母さんは納得した表情で、ニコッとイケメンに笑いかけた。
 イケメンも満更じゃなさそうな顔をしてやがる……コイツ、年上好きじゃないだろうな?
 
「あの時、音流は私が目を離した隙にピアノを弾いていたから……あなたのことは後から聞いたの。ありがとうね」
「いや、あの時は子どもだったしマケマケを渡すので精一杯で……でも、ずっと会いたかったんです。オレの運命の音色だから」

 運命の音色という言葉に、母さんも驚いたように瞬きする。
 そりゃそうだよな。コイツ何言ってんだって感じだし。
 だけど、母さんは何故かすごく嬉しそうな顔をした。

「そっか……音流(ねる)はどうせちゃんとお礼を言わないだろうから、私から。ありがとう、藤川君」
「いえ! そんなこと……こちらこそ、突然お邪魔したのに体験レッスンを受けさせてくださってありがとうございました」
「どういたしまして。じゃあ、正式にレッスンを申し込む時はまた声をかけてね。さてと! 私は夕飯のお買い物に行ってくるね。部屋は散らかってるから……レッスン室か音流の部屋なら自由にどうぞ」
「いや、もう終わったんだからコイツは帰っていいだろ? 俺の部屋とか行かせる訳ねぇし」

 俺が訴えたってのに、イケメンはお言葉に甘えてとか言い始めてるし。
 母さんはさっさと笑顔で行っちまった。
 しかし、用が済んだのになんでまだ居座ろうとするんだコイツは。

「風見くんのお部屋も気になりますけど……オレはもう一度子犬のワルツが聞きたいです」
「どんだけだよ。いいから帰れ。お前の前では絶対に弾かない」

 俺が言いきると、イケメンはしゅんと肩を落とす。
 そんな顔をされても、家では弾きたくない。
 俺が睨みつけると、イケメンは諦めたように息を吐き出した。

「分かりました。本当に弾きたくなさそうですし。だったら、オレに教えてくれませんか? 子犬のワルツ」
「さっき母さんに教わってただろ。それと、子犬のワルツは初心者がいきなり弾ける曲じゃない。そもそも俺はお前と関わり合いになりたくない。俺にとってピアノは気晴らしであって、強制されるのはごめんだ」

 スマホを弄りながら適当に答えると、しんと妙に室内が静かになる。
 さっきまでべらべら喋ってたくせに、イケメンは急に黙り込んだらしい。
 
「……すみません。オレ、風見くんの事情も何も知らないのに一人で舞い上がってました。でも……風見くんの音色が好きなのは本当です。運命の音色って言ったのもずっとそう思っていたから……」
「何回言うんだよ、それ」

 ため息交じりで答えると、イケメンは俺の目の前でかがんで俺の顔を覗き込んでくる。
 こいつの目を見たくなくて、ふいと逸らしてしまった。

「何度でも言います。風見くんの音色は、オレにとって運命です。キラキラと輝きに満ち溢れていて……本当に素敵だった」
「……だったら、俺も言ってやる。俺にとって今、ピアノを弾くことはただの気晴らしだ。それ以上でもそれ以下でもない。だから、俺の音はキラキラと輝いたりしない」

 睨みつけながら言ってやると、イケメンは何かを言いたそうだったが黙って立ち上がった。
 自分のスクバを拾うと、俺に向かって頭を下げてくる。