今日、最後の授業は地理総合だった。体育の後の眠気に周囲が沈没している中、僕は健ちゃんの話に頷き、ひとつひとつの言葉を刻んでいく。健ちゃんじゃなかったら僕も沈没していただろう。意外なことに神崎も寝てはいない。じっと健ちゃんのほうを見ている。
「――と、じゃあ、今日はここまで」
チャイムが目覚ましとなり、周囲にざわめきが戻る。日直の号令のあと、健ちゃんが思いついたように口を開く。
「先生と一緒に準備室に行ってくれるひと募集」
面倒だな、という空気に包まれる前にさっと手を挙げる。
「僕行きます」
「ありがとう。小鳥遊いつも悪いな」
健ちゃんと一緒にいられる時間が増えるのだから、ちっとも悪いことじゃない。
「お、神崎も手伝ってくれるのか?」
健ちゃんの言葉に、みんなが一斉に神崎へと視線を向ける。彼が立候補するなんて誰も思っていなかっただろう。こういう雑用に一番消極的だと思ったのだが。
神崎はきゅっと眉を寄せたまま、片手を顔の高さに挙げていた。
「ありがとな。じゃあ、小鳥遊と神崎は俺と一緒に来て」
健ちゃんのあとを神崎と並んで歩く。本当は健ちゃんの隣に行きたいけど、壁側に立ってしまったので、神崎を押し退けないと前に行けない。健ちゃんとふたりで話せるチャンスだったのに。
「悪いな。意外と重いだろ、それ」
振り返った健ちゃんに、地図を抱えた神崎が「べつに」とそっぽを向く。おい。自分から立候補したのにその態度はないだろ。
「小鳥遊も悪いな」
「僕はべつに重くないから」
大きな巻物と化した地図とは違い、ひとクラス分のプリントはちっとも重くない。地図を運ぶほうが健ちゃん的には助かっていると思うと神崎より身長が低いのが悔しい。
「神崎はどう? 馴染めそう?」
「さあ」
「まあ、まだ二日目だもんな」
健ちゃんは明るく笑ったけど、僕の中にはふつふつと怒りが湧き始める。健ちゃんの気遣いを「さあ」で終わらせるなんて。本当に態度がなっていない。こんなことなら大人しく教室にいればいいのに。どうして手伝いに立候補したんだ。
「そういえば、中川に言われたんだけど」
準備室へと続く階段の手前、健ちゃんが足を止める。
「神崎の態度が悪すぎるって」
健ちゃんが神崎ではなく、僕を見る。
「俺の授業では普通だし、ほかの先生からも何も言われてはいないんだけど。中川となんかあった?」
「実は……」
「べつに。ダサいことしてたからダサいって言ってやっただけだけど」
僕の声に神崎の鋭い声が被る。ぐっといつもより深く眉間に皺を寄せ、健ちゃんを睨み上げている。
「なるほどな」
「俺からしたら先生もどうかと思うけど」
「俺?」
「なんでもかんでも小鳥遊に頼みすぎ。幼馴染だかなんだか知らないけどそういうのどうなの?」
突然健ちゃんに絡みだしたかと思えば、何を言うのだ。神崎くん、とどうにか笑顔を作るが声は怒りに震えそうだ。
「僕が自分ですすんでやってるだけで、健ちゃんに頼まれてるからじゃないよ」
「一昨日も残ってたよな」
「あれは学級委員の仕事だから」
覚えていたことに驚きつつ、プリント拾ってくれなかったなと思い出して怒りが加算される。
「俺の勉強は?」
「それは」
言葉に詰まった僕に、ぱん、と乾いた音が降ってくる。見上げれば健ちゃんが両手を合わせていた。とても見慣れた光景。だけど、これは僕と健ちゃんのふたりだけのものだったのに。
「神崎の言うとおりだな」
ふっと表情を緩めた健ちゃんが、僕を見る。
「ごめんな、俺のほうが甘えて。これからは頼み過ぎないように気をつける」
「僕は健ちゃんに頼まれて嫌だったことなんてないよ」
「ほんとに優しいなあ」
空は、と健ちゃんが僕の頭へと手を伸ばした瞬間、ぐいっと体が横へ引っ張られた。なぜか神崎に腕を引かれ、健ちゃんの手を避けたかたちになる。なんで引っ張られたのかもわからなければ、せっかく健ちゃんに触れてもらえる貴重な機会を逃し、怒りと驚きでいっぱいになる。なんてことするんだよ。
僕がぐっと神崎を睨むと、手を引っ込めた健ちゃんが僕と神崎の両方へ問いかけた。
「神崎の勉強はこのまま小鳥遊に見てもらったほうがいいよな?」と。
笑いを堪えるような健ちゃんの表情に僕の頭は「?」でいっぱいになる。なんでそんなに楽しそうなの? 神崎は健ちゃんに文句を言ったくせに「いいけど」とあっさり頷き、僕の返事待ちとなる。
神崎には怒りポイントだらけだけど、健ちゃんの頼みは嫌じゃない。それは本当だから「僕もいいよ」と笑って答えるしかなかった。
「――と、じゃあ、今日はここまで」
チャイムが目覚ましとなり、周囲にざわめきが戻る。日直の号令のあと、健ちゃんが思いついたように口を開く。
「先生と一緒に準備室に行ってくれるひと募集」
面倒だな、という空気に包まれる前にさっと手を挙げる。
「僕行きます」
「ありがとう。小鳥遊いつも悪いな」
健ちゃんと一緒にいられる時間が増えるのだから、ちっとも悪いことじゃない。
「お、神崎も手伝ってくれるのか?」
健ちゃんの言葉に、みんなが一斉に神崎へと視線を向ける。彼が立候補するなんて誰も思っていなかっただろう。こういう雑用に一番消極的だと思ったのだが。
神崎はきゅっと眉を寄せたまま、片手を顔の高さに挙げていた。
「ありがとな。じゃあ、小鳥遊と神崎は俺と一緒に来て」
健ちゃんのあとを神崎と並んで歩く。本当は健ちゃんの隣に行きたいけど、壁側に立ってしまったので、神崎を押し退けないと前に行けない。健ちゃんとふたりで話せるチャンスだったのに。
「悪いな。意外と重いだろ、それ」
振り返った健ちゃんに、地図を抱えた神崎が「べつに」とそっぽを向く。おい。自分から立候補したのにその態度はないだろ。
「小鳥遊も悪いな」
「僕はべつに重くないから」
大きな巻物と化した地図とは違い、ひとクラス分のプリントはちっとも重くない。地図を運ぶほうが健ちゃん的には助かっていると思うと神崎より身長が低いのが悔しい。
「神崎はどう? 馴染めそう?」
「さあ」
「まあ、まだ二日目だもんな」
健ちゃんは明るく笑ったけど、僕の中にはふつふつと怒りが湧き始める。健ちゃんの気遣いを「さあ」で終わらせるなんて。本当に態度がなっていない。こんなことなら大人しく教室にいればいいのに。どうして手伝いに立候補したんだ。
「そういえば、中川に言われたんだけど」
準備室へと続く階段の手前、健ちゃんが足を止める。
「神崎の態度が悪すぎるって」
健ちゃんが神崎ではなく、僕を見る。
「俺の授業では普通だし、ほかの先生からも何も言われてはいないんだけど。中川となんかあった?」
「実は……」
「べつに。ダサいことしてたからダサいって言ってやっただけだけど」
僕の声に神崎の鋭い声が被る。ぐっといつもより深く眉間に皺を寄せ、健ちゃんを睨み上げている。
「なるほどな」
「俺からしたら先生もどうかと思うけど」
「俺?」
「なんでもかんでも小鳥遊に頼みすぎ。幼馴染だかなんだか知らないけどそういうのどうなの?」
突然健ちゃんに絡みだしたかと思えば、何を言うのだ。神崎くん、とどうにか笑顔を作るが声は怒りに震えそうだ。
「僕が自分ですすんでやってるだけで、健ちゃんに頼まれてるからじゃないよ」
「一昨日も残ってたよな」
「あれは学級委員の仕事だから」
覚えていたことに驚きつつ、プリント拾ってくれなかったなと思い出して怒りが加算される。
「俺の勉強は?」
「それは」
言葉に詰まった僕に、ぱん、と乾いた音が降ってくる。見上げれば健ちゃんが両手を合わせていた。とても見慣れた光景。だけど、これは僕と健ちゃんのふたりだけのものだったのに。
「神崎の言うとおりだな」
ふっと表情を緩めた健ちゃんが、僕を見る。
「ごめんな、俺のほうが甘えて。これからは頼み過ぎないように気をつける」
「僕は健ちゃんに頼まれて嫌だったことなんてないよ」
「ほんとに優しいなあ」
空は、と健ちゃんが僕の頭へと手を伸ばした瞬間、ぐいっと体が横へ引っ張られた。なぜか神崎に腕を引かれ、健ちゃんの手を避けたかたちになる。なんで引っ張られたのかもわからなければ、せっかく健ちゃんに触れてもらえる貴重な機会を逃し、怒りと驚きでいっぱいになる。なんてことするんだよ。
僕がぐっと神崎を睨むと、手を引っ込めた健ちゃんが僕と神崎の両方へ問いかけた。
「神崎の勉強はこのまま小鳥遊に見てもらったほうがいいよな?」と。
笑いを堪えるような健ちゃんの表情に僕の頭は「?」でいっぱいになる。なんでそんなに楽しそうなの? 神崎は健ちゃんに文句を言ったくせに「いいけど」とあっさり頷き、僕の返事待ちとなる。
神崎には怒りポイントだらけだけど、健ちゃんの頼みは嫌じゃない。それは本当だから「僕もいいよ」と笑って答えるしかなかった。



