「行こっか」
「ああ」
 脚立を肩に担いだ川瀬と、手をつないで歩く。
 川瀬は、「飛んでしまった」後、当たり前だが、すごく動揺する。なので、手をつないでほしいらしい。考えてみれば、そうだろう。大きな手は、熱っぽい。
「情けない話だが」
 と、頼りない目で頼んできた川瀬を思い出し、日葵はきゅんとした。女子に「可愛がられる」ことの多い日葵だが、実際は頼まれることが好きだった。
 じっと日葵を見下ろす目は、ものすごく透き通っている。川瀬の目を見上げて、にこっと笑った。
「大丈夫だよ。俺がついてるから」
「ありがとう、日葵」
 安堵したみたいに、川瀬が笑う。いっそう放っておけない空気になって、不謹慎だけど可愛いなと思う。なんていうか、熊が笑うと、こんな感じで和むのかなあ。



「あっと、日葵ちゃん」
拓真(たくま)先輩」
 脚立を返しに用具室まで、向かっていると、一人の青年がやってきた。彼は一つ上の先輩で、川瀬の兄である。つまり、この件の協力者である。
「いつもの~?ありがとね」
「いえいえ!間に合ってよかったです。ね、川瀬くん」
「ああ。ありがとう、日葵」

 川瀬とこういうことになって、初めに引き合わされたのが、拓真だった。
 拓真は脱色した髪にピアス、太縁の眼鏡をしていて、目は静かに日葵を見ていた。
 その理知的な輝きに、この人が学年主席だという、女子の噂を思いだした。
「渡のこと、信じてくれてありがとうね」と、まずまじめに言われ、頭を下げられた。日葵は、「あっ、やっぱりこれは本当の話だったんだ」と思った。
 拓真はスマホを操作して、ある論文を見せてくれた。拓真曰くドイツ語で書かれてあって、日葵には、全然何を言っているかわからなかったが、「飛行症候群」の論文らしい。
「小六のころだったかな。こいつが、ベランダに引っかかっててさ」
「ええっ!」
「うん。危なかったよ。最初はなんもわかんなかったから。まあ運だよね」
 以来、川瀬をずっと拓真はじめとする家族で、助けてきたらしい。
「いろいろ調べてさ、外でだけ起こるらしいんだよね。電磁波っていうのかな……服に鉛を仕込んでるし、上に障害物あるとこ歩くようにしてるから、最初ほど本気(マジ)飛びはしないんだけど、まあ危ないよね」
「なんとか治す方法はないんですか?」
「それが、今のところはないんだわ。だからむしろ、サンプルに来てって海外の研究機関から言われてるくらい」
「それは……」
「それに、皆信じないでしょ?だから家族で対処するしかないんだわ」
 困ったように言われて、日葵は恥じらう。そうだ、何といっても、小学校六年からのことだ。それは、拓真や二人の家族は皆、手を尽くしてるだろう。
「だから、信じてくれてありがとね」
 そう言って、拓真は笑った。それから、日葵と拓真で、川瀬を守る日々が始まったのだ。