コツ、とシャープペンシルを置く音が、静かな教室内に響く。
健ちゃんとの約束は一週間だったけど、一日早く課題のプリントは終わった。もっと言えば、今日はまだ夕陽すら見ていない。放課後のこの時間は、神崎の勉強を見るためで、やることが終われば消えてしまう時間だ。
神崎は仕上げたプリントを重ねたものの、立ち上がろうとはしない。いつもは窓へと向ける顔を僕のほうに向け、頬杖をつく。
「……なに?」
じっと静かに見つめられ、どこに視線を向けていいかわからない。無駄に教科書の文面をなぞってしまう。頭にはちっとも入らないけど。
「いや、帰ってきてよかったな、って」
いつにない柔らかな声に、視線が吸い寄せられる。
「親には無理言ったけど、でも、やっぱ会いに来てよかったわ」
「会いに? 僕に会うためにこの学校に来たの?」
いつもなら背けられる顔が、いまはまっすぐ僕へと向けられたままだった。
「――そうだ、って言ったら、どうする?」
ふっと細められた目は柔らかく、いたずらっ子のような笑みが口元を縁取る。初めて見る表情に、胸の中が一瞬で染まっていく。神崎が僕に会うために帰ってきたのだとしたら。この再会は偶然ではなくて。明確な意思によって、いまがあるのだとしたら。それだけ神崎が僕を想っていてくれたのだとしたら。
「もし、そうだったら、僕は」
続く言葉を形にする前に、振動音が響く。机の上、神崎のスマートフォンが着信を知らせている。ふたりだけだからこそ、その音は心臓が跳ねるほど大きく感じられた。
「ごめん、ちょっと出るわ」
「あ、うん。じゃあ、僕お手洗い行ってくるから」
廊下へと出れば、吹奏楽部の練習音が大きくなる。はあ、と吐き出した息もすぐに消えていく。ドクドクと脈を打つ心臓に、形にできなかった言葉が押し出される。
「……嬉しいよ」
嬉しい。素直に思った。思ってしまった。二度と会いたくないはずだったのに。関わりたくないはずだったのに。
「お、いたいた」
不意に廊下に響いたのは、健ちゃんの声だった。めずらしくスーツを着ている。準備室に置きっぱなしのやつだろう。
「悪いんだけど、今日これから帰るんだ。プリントの進みどう?」
「それならちょうど全部終わったところだよ」
「マジか。やるじゃん。さっすが空」
「いや、僕じゃなくて神崎くんが頑張ったからだし」
「お、なんだ。じゃあ、このご褒美はもういいのか?」
ジャケットの内ポケットから取り出されたのは、水族館のチケットだった。
「遊園地と迷ったけど、まだ暑いしこっちのほうがいいかを思って」
そうだ、僕は健ちゃんとデートするために神崎の勉強を引き受けたのだ。それなのに、僕はいまのいままで忘れていた。ご褒美どころか健ちゃんのことも。それどころか神崎との時間が終わってしまうことを寂しく思った。そうだ、僕は寂しかった。だから神崎が自分に会いにきたのかもしれないとわかって嬉しかった。昔みたいに、いや、それ以上に、僕は――。
健ちゃんとの約束は一週間だったけど、一日早く課題のプリントは終わった。もっと言えば、今日はまだ夕陽すら見ていない。放課後のこの時間は、神崎の勉強を見るためで、やることが終われば消えてしまう時間だ。
神崎は仕上げたプリントを重ねたものの、立ち上がろうとはしない。いつもは窓へと向ける顔を僕のほうに向け、頬杖をつく。
「……なに?」
じっと静かに見つめられ、どこに視線を向けていいかわからない。無駄に教科書の文面をなぞってしまう。頭にはちっとも入らないけど。
「いや、帰ってきてよかったな、って」
いつにない柔らかな声に、視線が吸い寄せられる。
「親には無理言ったけど、でも、やっぱ会いに来てよかったわ」
「会いに? 僕に会うためにこの学校に来たの?」
いつもなら背けられる顔が、いまはまっすぐ僕へと向けられたままだった。
「――そうだ、って言ったら、どうする?」
ふっと細められた目は柔らかく、いたずらっ子のような笑みが口元を縁取る。初めて見る表情に、胸の中が一瞬で染まっていく。神崎が僕に会うために帰ってきたのだとしたら。この再会は偶然ではなくて。明確な意思によって、いまがあるのだとしたら。それだけ神崎が僕を想っていてくれたのだとしたら。
「もし、そうだったら、僕は」
続く言葉を形にする前に、振動音が響く。机の上、神崎のスマートフォンが着信を知らせている。ふたりだけだからこそ、その音は心臓が跳ねるほど大きく感じられた。
「ごめん、ちょっと出るわ」
「あ、うん。じゃあ、僕お手洗い行ってくるから」
廊下へと出れば、吹奏楽部の練習音が大きくなる。はあ、と吐き出した息もすぐに消えていく。ドクドクと脈を打つ心臓に、形にできなかった言葉が押し出される。
「……嬉しいよ」
嬉しい。素直に思った。思ってしまった。二度と会いたくないはずだったのに。関わりたくないはずだったのに。
「お、いたいた」
不意に廊下に響いたのは、健ちゃんの声だった。めずらしくスーツを着ている。準備室に置きっぱなしのやつだろう。
「悪いんだけど、今日これから帰るんだ。プリントの進みどう?」
「それならちょうど全部終わったところだよ」
「マジか。やるじゃん。さっすが空」
「いや、僕じゃなくて神崎くんが頑張ったからだし」
「お、なんだ。じゃあ、このご褒美はもういいのか?」
ジャケットの内ポケットから取り出されたのは、水族館のチケットだった。
「遊園地と迷ったけど、まだ暑いしこっちのほうがいいかを思って」
そうだ、僕は健ちゃんとデートするために神崎の勉強を引き受けたのだ。それなのに、僕はいまのいままで忘れていた。ご褒美どころか健ちゃんのことも。それどころか神崎との時間が終わってしまうことを寂しく思った。そうだ、僕は寂しかった。だから神崎が自分に会いにきたのかもしれないとわかって嬉しかった。昔みたいに、いや、それ以上に、僕は――。



