それからの放課後は、お互いに用事がない限りは第二音楽室でピアノを弾き藤川は家のピアノ教室で母さんのレッスンも欠かさずに習いに来ていた。
 最初はうざったかっただけだったけど、気づけば藤川と二人でピアノの前で過ごす時間も悪くないと思えていた。

「……やった! ようやくつっかえずに弾けるようになった!」
「おー。相変わらず動きも音も硬いけど、悪くないかもな」
「風見くんに褒めてもらえれば十分! オレの目標は風見くんだし」
「は? 俺が目標って……」

 意味が分からないと顔に出したせいか、藤川がクスクスと笑う。なんか腹立たしい笑い方だ。

「オレは子犬のワルツが弾けるようになりたい。だから、風見くんに教えてもらいたいんだ」
「ふうん。まあ、右と左が動くようになってきたし。一音ずつ暗記できるって言うなら、弾けるかもな」

 俺が言うと、藤川はホント? と言って俺の両肩を掴んできた。
 コイツはたまに距離感を縮めてくるところが面倒だ。

「藤川、近い」
「あ……ごめん」

 俺が注意すると、大人しく食い下がる。
 だけど、視線だけは俺だけをしっかりと捉えているのが分かる。
 この真剣な眼差しはどうも苦手だ。

「ただ、まともな曲として弾けるようになるのはまだまだ時間がかかる。お前はスタートラインに立ったばっかりだ。それでも……弾きたいのか?」

 俺が問うと、藤川は迷いなく頷いた。こうなるとコイツは面倒臭いモードに入るだろうな。
 それはこの二か月で理解した。

「仕方ない。じゃあ、譜面買いに行くか。ピースなら高くないし」
「本当? オレ、実はキーボードを買ったんだ。だから、部屋で練習できるようになった」
「へえ。本当にピアノにハマったんだな。その熱意は尊敬する」

 素直に褒めると、藤川は恥ずかしそうに照れ笑いを返してきた。
 それほど真剣なら、思っていたより早く弾けるようになるかもしれない。

「クラシックの中では中級くらいだから……耳で覚えればイメージも掴みやすいかもな」
「それは大丈夫。今までずっと聞き続けてきたから。ただ、音に合わせて指は動かせなかったんだ」
「耳コピで弾こうとしたのか? そこまでして弾きたいって……」

 コイツにとっては運命の音色とか言っていたくらいだから、曲自体の思い入れも深いってことか。
 俺も子どもの頃はそうだったから、気持ちは分からなくもない。

「暴走されても面倒だし、譜面を買ったら一音ずつ教えてやるよ。それなら家でも弾けるだろ?」
「風見くんが? やった!」

 藤川の満面の笑みは、俺が子どもの頃に笑っていた笑顔と重なって胸の奥をくすぐってくる。
 こんなに純粋にのめり込めるコイツがうらやましい。
 俺もいつの間にかペースに飲まれて、気付いた時には笑っていた。

「ここから近い楽器店は……」
「ああ、駅ビルに入ってた。あそこにもそのピースって売ってるかな?」
「あー……たぶんな。いくつか回ってみればあるだろ」

 やたらとはしゃぐ藤川をなだめながら、俺たちは駅ビルへ寄ることにした。
 学校から駅までは歩いて十五分くらいで、駅にはあまり見かけないストリートピアノが置いてある。
 最近は触って弾くこともないけど、結構色々な人が弾いているのを見かけていた。