黙ったまま歩き出す。俺はその様子に少し寂しさを感じながら、でも気にしてくれてない方がありがたいかもしれないと思い直す。
こいつはいつも登校中に何を考えているのかさっぱり分からない。喋りたくないなら一人で行けばいいのに、どういうわけか毎朝俺の家まで迎えにきてくれる。
昔みたいに楽しく話しながら登校したいと何度も考えてきたけど、それを言うとさらに関係が拗れるような気がして言えなかった。
学校が近づくにつれて、少しでも早くこの重い空気から解放されたくて、つい歩幅が大きくなってしまう。
学校の正門が見え始めると、涼太は息を深く吸って校門をくぐる。
そこまで大袈裟にする必要ないだろ。つい言いたくなったが、毎朝のルーティーンを崩されたら嫌だろうなと言うのをやめることにした。
靴箱へと向かう途中、こいつはさっきまでの無表情が嘘かのように俺に優しく笑ってみせた。
「蓮、ネクタイ曲がってる。直すからこっちおいで。」
「ん。」
シュルリとネクタイが外されると、俺はそのまま涼太に任せた。
直してくれるのはありがたいけど、全部外さなくて良いのに。
「直せたよ」
涼太の一言に、ただ『ありがとう』と返し、今度は普通に喋りながら教室まで歩いていく。毎朝、この変わりようには逆に関心してしまうくらいだけど、あえて突っ込まないことにした。
1−3と書かれたドアを恐る恐る開けると、すぐに橘の声が耳に飛び込んできた。
「おはよ!今日もお前らラブラブだな!」
「マジで、朝から仲が良すぎだろ。」
貝塚もにやりと笑いながら、からかってくる。
毎日扉の前で待ち構えてからかってくんのは正直面倒くさい。
だって涼太はここで、悪戯っぽく俺の肩に腕を回すから。
「幼馴染なんだから、普通じゃない?」
別に仲良くないし、腕まで回さなくていーだろ、と心の中で何度も呟く。でも、それを口にすることはない。何回も『照れんなって!』って揶揄われたこと、まだ根に持ってるし。
「ああ。」
だから適当に相槌を打ちながら席へ向かおうとしたそのとき、ふと二の腕を掴まれる。
「ちょっと、蓮。置いていかないで。」
耳元で響く涼太の声。軽やかに響くその声とは裏腹に、握られた腕は少し痛くて、涼太の手の熱が服越しに伝わってくる。
涼太はよく困ったような表情をする。無表情だったり、ヘラヘラと笑ったり、困ったような表情をしたり。どれが本当の涼太なのか、俺には分からない。
でも、どこか今日の涼太はいつもと少し違う気がする。
涼太の手が少し震えているのを感じるし、何より普段はこんなにも焦ったような表情をしない。
その微かな変化に気付けるのは、幼馴染の特権なのかもしれない。