強く結ばれていた視線が不意に解かれる。神崎がブレザーのポケットから何かを取り出した。
「それ……!」
神崎の手のひらに乗っていたのは消しゴムだった。十年ほど前に流行ったキャラクターのもので、いまはもう見かけない。僕が健ちゃんにもらったお守りと同じ。というか、きっと。
「僕の、だよね?」
ずっと持ち続けていたのだろうか。十年も、ずっと。
「どうしても、ほしかったんだ」
「そんなにこのキャラが好きだったの?」
「違う。空と離れることが決まって、それで……」
「お守り、ってこと?」
「どうしてもまた会いたかったから」
「だからってとらないでよ」
「ごめん。でも、それくらい空が好きだったんだ」
落ちてきた言葉が胸の奥へと滲みていく。滲んでいた視界が明るさを取り戻す。目の前の神崎を刻みつけようと、感覚が鮮やかになっていく。
「好きだから、どうしていいかわからなくて、構ってほしくて、独り占めしたくて、自分だけを見てほしくて、優しくしたいのにうまくできなくて、全然できなくて。空が、ほかの子と仲良くしてるのも許せなくて、それで」
「大嫌い、って言ったの?」
重ねたままだった手にきゅっと力を入れる。もう逃げないように。僕も、神崎も。
「……ごめん」
それが答えだった。
好きだけどうまくできない。優しくしたいのに意地悪してしまう。触れたいのに遠ざけてしまう。見つめていたいのに顔を背けてしまう。好きだけど。好きだから、うまくできない。矛盾だらけで、――だからこそ愛おしい。
「なんだよ、それ」
ふっと風が通るように力が抜ける。胸の中で膨らむ柔らかな温かさが、とても自然に喉を開いた。
「好きだよ」
大きくなった瞳に自分だけを映し込む。
「僕も、優一くんのことが好きなんだ」
そら、と名前が届くと同時、今度は優しく引き寄せられる。
トン、とブレザーの隙間に額がぶつかり、長い腕に閉じ込められる。
ふわりと浮かぶ匂いは懐かしく、シャツ越しに触れる体温が自分の息と重なって熱い。廊下から流れてくる吹奏楽部の練習音も、窓の向こうの運動部の声も聞こえない。奥から響く鼓動が、自分のものと重なっていく。
輪郭が融け合うような感覚に「離れたくない」と思った。僕がひとりでいても寂しくなかったのは、この心地よさを知らなかったからかもしれない、とも。
「空」
そっと緩んだ隙間に落ちてきた名前。こっち見て、と言われているのはわかったけれど、無理だった。重なっていたはずの鼓動が自分だけ速くなっている気がして、顔が熱くてたまらない。
「ごめん、ちょっと、待って」
「まあ……いくらでも待つけど」
ピアスで年数を刻み、消しゴムを十年持ち続けた優一くんにとって、ここからの数分なんて短いものなのだろう。
そっと視線を上げれば、優一くんの白い頬は夕陽色に染まっていた。光の傾きはとっくに変わっているのに。
でも、たぶん、僕も、同じだ。
「それ……!」
神崎の手のひらに乗っていたのは消しゴムだった。十年ほど前に流行ったキャラクターのもので、いまはもう見かけない。僕が健ちゃんにもらったお守りと同じ。というか、きっと。
「僕の、だよね?」
ずっと持ち続けていたのだろうか。十年も、ずっと。
「どうしても、ほしかったんだ」
「そんなにこのキャラが好きだったの?」
「違う。空と離れることが決まって、それで……」
「お守り、ってこと?」
「どうしてもまた会いたかったから」
「だからってとらないでよ」
「ごめん。でも、それくらい空が好きだったんだ」
落ちてきた言葉が胸の奥へと滲みていく。滲んでいた視界が明るさを取り戻す。目の前の神崎を刻みつけようと、感覚が鮮やかになっていく。
「好きだから、どうしていいかわからなくて、構ってほしくて、独り占めしたくて、自分だけを見てほしくて、優しくしたいのにうまくできなくて、全然できなくて。空が、ほかの子と仲良くしてるのも許せなくて、それで」
「大嫌い、って言ったの?」
重ねたままだった手にきゅっと力を入れる。もう逃げないように。僕も、神崎も。
「……ごめん」
それが答えだった。
好きだけどうまくできない。優しくしたいのに意地悪してしまう。触れたいのに遠ざけてしまう。見つめていたいのに顔を背けてしまう。好きだけど。好きだから、うまくできない。矛盾だらけで、――だからこそ愛おしい。
「なんだよ、それ」
ふっと風が通るように力が抜ける。胸の中で膨らむ柔らかな温かさが、とても自然に喉を開いた。
「好きだよ」
大きくなった瞳に自分だけを映し込む。
「僕も、優一くんのことが好きなんだ」
そら、と名前が届くと同時、今度は優しく引き寄せられる。
トン、とブレザーの隙間に額がぶつかり、長い腕に閉じ込められる。
ふわりと浮かぶ匂いは懐かしく、シャツ越しに触れる体温が自分の息と重なって熱い。廊下から流れてくる吹奏楽部の練習音も、窓の向こうの運動部の声も聞こえない。奥から響く鼓動が、自分のものと重なっていく。
輪郭が融け合うような感覚に「離れたくない」と思った。僕がひとりでいても寂しくなかったのは、この心地よさを知らなかったからかもしれない、とも。
「空」
そっと緩んだ隙間に落ちてきた名前。こっち見て、と言われているのはわかったけれど、無理だった。重なっていたはずの鼓動が自分だけ速くなっている気がして、顔が熱くてたまらない。
「ごめん、ちょっと、待って」
「まあ……いくらでも待つけど」
ピアスで年数を刻み、消しゴムを十年持ち続けた優一くんにとって、ここからの数分なんて短いものなのだろう。
そっと視線を上げれば、優一くんの白い頬は夕陽色に染まっていた。光の傾きはとっくに変わっているのに。
でも、たぶん、僕も、同じだ。



