放課後、きみと、夕陽色

 いつもより早めに家を出たのは、神崎が本当にあのユウイチくんなのか確かめたかったからだ。
 秋の風に変わり始めたのを感じながら、校舎へ入る。教室にはまだ誰もいない時間帯だけど、もしかしたら、という期待が小さく鳴る。小学生の頃、少しでも長く一緒にいるためにした約束。十年経っても有効かどうかはわからないけど、でも……。
 ドアを開けると、神崎は僕を見つめて驚きに目を見開く。なんで、と口が動いた気がするが声は聞こえない。僕は神崎の視線を掴んだまま歩いていく。窓の向こうからは朝練を行う野球部の声が聞こえる。
「ユウイチくん、だよね」
 問いではない、確信を持って発した言葉に、神崎は僕を見つめたまま瞳を揺らす。ああ、そうだ。この黒目の広い瞳を綺麗だと思っていたことを思い出す。
「……ごめん」
 絞り出された声は小さかったけれど、神崎は視線を逸らさない。何度と動いた唇がようやく確かな言葉を紡ぐ。
「本当はずっと謝りたかった。でも、思い出させていいのか、わからなかった。空にとっては思い出したくない、ことだと思うから」
 ぎゅっと寄せられた眉が、震える声が泣き出す寸前なのだとわかる。ずっと抱えてきたのだろう。手っ取り早く、僕に謝ってしまえばラクになれただろうに、神崎はそうしなかった。いじめっこだったくせに、変なところで優しい。
「最初に廊下で会ったときも、プリント拾えなくてごめん。そんなすぐに会えると思わなかったから、びっくりして、どうしていいかわかんなくて」
「あのときから気づいてたの?」
 しまったという表情が掠め、ふい、と窓へと顔を背けられる。それでも、神崎は僕との会話を断ち切ったわけではなかった。
「……まあ」
「クラスで会ったときに無視したのは、僕に思い出させないため?」
「空が……全然気づいてくれないから」
 気づいてくれないから無視したって、拗ねていたってこと? 思い出させていいのかわからないと言いながら、気づいてくれないとそっぽを向く。神崎は矛盾しているけど、そのすべてが僕へと向かう気持ちでできていて、なんだか胸の奥がむず痒くなる。
「もしかして、髪型を変えたのって僕に気づいてほしかったから?」
 短い髪と強い眼差しを持った瞳。あの頃と同じ、変わらないもの。美しい顔立ちだったことは覚えていなかったけど。近くにいすぎて気づけなかったのだろう。
「昔と同じにすれば気づくかと思ったのに」
 横を向く神崎の下唇はムッと小さく突き出ていて、髪で隠せない耳は赤い。
「なんだよ、それ……ふ、ふはは」
 神崎の行動のすべてが僕を起点としていて、おかしくてくすぐったくて笑いが止まらない。こわいなんてちっとも思えない。それどころか可愛いと思えてしまう。なんだろう。胸の奥に居続けた氷が融けていくような、そんな感じだった。
 いまなら答えてくれるだろうか。気づいてほしかったという神崎なら答えてくれるのではないか。氷の芯となっていた部分をそっと差し出す。
「あのさ、か――優一くんは、どうして急に僕のことが嫌いになったの?」
「嫌いになってなんかない」
「違うの? じゃあ、どうして」
「それは、だから」
「おはよー」
 明るい声とともにドアの開く音が響く。気づけば、みんなが登校する時間帯になっていた。
「おはよう」
 僕は教室に入ってきたクラスメイトに挨拶を返す。神崎は窓を向いたまま振り返ろうともしない。いままで話していたのが夢だったのではないかと思うほど「話しかけるなオーラ」が出ている。なんか、なんだろう。野生動物みたい? ふっとこぼれた笑いが神崎の頬を撫でた風に攫われた。