帰りも藤川は何も話さなかったが、いつもの分かれ道まで来るとごめんとだけ言って情けなく笑いかけてきた。
 別に気にしてないと伝えると、藤川はいつもよりぎこちない笑顔を俺に向けてから背中を向けて行ってしまった。

「アイツ、本当に何がしたいんだか……」

 俺が過敏に反応しすぎたのもよくなかったんだろう。俺は色々となかったことにして、頭を切り替えた。

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 今日は家でのレッスンの日だ。
 藤川も普通に家まで来て、いつもの通りに俺も椅子に腰かけて二人のレッスンを見守っていた。

「うん。藤川君、本当に上達してるね。そういえば、子犬のワルツも練習してるって聞いたよ」
「はい。まだ一音ずつしか読めないのでほとんど進んでないんですけどね」
「私の課題曲と一緒に練習してるんでしょう? キーボードがあるとはいえ、鍵盤が足りないものね」

 藤川もいつも通り母さんと話しながらレッスンを受けているみたいだが、途中でちらちらと俺の方を見る回数が多い気がする。
 そして、レッスンが終わったあとに藤川は俺に話があると言ってきた。

「じゃあ、私は席を外すわね。ゆっくり話していって」
「ありがとうございます」

 母さんが笑顔でレッスン室を出ていくと、藤川は真剣な表情で俺を見てきた。
 俺が視線を上げると、いつものように笑ってみせる。が、少し不自然な笑顔な気がした。

「話ってなんだよ?」
「オレ……しばらく一人で練習してみようと思って。風見くんも大変でしょう?」
「別に大変って訳でもねぇよ。お前を教えないと俺の小遣いがもらえなくなるから。それだけだ」
「そうだよね。じゃあ、オレから風見先生に伝える。オレが一人でやりたいってこと」

 藤川はそれだけと勝手に話を切って、レッスン室を出て行こうとする。
 イマイチ納得できなくて、俺の方から立ち上がって藤川の腕を掴んだ。

「おい、俺にも分かるように説明しろよ」
「ごめん。オレの問題で風見くんは悪くないから」

 今度は藤川が俺の手を振り払うと、そのまま行ってしまった。
 一体どういうつもりなのかよく分からないが、昨日抱きついてきたことが原因なのか?
 でも、元々キモイところはあったし……それが暴走しただけだろうと思って俺はそれほど気にしていなかった。

「……チッ」

 藤川から解放されて楽になったってのに、今度は俺の方が気になるなんて。
 まるで、藤川と練習できないのが嫌みたいな……。

「……そうだよな。俺と一緒じゃつまんねぇよな」

 そうだ。俺は元々やる気なんてない癖に小遣いに釣られて教えていただけだ。
 藤川もそれが嫌になったんだろうな。

 藤川の話が終わったのか、今度はレッスン室に母さんが入ってきた。

音流(ねる)、藤川君とケンカした?」
「してねぇし。俺がやる気なさそうなのが嫌になったんじゃねぇの」
「私は違うと思うけどな。藤川君、何か悩み事がありそうだったし。楽しそうだったよ、二人で教え合ってるとき」

 母さんに指摘されると、ますます分からなくなった。
 だけど……この日以来、藤川は俺に関わって来なくなった。
 レッスンには来ていたけど、俺がいると気になるから近くにいなくても大丈夫だと言われてあからさまに避けられた。
 母さんには散々問い詰められたが、覚えもないしよく分からなかった。