敦彦とのこんな関係が始まったのは、ちょうど一か月前。高校三年の二学期からだ。

 雪兎の通う高校はサッカー強豪校だ。敦彦はサッカー推薦ではなく一般入試を受けた普通科の生徒だった。それなのに敦彦は二年生の時にはレギュラーを獲得し、三年では副部長を務めた。
 イケメンで、高身長でサッカーが上手い。加えて裏が無いストレートな性格で男女ともに人気がある。モテるのに彼女を作らないストイックさも敦彦の人気に拍車をかけていた。
 雪兎との共通点は同じクラスという事だけだった。

 二学期が始まって数日経った頃、雪兎は敦彦から小さなメモを渡された。中を開くと『放課後に残っていて』と書かれていた。
 何の用事があるのか思い当たらず教室に残っていると、敦彦が前の席に座ってきた。

 誰も居なくなった教室。開けてある窓からは運動部の声が聞こえていた。正面に座った敦彦は、何も言わずに雪兎を見つめてきた。黒いたれ目が真っすぐに雪兎を射貫いている。
 まるで心臓まで見透かされそうな強い眼差しに心がドキっと鳴った。ただ見つめられているだけなのに、恥ずかしい様な胃の奥が熱くなるような感覚が沸いた。
 この瞳の強さは何なのだろう、と不思議に思った。
「雪兎君、いや、雪兎って呼んでもいい?」
 急に声をかけられて驚いた。
「あ? えぇ? 呼び方? うん、いい、けど」
 名前呼びをするかどうかを聞くために放課後に話をしたかったのだろうか。雪兎の理解が追い付かず首を傾げた。
「可愛い」
 ぽつりと敦彦がこぼした言葉が雪兎の耳に引っかかる。可愛いと言っている。誰が、だろう。
 ますます意味が分からず首を傾げる。
「雪兎、俺は雪兎が好きだ」
 この言葉で敦彦がヤバいヤツなのだと雪兎は理解した。すぐに帰ろうと席を立つが、大きな手に腕を掴まれる。
「行かないで。本気なんだ。入学の時に一目ぼれして、何とか雪兎の目に留まるようにサッカー部でレギュラーになった。県大会もベストフォーまで勝ち上がった。全て今日のためだ」
 腕を離して欲しいのに敦彦の力は強くてびくともしなかった。冷汗が背筋を流れた。
「見て。ほら、一年の時の雪兎の写真、これが二年のフォルダー、三年は同じクラスになれたから多いよ。三年間で俺の知名度が上がってサッカーで成果を出したら告白しようって決めていた」
 携帯電話の写真フォルダーを見せてくる敦彦に恐怖を感じた。雪兎の顔が引きつっていたと思う。
「あ、敦彦、君。あの~~、僕は、男なんです、けど」
「性別なんて関係ない。男でも女でも、俺は好きなものは好きだ。ね、敦彦って呼んで欲しい」
 頬を染めた敦彦が席を立った。雪兎の腕は掴まれたたままで距離をとることが出来なかった。
「俺は、雪兎と恋人になりたい。俺が寄り添いたい。返事は卒業までに聞かせてくれたらいい。俺なりに、頑張るから」
『冗談だろ?』と言い返したかったのに、真っすぐに雪兎を見下ろす敦彦の迫力に負けて、茶化すことなどできなかった。
 ちなみにこれが雪兎の受けた初めての告白だった。

 その翌日から敦彦は親友かの如く雪兎の傍に居るようになった。その敦彦の態度から告白が本気なのだと雪兎は理解した。
 敦彦は一生懸命なのだが、少し方向性が残念な男だ。

 例えば、急に学校に花束を持ってきたと思えば「告白から一週間記念に」と雪兎に渡してきて、またある日は「恋人と言えば手作り弁当だろ?」と肉尽くし弁当を持ってきたりした。雪兎は顔から火の出る思いをした。
 クラスの皆は、始めこそ「何しているんだ」と引き気味だったが、その内に「敦彦なら仕方がない」と受け入れ始めた。
(こんな状況を受け入れないでよ!)
 そう雪兎は叫びたかった。いつの間にか雪兎は敦彦とセット品のように認識されてしまっていた。

 ここ一か月を思い出し、雪兎は大きくため息を吐いた。
「あれ? どうした? 調子悪いのか?」
 隣を歩く敦彦が声をかけてくる。
「体調は大丈夫。なぁ、敦彦は塾行かないのかよ? 毎日こうして僕なんかと下校していいわけ?」
 二学期になりクラスは一気に受験ムードになった。運動部も文化部も三年は引退して勉強一色になっている。
 それなのに敦彦は毎日雪兎と一緒に下校している。雪兎が通う学習塾に送ってくれることもある。
「夢だったんだ。雪兎と下校デート。俺の夢が一つずつ叶っていく。勉強より何より、今のこの時間を大切にしたいんだ」
 敦彦の言葉を聞きながら、変わった奴だなぁと改めて思った。そして雪兎は、会話して歩くなどこれまでなかったから油断していた。
「危ない!」
 敦彦の鋭い声が聞こえたと思ったら、雪兎の身体を大きな腕が包み込んだ。
 意味が分からず身動きがとれなかった。気が付いたら敦彦の胸に抱き留められていた。
 まさか、またやってしまったのだろうか。雪兎は恐怖で身体がガタガタ震えた。
「大丈夫。雪兎、俺が居る。守るから、大丈夫」
 そんな優しい声が雪兎に響いてきた。身体の震えが落ち着くまで、横断歩道の手前で抱きしめられていた。
「もう、大丈夫、だから」
 しばらくして雪兎から声をかけた。温かい抱擁は続いたままだった。
「うん。分かった」
 優しく雪兎を解放して、道路に落ちた荷物を敦彦が拾ってくれる。パタパタとはたいて「はい」と渡してくれた。雪兎は何も言えずにそれを受け取った。心臓が怖いほどバクバクと鳴り響いていた。

――敦彦は、知っているんじゃないのか?

 そんな不安が雪兎の頭を過った。