僕の中では、たっぷり時計の秒針が一周回るくらいの時間が流れたと思う。何を言ってるのか、意味がわからない。考えあぐねたが、やはり答えは出てこない。

「僕と、しおは、双子だよね?」
「……ん? そうだけど」
「僕の半身だよね? じゃあなんで、僕のことをわかってないのかな?」

 ひとつも表情を変えずに言う僕に、(うしお)は腕を掴んだままで大きなため息をついた。

「わかってるって。なぎのことは、誰よりもわかってる。……わかった上で、頼んでんだ」
「わけわかんない」
「マネージャーがスケジュール管理ミスって、ダブルブッキングしちゃったんだよ」
「それなら今までみたく、学校の授業調整してもらえばいいじゃないか」
「それがさ、卒業準備で専門業者が来るらしくて、俺一人のために別日に呼ぶわけには行かないだろ。……俺の代わりは、双子のなぎにしか頼めないんだよ」

 僕に対して拝み倒すかのように、何度も手を合わせる。ほんと、潮は僕が断れないのを知っていて、こうやって頼み事をしてくるんだ。それでも今回は話は別。いくら潮の頼みでも、こればかりは無理。もし万が一にもバレたらどうする? 有名アイドルが病弱な陰キャを演じて在学していたとわかったら、大騒ぎになるに違いない。

 絶対無理だと、はっきりと断ろうとしたその時、目の前の潮の口角が僅かに上がった。

「……なぎが欲しがっていた、葛城結斗(かつらぎゆうと)のライブDVDスペシャルエディション!」

 目の前に出されたのは、あっという間に予約が終了してしまった、数量限定のライブDVD。僕ももちろん予約チャレンジしたけど、見事に撃沈したやつだ。おのれ、転売ヤー! と、葛城結斗の推し活仲間といっしょに悔しがったものだ。

「生写真と、最近発売されたばかりの写真集に、なぎの名前を入れたサインを頼んでやろう。……これでどうだ!」
「ひ、卑怯だぞ! しお!」

 僕は、一気に反撃に転じた潮のカウンターパンチをモロに食らってしまった。くっ……と小さな息が漏れる。僕のHPは一気に減り、残り僅かになってしまった。ガクッと膝をつく。それと同時に、完敗の白旗……右手を上げて、ひらひらとなびかせた。

 さっきから潮が名前を出している葛城結斗は、人気急上昇中の僕のイチオシ俳優だ。でも僕が彼を推すようになったのは、僕が中学校でいじめに合い、誰にも相談できずに心が折れそうになっていた時だった。何気なく見たネット配信ドラマの、名もつかないような脇役の『大丈夫』というたった一言のセリフに、僕は一気に心奪われた。大丈夫なんて皆が良く使う言葉なのに、なぜかその時の僕の心は、魔法にかかったようにすっと軽くなったんだ。
 当時の葛城くんは中性的で、あの可愛らしい少女に雰囲気が似ているからか、僕はまるで初恋の子に再会したような気持ちになった。けれど成長期を迎えどんどん大人びていった葛城くんは、初めて見た時の面影はすっかりなくなり、僕の甘酸っぱい気持ちはいつしか記憶の彼方に消え去ってしまった。
 

「本当に、特別教室に行くだけでいいんだね?」

 潮のお願いを断れずに、観念して首を縦に振ったあと、念を押すように確認をした。
 普段はオンライン授業だけど、時々学校まで行く必要がある時は、敷地内の目立たない場所にある特別教室に滞在しているらしい。今回の卒業写真やアルバム作成業者の人も、その特別教室に足を運んでくれることになっていると言う。

「うん、そうそう。あとは先生の指示に従ってくれたら良いから。大丈夫大丈夫、少しの時間だけだから。用事が済んだら、すぐ帰れる」

 どことなくそわそわしているような気がするのは、気のせいだろうか。何か隠していることがあるのではないかと勘ぐってしまう。ちらりと潮の顔を見ても、ん? っと首を傾げた。うーん、気のせいなのかなぁ……?

「あ! お風呂って先に入れる? やっぱり入ってから、ゆっくりご飯にしたい。着替え取ってくる」

 無理やり話を終了させて、潮は自室へと足早に去っていった。うーん、やっぱりなにか怪しいなぁ。
 僕はスッキリしない気持ちを抱えたまま、潮がお風呂から出るタイミングに合わせて、食事を温め直すことにした。


「しおは、卒業後どうするの?」

 夕飯の片付けも済ませ、テーブルには帰りが遅い両親のために軽めの食事を準備し、二人で僕の部屋で新作ゲームをやっていた。
 僕は高校で学んだことを活かし、プログラミング講座のサイトや、ゲーム好きが講じて始めた攻略サイトの運営などをやっている。そこそこ収入も入るようになってきたから、できればこのまま仕事にしたいと思っている。これなら基本引きこもりでもどうにかなる。まぁ、完全に人と会わないわけにはいかないから、多少の人との接触はあるだろうけど。

 潮はどうするのだろう。せっかくこんなに人気が出てきたのだから、そのままアイドルを続けるのだろうか。僕らはそんな話をしていなかったなと思って、卒業も近いし何気なく聞いてみた。

「んー、まだはっきり決めてないんだよな。アイドルは楽しいし、俺にも合っていると思うんだ。でも、スカウトされたきっかけのモデルにも力入れたいし、俳優業ももっといろいろな役にチャレンジしてみたい。歌手活動にも興味がある」
「ふふふ。しお、らしいなぁ。キラキラ輝いてるよ」
「でも、あれもこれもなんて言うと、遊びじゃないんだって言われちゃうんだよな」
「え? そんなこと言われるの?」
「アイドルはアイドルらしくしとけ。とかね」
「うわー。完全に妬みじゃん」

 僕たちは、笑いながらそんな話をした。悩んでいる風で、実は悩んでなんかいないのが潮なんだ。今出来ることを全部全力でやる、それで良いんだって、いつも前をまっすぐ見て言うんだ。我が弟ながらかっこいいよ。

 前向きな話をしていたら、身代わりでちょっとだけ学校に行くのも、悪くないかな……そう思った。