俺はイケメンの手をグッグッと伸ばしてやる。
 手は少し震えていたけど、逆らわずに大人しくされるがままになっていた。

「お前、手はデカイんだから。親指はココ。で、小指をココに置く。これでオクターブ届いてる」
「オクターブ?」
「正確には一が付くが、ドからドまでだと思ってれば大体あってる。実際はもっと細かく説明しなきゃだけど、その辺はいいだろ。まあ、もうちょい先まで届きそうだな」

 俺も指は長い方だけど、男にしては指は細めだから力強い演奏が得意かと言われると微妙だ。
 だから、単純にデカイ手は羨ましいんだよな。
 俺が真面目に教えてやってるってのに、イケメンは俺の顔ばっかり見てるのが分かる。
 視線がうざったい。

「お前、聞いてる?」
「……へ?」
「何、間抜けな声出してんだよ。やる気あるのか?」
「あ、あります! ただ風見くんの手がキレイだなって見惚れてただけで……」

 全く、コイツはペラペラと口説き文句みたいなことばっかり言いやがる。
 そういうのは女子に言えっての。

「いい加減、キモイこと言うのやめろ。ほら、さっきのもう一回弾け!」
「分かりました」

 母さんの電話が終わるまで、俺が基礎練習を教えてやってるってのに……コイツは音を外してばっかりで話にならない。
 母さんとやってた時はもう少しまともに弾いていたはずなのに。ふざけてるのか?

「お前、やる気がないなら帰れ」
「すみません! でも、風見くんが隣にいるのが嬉しくて。あの音色はこの指と身体から生まれると思うと……」
「ストップ。だから、すぐ変な方向に行くのやめろ! 言い方がねっとりしててキモイ!」

 母さんが帰ってこないせいで、俺たちはくだらないやり取りをするばかりだ。
 これがレッスンかって言われると、ただの言い合いをしてるだけで無意味な時間な気がする。
 
「じゃあ、見本を見せてくれませんか?」
「はあ?」
「お願いします!」

 今弾いてるのは基礎中の基礎。指をほぐすために俺も弾くことがある基礎だ。
 確かに先生が見本を弾いてやるのはよくあることだが……母さんが戻ってくるまでだ。仕方ない。
 
「ドの位置に右手を置く。で、一音一音ゆっくり弾く。最初から速く弾けるわけないから、ゆっくりでいい」

 俺は仕方なくドから順番に弾いてやる。素人にドレミファソラシド以外で言っても通じないだろうし。
 まずは片手でゆっくりとしたテンポで弾く。
 見本を見せてから、鍵盤へ手を置けと顎で促す。

「俺の真似して弾いてみろ。なるべくテンポは一定に」
「分かった!」

 返事だけはいい返事なんだよな。このイケメンは。
 譜面は読めないらしいが耳はいいと母さんが言ってたし、頭も良さそうだから記憶力を頼りに音を覚えているみたいだ。
 全く、秀才は便利なもんだな。
 譜面の最後まで弾ききると、イケメンは嬉しそうに俺にアピールしてくる。

「はいはい。今の調子でな。まずは右手でつっかえずに弾けるようになるまで反復練習。左手はその後だ」
「はい、先生!」
「俺は先生じゃないっつーの」

 俺がげんなりして顔をあげると、いつの間に戻ってきたのか母さんが入り口の側で立ってニヤニヤしていた。
 もしかして……俺が教えている間、見てたな?