ある土曜日の昼下がり。
駅前にあるオープンカフェの四人掛けテーブル席についた女性が三名。そこへ遅れてやって来た彼女、亜沙美は、緩く巻いたセミロングの髪を乱しながら小走りに駆け寄り、テーブルに倒れこむように席についた。
「ハァ……ハァ……ちょっと、みんな聞いてよぉ~!」
「どうしたの? そんな息切らして」
亜沙美の向かって左側にかけたお団子ヘアの女性、結美が言った。
「ほんっと最悪!! さっきマチアプで会ったやつなんだけどさ」
「ああ、例のイケメン?」
「そう、顔面詐称だったの!」
バン、とテーブルを両手の平で叩く亜沙美。
「ああ、よくあるやつね」
亜沙美の右側にいるのは、黒髪ロングヘアの奈々華。
「それだけじゃなくて」
「何? まだあるの?」
どこか楽しげな表情を浮かべる結美。
「年齢も嘘っぱち! 25歳って書いてあるのに、実際は45歳くらいのハゲかけた中年の小汚ないオッサンだったの!」
亜沙美の声が徐々に荒々しくなる。
「し・か・も!」
「しかも?」
亜沙美以外の三人の声が重なる。
「“君、写真より全然可愛くないね。でも、スタイルはいいから合格。君がどうしてもっていうなら付き合ってあげてもいいよ”って謎のセクハラ発言と上から目線!」
「うわ、きっしょ」
「災難だったねぇ」
結美と奈々華が口々に返す。
「もうマジでムカついたからさ。アイスコーヒー氷ごとぶっかけて逃げてきた」
「あんたもヤバイね、別の意味で」
奈々華が飲みかけのホットコーヒーに手を伸ばす。
「ああ、もう! 何でアタシ、こんなに男運ないのかなあ」
テーブルに突っ伏すように顔を埋める亜沙美。
「いらっしゃいませ」とカフェの女性店員が、グラスに入ったミネラルウォーターを亜沙美の前に置いた。
「メニューはお決まりでしょうか?」
亜沙美は咄嗟に顔をあげ、「あ、じゃあ……オレンジジュースください」とオーダーする。
「かしこまりました」
亜沙美は絶賛婚活中のOL。たった今、マッチングアプリで出会ったとんでも男性の元から逃げるように帰る途中だった。そこで偶然、結美からの連絡を受け現在に至る。
「そういえば亜沙美、前の彼氏もヤバかったよね?」
奈々華が口を開く。
「ああ、あのくっそカマチョなメンヘラ系の」
「來玖ね」
結美と奈々華は既婚で、亜沙美は当時から二人に恋愛相談に乗ってもらっていた。
「やめて! あいつのことはもうこれ以上思い出させないで! マジでトラウマなの……。しかもそれ偽名で本名“好男”で、めっちゃ名前詐欺だし」
亜沙美が彼と交際していた一年前。昼夜問わず着信の嵐、止まないLINEの通知音で、とうとう仕事にも支障が出た。耐えられずに電話口で別れ話を切り出したら「俺はこんなに亜沙美が好きなのに」「別れるなら今ここで死ぬ」「本当に俺を捨てるのか」「今ビルの屋上に来た。遺書も書いた。お前がいかに俺にひどい仕打ちをしたか綴ってある。捕まりたくなければ撤回しろ」等脅されたという過去がある。
「とんでもないやつに捕まったよね。そいつもマチアプで出会ったんだっけ?」
「そう。顔が超好みだったからつい、ね。ここまでアタシ好みの顔の人は二度と現れないだろうと思って。だから、アタシも早く二人みたいに結婚して安心したかったのにさ。いいなと思った人は早々にいなくなるか、無視されるかだもん。アタシ、もうすぐ28だよ。結美は子育てしながら読モ時代の伝手でギャル雑誌の編集の仕事やってるし、奈々華は市役所職員で今は育休中……いいよね」
亜沙美はつい卑屈になってしまう。
「そういえば、姫果はどうなの? 去年マチアプで出会った彼とは」
これまでずっと口をつぐんでいた、おっとりとした雰囲気の控えめな彼女は、介護福祉士として市内の介護施設で働いている。
「実は、えっと……先日、プロポーズされて……」
「えー!? おめでとう!」
「ありがとう。今度、彼のご両親のところへ挨拶に行くことになったの」
「よかったね、姫果!」
周りは一瞬で姫果への祝福モードに切り替わる。
「うっそぉ~、姫果に先越されるなんて……」
亜沙美はうなだれた。あからさますぎる亜沙美の反応に、奈々華は「気持ちはわかるけど。まずは姫果におめでとう、じゃない?」と諌める。
「いいよ、奈々華ちゃん。わたしこそ、こんなタイミングで切り出しちゃってごめんね」
「いやいや、姫果は悪くないから。寧ろ、そんな話のふり方したあたしが悪かったよ」
結美が弁解するように言う。
「……そうだね。アタシ、自分のことばっかでごめん。姫果、婚約おめでとう、、、あ……。ダメ、今のアタシじゃ心の底から祝福できない。悔しすぎて……うぅ~」
「亜沙美ちゃん……」
「いいよ、思いっきり泣け」
「私も、今は泣いてスッキリした方がいいと思うな」
「何で、何でアタシだけいつも置いてけぼりになるの? 何で~?」
「うん、そういう面倒くさいとこかな」
結美が即答する。
「何それ! 意味わかんない~!」
「とりあえず、そのヤバい男たちからは逃げ延びてきたことは不幸中の幸いだよね。今は亜沙美の話を存分に聞こうじゃないの」
奈々華が仕切り直すように言うと、亜沙美はパッと明るい笑みを浮かべながら言った。
「ありがとう。持つべきものは良い親友ね」
「いいってことよ」
「お待たせいたしました」と店員がオレンジジュースを亜沙美の前に置く。「ありがとうございます」と亜沙美。一息吐いて、四人は談笑し始めた。
「あたし、今までの亜沙美の恋愛遍歴聞いてて思うんだけどさ。マジでエグすぎてドラマみたいで面白くね?」
「本書けるんじゃないかってレベルだもんね」
「婚活アプリ編とかさ。今回の件も含めて教えてよ。顔面も年齢も詐称だらけのオッサンの他にどんなのがいたか知りたい」
結美が身を乗り出し気味に亜沙美に言った。
「えっと……例えば、運転免許証の顔写真がプロフ写真だったり」
「は? そいつ絶対友達いないでしょ」と結美。
「自宅の洗面所で自撮りしてて生活感丸出しなのとか」
「同じく友達いなさそうだね」と奈々華。
「うん、そういう人が何人もいてさ。中には干しっぱなしの洗濯物が鏡に写ってて、しかもオバサンが着てそうなベージュの下着も写ってたの。自分のパンツっぽいのも写っているのとかあったし」
「キモ!」
「てか、プロフ写真あげる前に気づけよって話だよね」
「マジそれ。節穴すぎる」
意外にも食い付きがいいな、と亜沙美は内心思った。
「他は?」
「77歳のおじいさんとか」
「マジ!? その歳でアプリ使いこなせることに驚きなんだが」
興味本位で最高齢の登録者を検索したら、この高齢男性がヒットしたらしい。
「うん。プロフ写真は病室みたいなところでさ。自己紹介には、“暇だからいつでも会える。車ないから迎えにきてください”って一言」
「マジか。それ絶対介護要員目当てじゃん」と奈々華。
「てか、迎えは迎えでも……別の迎えの方が先に来そうだね」
「ギャハハ! それあたしも思ったわ。姫果ナイス!」
「ヤバい、今のめっちゃ面白いんだけど」
「ちょっと! 私は真剣なんだよ!」
「だから面白いんだよ。で、他には?」
「まだありそうだよね」
「みんな、普通に失礼すぎるんだけど……」
「でも、あるでしょ?」
「あるけど……」
「あるんかいっ。ま、これだから亜沙美は一緒にいて飽きないんだよね」
「そうそう」
「それが亜沙美ちゃんの一番の魅力だと思うよ」
「一緒にいて飽きさせないって、長く一緒にいるためには欠かせない要素じゃん」
「だから私たち、中学の頃から十年以上も一緒にいられると思うし」
「うーん。友達としてはそれでいいかもしれないけど。アタシ、今まで恋愛は一年と続いたことない……」
「恋愛の長さは関係ないよ。私なんて今まで一度も交際歴なかったけど、今の旦那とは付き合って半年で結婚したし」と奈々華。
姫果の場合。
「私は前の彼氏と五年付き合って、同棲までしたのに結婚話切り出した途端に面倒臭いって一方的にフラれた。今の婚約した彼とは去年マチアプで出会ったけど、初めからお互い結婚前提だったからトントン拍子に進んだよ。だから、お互いの価値基準が同じか近い人を選ぶといいのかな。そういう意味では、恋愛と結婚は別なんだなって思った。もちろん、恋愛経験はないよりあった方が導入はスムーズかもしれないけどね」
どんな過去の恋愛も、今が充実していれば色褪せて見えるもの。それでも亜沙美は、まだ過去の恋愛を断ち切れずにいた。価値観や経験を手放すことを恐れ、どこか以前の恋愛を基準にし、比較し続けることでより理想的な相手探しに奮闘していたのだ。
「で、話戻すけど。他にヤバいエピソードはある?」
「結美、楽しんでない?」
「え、そりゃそうでしょ」
「わ、ひど!」
「いいじゃん、シェアしてよ。めっちゃ気になるし。独り占めは許さん」
亜沙美は観念したように口を開く。
「えっと……マッチングした途端にいきなりLINE聞かれた。アプリのメッセージ面倒だからLINE教えてよって。しかも、誰のプロフなのか私とは思えない情報並べて、いかにもプロフ読んでます感出してきたけど……私、名古屋の会社に勤めてないし。めっちゃ失礼すぎるから“誰かと間違えてませんか?”って返信したら即消えた。ブロックされたんだと思うけど」
「えー、ヤバすぎ。ヤリモクあるあるじゃん」
「あと、自称ジ○ニ系のイケメン32歳のカオナシで女性会員のディスりが酷いやつとか」
「ああ、自称イケメンの顔写真ないやつね」
「てか、その歳でジ○ニ系に例える時点で勘違い野郎じゃん。痛すぎるわ」
「他には?」
「院卒で日本語、英語、韓国語……とにかく何ヵ国語が話せるけど、発達障害&精神疾患抱えていますって言う人」
「え、何それ」
「間違えてタップしたらマッチングしちゃってさ。そこから“僕も人並みに恋愛して幸せな結婚がしたいんです”“あなたなら僕の苦しみを理解してくれると思いました。お願いです、僕を救ってください”っていう救済のメッセージの嵐……。“私じゃあなたを救えないので、専門機関に相談してください”って返信してブロックしちゃったけど」
「それでいいよ。何かいろいろ面倒くさそう。結婚夢見るのもわかるけどさ、要はそいつの人生も背負ってくれってことでしょ? 対等じゃないし、亜沙美にメリット何もないじゃん」
「だよね……。何か、婚活アプリなのに“彼女募集中です”ってプロフに書いてる人もいたし、“ブサイクな人とデブはお断り”って堂々と書いてた人もいた」
「え! ヤバい通り越して呆れるね」
「うん。あ、あとね。加工アプリで犬とか猫に変身した人もいた。それをトップのアイコンに設定してて。それだけでも痛いのに、年齢見たら44歳。いい歳したオッサンが何やってんのって思った」
「キモすぎ! それやればかわいいとでも思ってんのかな? 多分若い子目当てじゃね?」
「うん、確か子どもが今すぐ欲しいけど、シングルマザーはお断りって書いてあった」
「キモ! キモすぎ! 子どもほしいからって若い子狙うジジイいるよね。でも、そういうやつに限って育児とか家事は女の仕事だって絶対しないんだよ。将来的な介護要員確保したいか、自分はまだいけるってマウントとりたいだけ。承認欲求高いやつっていろいろ面倒だし、子ども生まれたとしても張り合ったりモラハラしてきたりとか。子ども以上に手かかるのが目に見えるわ。自分の親の介護ですら嫁の義務、とか言って逃げそう」
「スルー一択だね」
「他には?」
「え、まだ聞く?」
「だって、面白いのはここからでしょ? 亜沙美なら絶対もっとすごいパンチのあるエピソードがあるはずだよ」
「さすがにないよ」
「いや、まだあるね」
「いや、もうこれと言って強烈なのはないよ」
「じゃあ何でもいいから言ってみて」
「ええ? じゃあ、デフォルトの年齢と自己紹介の文に書いてある年齢が違った人」
「例えば?」
「検索かけたら引っ掛かる年齢が32歳なのに、自己紹介の中に書いてある年齢が40歳だったってパターン」
「何それ、めっちゃ間抜けじゃん。他のアプリか何かで文章コピペして使い回したやつからボロが出たってか? 頭悪すぎなんだけど」
「うん、実際いくつかのアプリやってるっぽくて」
「会費の無駄遣いもいいところだね」
「ねぇ、もっと他には? 亜沙美」
「は? もう良くない?」
「いや、まだ足りないね。もう少し足せばマジで本書けるよ」
結美の暴走は止まることなく加速度を増し続ける。
「じゃあ次は……元カノと思しき人と撮ったプリ画をプロフ写真にしてた31歳の男とか」
「来た来た! 匂わせ野郎。自分は彼女いたことありますアピール&加工してでもよく思われたいってやつかな。てか、30過ぎでプリ撮る男ってダサ過ぎん? あたし絶対無理」
吐き真似をする結美。
「あとは、初デートでランチ&映画&ディナーを計画して、相手の希望も何も聞かずに自分の都合で勝手に店まで予約して映画の前売り券も事前に用意して俺完璧! って自分に酔った男がいたよ。当日のランチの段階で、相手の女性が料理頼む前に“体調不良”を訴えて、トイレに行ってくると席を外してそのまま帰ってしまったらしくて。そのことに激昂して、アプリ内の日記にその女性の悪口を投稿したらめっちゃ炎上したっていう……」
「うわ、勘違いなうえに超無神経野郎ね」
「つーか、初デートで内容盛りすぎじゃね? しんど。そりゃ帰りたくもなるよ」
「“34の行き遅れたババア”とか“金返せ”って言っててさ。そいつ35歳だったけど」
「人間ちっさ! どの口が言うんだよ」
「まさにそれでさ。他の女性会員からめっちゃボロクソに言われて逆ギレしてて。運営何やってんだって思って、そのアプリは辞めた」
「すごい、ネタが尽きないね。さすが亜沙美」
「あ、今思い出した」
「何を?」
「その炎上男がいたアプリ内に、“将来は奥さんと婚活支援の仕事がしたい”“その暁には自分も婚活を成功させて早く結婚したい”って言ってる人もいて。一見立派に思えるけど、自分の理想押し付け過ぎって思って極力関わらないようにしてた」
「身の程を知らないって恐ろしいな」
「自分をわかってない人ほど無謀な発言するよね」
「ねぇ、亜沙美ちゃんが婚活する目的って何?」
姫果が真顔で言った。
「え、いきなり何?」
「婚活を長いことしているとさ。初めは結婚相手を探すためにやっていたつもりでも、婚活する事自体が趣味になっていないかな」
普段の姫果からは想像もできないほどの毅然とした様子に、亜沙美は戸惑う。
「え……?」
「上を見るとキリがないというか。もっと好条件の人がいるはずってね。婚活そのものにどっぷり浸かって抜け出せなくなるの」
「確かに……そうかも」
姫果は四人の中でも目立つ方ではない。どちらかと言えば地味で、特別美人というわけでもスタイルが良いわけでもなかった。ファッションやメイクもあまりこだわりがないようで、異性にモテる方でもない。
そんな彼女を、亜沙美はどこか下に見ている節があった。それが、先程の“先越された発言”に繋がったのだろう。
「わたしのおばあちゃんはね、結婚するなら“一緒にいて楽しい人よりも、離れて寂しいと思った人”とするといいって言ってたよ」
自分よりも恋愛経験は少ないはずの彼女。自分が負けるわけがない。自分は出会う男性のために外見に気を遣ったり、習い事をしたり一人暮らしもして自立して。こんなにも努力しているのにどうして報われないのだろう。まさか、姫果からアドバイスをされるとは思ってもみなかった。
「一緒にいて楽しい=結婚相手とは限らないからね」
姫果に続いて結美のターン。
「うちの旦那は冗談通じないから、初めて会った時は超つまんなかった。でも、ある日あたしが別の男に“お前とだけは結婚したいと思えねえわ”って言われて言い返そうとしたら、“じゃあ仮に僕が結美さんと結婚する事になっても、あなた絶対彼女に言い寄らないって誓えますか? というか、その発言、冗談でも笑えないし失礼ですよ。僕よりつまらない男になりたいんですか?”って言ってくれて。その瞬間に落ちた」
「旦那さんカッコ良っ!」
亜沙美は思わず反応する。素のままの言葉だった。
「後で聞いたら、その男あたし狙いだったらしくて。本当に結婚決まったら“マジであいつと結婚するのか?”って言ってきてさ。だから“お前とだけは結婚したいと思えねえから”って巨大ブーメランかましてやったわ」
「わー、めっちゃスカッとじゃん」
「だからさ、亜沙美も顔とか見かけのスペックじゃなくて。“何よりも誰よりも、亜沙美のことを大切にしてくれる人”が現れたら、絶対に離しちゃダメだよ」
「うん、そうだね。ありがとう、ちょっと希望が持てた」
「あの……」
「どうしたの? 姫果」
「実はね、私の彼の友達なんだけど」
「うん」
「亜沙美ちゃんの写真見せたら、会ってみたいんだって」
「おお、来た! 姫果グッジョブ!」
出会いのチャンスに気づくこと。
タイプじゃないからとか、気分が乗らないからといってスルーしていては、婚活は永遠に終わらない。
「なら、会ってみようかな」
「その意気だよ、亜沙美」
「私たち、亜沙美の婚活がうまくいくように応援してるからね」
持つべきものは、良い友達だ。
近すぎて見えなかった縁があることに気づいた亜沙美。
亜沙美の婚活が終わる日が近いかどうかは、彼女次第。
「姫果。その、彼に会うの……お願いしてもいい?」
「もちろん!」
婚活成功の秘訣。それは、“素直になったもの勝ち”だということ。そして、その瞬間が最大のチャンスなのだということ。
出会い自体はいくらでもある。そのチャンスどう生かすか。何よりそれを逃さないためには、“素直さ”という最大にして最強のステータスを駆使しないわけはない。
「ちなみにその人ってさーー」
「うん」
「あ、やっぱりいい。会ってからのお楽しみにする」
心機一転。
新たな出会いの予感に、亜沙美は胸を躍らせるのだった。
駅前にあるオープンカフェの四人掛けテーブル席についた女性が三名。そこへ遅れてやって来た彼女、亜沙美は、緩く巻いたセミロングの髪を乱しながら小走りに駆け寄り、テーブルに倒れこむように席についた。
「ハァ……ハァ……ちょっと、みんな聞いてよぉ~!」
「どうしたの? そんな息切らして」
亜沙美の向かって左側にかけたお団子ヘアの女性、結美が言った。
「ほんっと最悪!! さっきマチアプで会ったやつなんだけどさ」
「ああ、例のイケメン?」
「そう、顔面詐称だったの!」
バン、とテーブルを両手の平で叩く亜沙美。
「ああ、よくあるやつね」
亜沙美の右側にいるのは、黒髪ロングヘアの奈々華。
「それだけじゃなくて」
「何? まだあるの?」
どこか楽しげな表情を浮かべる結美。
「年齢も嘘っぱち! 25歳って書いてあるのに、実際は45歳くらいのハゲかけた中年の小汚ないオッサンだったの!」
亜沙美の声が徐々に荒々しくなる。
「し・か・も!」
「しかも?」
亜沙美以外の三人の声が重なる。
「“君、写真より全然可愛くないね。でも、スタイルはいいから合格。君がどうしてもっていうなら付き合ってあげてもいいよ”って謎のセクハラ発言と上から目線!」
「うわ、きっしょ」
「災難だったねぇ」
結美と奈々華が口々に返す。
「もうマジでムカついたからさ。アイスコーヒー氷ごとぶっかけて逃げてきた」
「あんたもヤバイね、別の意味で」
奈々華が飲みかけのホットコーヒーに手を伸ばす。
「ああ、もう! 何でアタシ、こんなに男運ないのかなあ」
テーブルに突っ伏すように顔を埋める亜沙美。
「いらっしゃいませ」とカフェの女性店員が、グラスに入ったミネラルウォーターを亜沙美の前に置いた。
「メニューはお決まりでしょうか?」
亜沙美は咄嗟に顔をあげ、「あ、じゃあ……オレンジジュースください」とオーダーする。
「かしこまりました」
亜沙美は絶賛婚活中のOL。たった今、マッチングアプリで出会ったとんでも男性の元から逃げるように帰る途中だった。そこで偶然、結美からの連絡を受け現在に至る。
「そういえば亜沙美、前の彼氏もヤバかったよね?」
奈々華が口を開く。
「ああ、あのくっそカマチョなメンヘラ系の」
「來玖ね」
結美と奈々華は既婚で、亜沙美は当時から二人に恋愛相談に乗ってもらっていた。
「やめて! あいつのことはもうこれ以上思い出させないで! マジでトラウマなの……。しかもそれ偽名で本名“好男”で、めっちゃ名前詐欺だし」
亜沙美が彼と交際していた一年前。昼夜問わず着信の嵐、止まないLINEの通知音で、とうとう仕事にも支障が出た。耐えられずに電話口で別れ話を切り出したら「俺はこんなに亜沙美が好きなのに」「別れるなら今ここで死ぬ」「本当に俺を捨てるのか」「今ビルの屋上に来た。遺書も書いた。お前がいかに俺にひどい仕打ちをしたか綴ってある。捕まりたくなければ撤回しろ」等脅されたという過去がある。
「とんでもないやつに捕まったよね。そいつもマチアプで出会ったんだっけ?」
「そう。顔が超好みだったからつい、ね。ここまでアタシ好みの顔の人は二度と現れないだろうと思って。だから、アタシも早く二人みたいに結婚して安心したかったのにさ。いいなと思った人は早々にいなくなるか、無視されるかだもん。アタシ、もうすぐ28だよ。結美は子育てしながら読モ時代の伝手でギャル雑誌の編集の仕事やってるし、奈々華は市役所職員で今は育休中……いいよね」
亜沙美はつい卑屈になってしまう。
「そういえば、姫果はどうなの? 去年マチアプで出会った彼とは」
これまでずっと口をつぐんでいた、おっとりとした雰囲気の控えめな彼女は、介護福祉士として市内の介護施設で働いている。
「実は、えっと……先日、プロポーズされて……」
「えー!? おめでとう!」
「ありがとう。今度、彼のご両親のところへ挨拶に行くことになったの」
「よかったね、姫果!」
周りは一瞬で姫果への祝福モードに切り替わる。
「うっそぉ~、姫果に先越されるなんて……」
亜沙美はうなだれた。あからさますぎる亜沙美の反応に、奈々華は「気持ちはわかるけど。まずは姫果におめでとう、じゃない?」と諌める。
「いいよ、奈々華ちゃん。わたしこそ、こんなタイミングで切り出しちゃってごめんね」
「いやいや、姫果は悪くないから。寧ろ、そんな話のふり方したあたしが悪かったよ」
結美が弁解するように言う。
「……そうだね。アタシ、自分のことばっかでごめん。姫果、婚約おめでとう、、、あ……。ダメ、今のアタシじゃ心の底から祝福できない。悔しすぎて……うぅ~」
「亜沙美ちゃん……」
「いいよ、思いっきり泣け」
「私も、今は泣いてスッキリした方がいいと思うな」
「何で、何でアタシだけいつも置いてけぼりになるの? 何で~?」
「うん、そういう面倒くさいとこかな」
結美が即答する。
「何それ! 意味わかんない~!」
「とりあえず、そのヤバい男たちからは逃げ延びてきたことは不幸中の幸いだよね。今は亜沙美の話を存分に聞こうじゃないの」
奈々華が仕切り直すように言うと、亜沙美はパッと明るい笑みを浮かべながら言った。
「ありがとう。持つべきものは良い親友ね」
「いいってことよ」
「お待たせいたしました」と店員がオレンジジュースを亜沙美の前に置く。「ありがとうございます」と亜沙美。一息吐いて、四人は談笑し始めた。
「あたし、今までの亜沙美の恋愛遍歴聞いてて思うんだけどさ。マジでエグすぎてドラマみたいで面白くね?」
「本書けるんじゃないかってレベルだもんね」
「婚活アプリ編とかさ。今回の件も含めて教えてよ。顔面も年齢も詐称だらけのオッサンの他にどんなのがいたか知りたい」
結美が身を乗り出し気味に亜沙美に言った。
「えっと……例えば、運転免許証の顔写真がプロフ写真だったり」
「は? そいつ絶対友達いないでしょ」と結美。
「自宅の洗面所で自撮りしてて生活感丸出しなのとか」
「同じく友達いなさそうだね」と奈々華。
「うん、そういう人が何人もいてさ。中には干しっぱなしの洗濯物が鏡に写ってて、しかもオバサンが着てそうなベージュの下着も写ってたの。自分のパンツっぽいのも写っているのとかあったし」
「キモ!」
「てか、プロフ写真あげる前に気づけよって話だよね」
「マジそれ。節穴すぎる」
意外にも食い付きがいいな、と亜沙美は内心思った。
「他は?」
「77歳のおじいさんとか」
「マジ!? その歳でアプリ使いこなせることに驚きなんだが」
興味本位で最高齢の登録者を検索したら、この高齢男性がヒットしたらしい。
「うん。プロフ写真は病室みたいなところでさ。自己紹介には、“暇だからいつでも会える。車ないから迎えにきてください”って一言」
「マジか。それ絶対介護要員目当てじゃん」と奈々華。
「てか、迎えは迎えでも……別の迎えの方が先に来そうだね」
「ギャハハ! それあたしも思ったわ。姫果ナイス!」
「ヤバい、今のめっちゃ面白いんだけど」
「ちょっと! 私は真剣なんだよ!」
「だから面白いんだよ。で、他には?」
「まだありそうだよね」
「みんな、普通に失礼すぎるんだけど……」
「でも、あるでしょ?」
「あるけど……」
「あるんかいっ。ま、これだから亜沙美は一緒にいて飽きないんだよね」
「そうそう」
「それが亜沙美ちゃんの一番の魅力だと思うよ」
「一緒にいて飽きさせないって、長く一緒にいるためには欠かせない要素じゃん」
「だから私たち、中学の頃から十年以上も一緒にいられると思うし」
「うーん。友達としてはそれでいいかもしれないけど。アタシ、今まで恋愛は一年と続いたことない……」
「恋愛の長さは関係ないよ。私なんて今まで一度も交際歴なかったけど、今の旦那とは付き合って半年で結婚したし」と奈々華。
姫果の場合。
「私は前の彼氏と五年付き合って、同棲までしたのに結婚話切り出した途端に面倒臭いって一方的にフラれた。今の婚約した彼とは去年マチアプで出会ったけど、初めからお互い結婚前提だったからトントン拍子に進んだよ。だから、お互いの価値基準が同じか近い人を選ぶといいのかな。そういう意味では、恋愛と結婚は別なんだなって思った。もちろん、恋愛経験はないよりあった方が導入はスムーズかもしれないけどね」
どんな過去の恋愛も、今が充実していれば色褪せて見えるもの。それでも亜沙美は、まだ過去の恋愛を断ち切れずにいた。価値観や経験を手放すことを恐れ、どこか以前の恋愛を基準にし、比較し続けることでより理想的な相手探しに奮闘していたのだ。
「で、話戻すけど。他にヤバいエピソードはある?」
「結美、楽しんでない?」
「え、そりゃそうでしょ」
「わ、ひど!」
「いいじゃん、シェアしてよ。めっちゃ気になるし。独り占めは許さん」
亜沙美は観念したように口を開く。
「えっと……マッチングした途端にいきなりLINE聞かれた。アプリのメッセージ面倒だからLINE教えてよって。しかも、誰のプロフなのか私とは思えない情報並べて、いかにもプロフ読んでます感出してきたけど……私、名古屋の会社に勤めてないし。めっちゃ失礼すぎるから“誰かと間違えてませんか?”って返信したら即消えた。ブロックされたんだと思うけど」
「えー、ヤバすぎ。ヤリモクあるあるじゃん」
「あと、自称ジ○ニ系のイケメン32歳のカオナシで女性会員のディスりが酷いやつとか」
「ああ、自称イケメンの顔写真ないやつね」
「てか、その歳でジ○ニ系に例える時点で勘違い野郎じゃん。痛すぎるわ」
「他には?」
「院卒で日本語、英語、韓国語……とにかく何ヵ国語が話せるけど、発達障害&精神疾患抱えていますって言う人」
「え、何それ」
「間違えてタップしたらマッチングしちゃってさ。そこから“僕も人並みに恋愛して幸せな結婚がしたいんです”“あなたなら僕の苦しみを理解してくれると思いました。お願いです、僕を救ってください”っていう救済のメッセージの嵐……。“私じゃあなたを救えないので、専門機関に相談してください”って返信してブロックしちゃったけど」
「それでいいよ。何かいろいろ面倒くさそう。結婚夢見るのもわかるけどさ、要はそいつの人生も背負ってくれってことでしょ? 対等じゃないし、亜沙美にメリット何もないじゃん」
「だよね……。何か、婚活アプリなのに“彼女募集中です”ってプロフに書いてる人もいたし、“ブサイクな人とデブはお断り”って堂々と書いてた人もいた」
「え! ヤバい通り越して呆れるね」
「うん。あ、あとね。加工アプリで犬とか猫に変身した人もいた。それをトップのアイコンに設定してて。それだけでも痛いのに、年齢見たら44歳。いい歳したオッサンが何やってんのって思った」
「キモすぎ! それやればかわいいとでも思ってんのかな? 多分若い子目当てじゃね?」
「うん、確か子どもが今すぐ欲しいけど、シングルマザーはお断りって書いてあった」
「キモ! キモすぎ! 子どもほしいからって若い子狙うジジイいるよね。でも、そういうやつに限って育児とか家事は女の仕事だって絶対しないんだよ。将来的な介護要員確保したいか、自分はまだいけるってマウントとりたいだけ。承認欲求高いやつっていろいろ面倒だし、子ども生まれたとしても張り合ったりモラハラしてきたりとか。子ども以上に手かかるのが目に見えるわ。自分の親の介護ですら嫁の義務、とか言って逃げそう」
「スルー一択だね」
「他には?」
「え、まだ聞く?」
「だって、面白いのはここからでしょ? 亜沙美なら絶対もっとすごいパンチのあるエピソードがあるはずだよ」
「さすがにないよ」
「いや、まだあるね」
「いや、もうこれと言って強烈なのはないよ」
「じゃあ何でもいいから言ってみて」
「ええ? じゃあ、デフォルトの年齢と自己紹介の文に書いてある年齢が違った人」
「例えば?」
「検索かけたら引っ掛かる年齢が32歳なのに、自己紹介の中に書いてある年齢が40歳だったってパターン」
「何それ、めっちゃ間抜けじゃん。他のアプリか何かで文章コピペして使い回したやつからボロが出たってか? 頭悪すぎなんだけど」
「うん、実際いくつかのアプリやってるっぽくて」
「会費の無駄遣いもいいところだね」
「ねぇ、もっと他には? 亜沙美」
「は? もう良くない?」
「いや、まだ足りないね。もう少し足せばマジで本書けるよ」
結美の暴走は止まることなく加速度を増し続ける。
「じゃあ次は……元カノと思しき人と撮ったプリ画をプロフ写真にしてた31歳の男とか」
「来た来た! 匂わせ野郎。自分は彼女いたことありますアピール&加工してでもよく思われたいってやつかな。てか、30過ぎでプリ撮る男ってダサ過ぎん? あたし絶対無理」
吐き真似をする結美。
「あとは、初デートでランチ&映画&ディナーを計画して、相手の希望も何も聞かずに自分の都合で勝手に店まで予約して映画の前売り券も事前に用意して俺完璧! って自分に酔った男がいたよ。当日のランチの段階で、相手の女性が料理頼む前に“体調不良”を訴えて、トイレに行ってくると席を外してそのまま帰ってしまったらしくて。そのことに激昂して、アプリ内の日記にその女性の悪口を投稿したらめっちゃ炎上したっていう……」
「うわ、勘違いなうえに超無神経野郎ね」
「つーか、初デートで内容盛りすぎじゃね? しんど。そりゃ帰りたくもなるよ」
「“34の行き遅れたババア”とか“金返せ”って言っててさ。そいつ35歳だったけど」
「人間ちっさ! どの口が言うんだよ」
「まさにそれでさ。他の女性会員からめっちゃボロクソに言われて逆ギレしてて。運営何やってんだって思って、そのアプリは辞めた」
「すごい、ネタが尽きないね。さすが亜沙美」
「あ、今思い出した」
「何を?」
「その炎上男がいたアプリ内に、“将来は奥さんと婚活支援の仕事がしたい”“その暁には自分も婚活を成功させて早く結婚したい”って言ってる人もいて。一見立派に思えるけど、自分の理想押し付け過ぎって思って極力関わらないようにしてた」
「身の程を知らないって恐ろしいな」
「自分をわかってない人ほど無謀な発言するよね」
「ねぇ、亜沙美ちゃんが婚活する目的って何?」
姫果が真顔で言った。
「え、いきなり何?」
「婚活を長いことしているとさ。初めは結婚相手を探すためにやっていたつもりでも、婚活する事自体が趣味になっていないかな」
普段の姫果からは想像もできないほどの毅然とした様子に、亜沙美は戸惑う。
「え……?」
「上を見るとキリがないというか。もっと好条件の人がいるはずってね。婚活そのものにどっぷり浸かって抜け出せなくなるの」
「確かに……そうかも」
姫果は四人の中でも目立つ方ではない。どちらかと言えば地味で、特別美人というわけでもスタイルが良いわけでもなかった。ファッションやメイクもあまりこだわりがないようで、異性にモテる方でもない。
そんな彼女を、亜沙美はどこか下に見ている節があった。それが、先程の“先越された発言”に繋がったのだろう。
「わたしのおばあちゃんはね、結婚するなら“一緒にいて楽しい人よりも、離れて寂しいと思った人”とするといいって言ってたよ」
自分よりも恋愛経験は少ないはずの彼女。自分が負けるわけがない。自分は出会う男性のために外見に気を遣ったり、習い事をしたり一人暮らしもして自立して。こんなにも努力しているのにどうして報われないのだろう。まさか、姫果からアドバイスをされるとは思ってもみなかった。
「一緒にいて楽しい=結婚相手とは限らないからね」
姫果に続いて結美のターン。
「うちの旦那は冗談通じないから、初めて会った時は超つまんなかった。でも、ある日あたしが別の男に“お前とだけは結婚したいと思えねえわ”って言われて言い返そうとしたら、“じゃあ仮に僕が結美さんと結婚する事になっても、あなた絶対彼女に言い寄らないって誓えますか? というか、その発言、冗談でも笑えないし失礼ですよ。僕よりつまらない男になりたいんですか?”って言ってくれて。その瞬間に落ちた」
「旦那さんカッコ良っ!」
亜沙美は思わず反応する。素のままの言葉だった。
「後で聞いたら、その男あたし狙いだったらしくて。本当に結婚決まったら“マジであいつと結婚するのか?”って言ってきてさ。だから“お前とだけは結婚したいと思えねえから”って巨大ブーメランかましてやったわ」
「わー、めっちゃスカッとじゃん」
「だからさ、亜沙美も顔とか見かけのスペックじゃなくて。“何よりも誰よりも、亜沙美のことを大切にしてくれる人”が現れたら、絶対に離しちゃダメだよ」
「うん、そうだね。ありがとう、ちょっと希望が持てた」
「あの……」
「どうしたの? 姫果」
「実はね、私の彼の友達なんだけど」
「うん」
「亜沙美ちゃんの写真見せたら、会ってみたいんだって」
「おお、来た! 姫果グッジョブ!」
出会いのチャンスに気づくこと。
タイプじゃないからとか、気分が乗らないからといってスルーしていては、婚活は永遠に終わらない。
「なら、会ってみようかな」
「その意気だよ、亜沙美」
「私たち、亜沙美の婚活がうまくいくように応援してるからね」
持つべきものは、良い友達だ。
近すぎて見えなかった縁があることに気づいた亜沙美。
亜沙美の婚活が終わる日が近いかどうかは、彼女次第。
「姫果。その、彼に会うの……お願いしてもいい?」
「もちろん!」
婚活成功の秘訣。それは、“素直になったもの勝ち”だということ。そして、その瞬間が最大のチャンスなのだということ。
出会い自体はいくらでもある。そのチャンスどう生かすか。何よりそれを逃さないためには、“素直さ”という最大にして最強のステータスを駆使しないわけはない。
「ちなみにその人ってさーー」
「うん」
「あ、やっぱりいい。会ってからのお楽しみにする」
心機一転。
新たな出会いの予感に、亜沙美は胸を躍らせるのだった。



