学園祭の劇の練習が始まって1ヶ月と少し。
 初めは苦戦していた台詞を話すこともだんだんと慣れてきた。
 このままいけば赤面症の症状が出ずに済むかもしれない。
 今もできるだけ体を冷やしている。

「はーい、では今日はステージに立って本番と同じようにリハーサルをします!」

 劇を取り仕切っている監督の生徒が全体に声をかけた。
 俺もそれに従う。
 今日は本番で使う衣装も着用するために大道具を製作しているチームの横で準備をしている。
 衣装はさまざまな装飾品が取り付けられているため見た目以上に重い。
 着替えた後はヘアセットやメイクをするため椅子に座って目を閉じた。

「藤月くん、何か違和感とかない?」

「大丈夫、なんともない」

「じゃあ続けるねー」

 フェイスクリームにファンデーションを塗り重ねて、筆を使いながら顔に陰影をつけていく。
 懐かしい感覚だ。キッズモデルをしていた時もこうしてメイクをしてもらった。

「おー! いい感じだよ」

「そう? よかった。ありがとう」

 前髪を上げてメイクをしてもらった俺は普段の様子からは印象がかなり変わっている。

「藤月くんはさ、なんか印象変わったよね。椿さんと話すことが増えてから話しかけやすい雰囲気が出たというか。前は話しかけたらそれに返すだけみたいな感じだったしさ」

 だから藤月くんと話せて嬉しいって人結構いるよ。と、メイクをしてくれた女子生徒は話してくれた。
 その後リハーサルのために体育館に設置されているステージに移動した。
 椿さんは準備を終えて俺よりも先に到着していた。

「あ、藤月くん。衣装、かっこいいね」

「椿さんこそ、似合っているよ」

 シンデレラの衣装は初め決して豪華とは言えない格好から始まる。
 それでも椿さんの大人っぽい雰囲気と衣装が混ざり合って綺麗な雰囲気を演出していた。

「それ褒めている?」

「褒めてるよ」

「ならいっか。リハーサル頑張ろうね」

「うん、椿さんも」

 シンデレラは椿さんが主役だ。当然セリフも人一倍多い。
 演技の経験なんて彼女にはないだろうから、大変なはずだ。
 それにもかかわらず辛い様子なんて一切見せずに、笑って楽しそうに取り組んでいる。

(眩しいな)

 俺はヒーロー役とはいえ出番は中盤からなので袖から彼女の様子を見ていた。

「次、藤月くんの出番です」

 監督の生徒が声をかけてくれた。
 ステージの袖から一歩足を踏み出した。
 一気に視界が開けた。体育館の中には数名の生徒しかいない。
 けれど当日はたくさんの生徒がやってくる。
 視線が俺に向けられる。
 覚えたセリフを口にしながら、だんだんと冷や汗が止まらなくなっていることがわかった。
 それと同時に顔に熱が集まっている感覚も。
 ガーゼで巻いた保冷剤を背中に貼り付けてできるだけ通気性の良いものを着ている。
 対策はしたはずなのに。
 頑張りたいのに、うまくできない。

「藤月くん大丈夫!?」

  監督の生徒が俺を見かねて声をかけた。
 ステージの袖からは距離があるはずだ。そんな場所からでもわかるほどなのか。

「ちょっと無理かも」

 ステージ上でしゃがみ込んだ。ステージ袖で待機していたクラスメイトたちが駆け寄ってくる。
 大丈夫か、保健室へ行こう。
 体調を心配する声が遠くから聞こえた。
 こんなに俺を心配してくれる人たちがいることを意外に思った。
 こういう人たちならちゃんと初めから話しておいたほうがよかったかな。

……

「藤月くん、大丈夫……?」

 椿さんが心配そうに俺を見つめていた。

「……なんとか」

 冷え切った体が温まっている。夏にもかかわらず布団に肩まで入れられていた。

「先生、藤月くん目を覚ましました」

 その声を聞いた保健室の先生がカーテンを開けた。

「体調はどう?」

「大丈夫です」

「それはよかった。夏だからって体の冷やしすぎは良くないよ。学園祭の準備に一生懸命になるのは良いけど、ほどほどにね」
「気をつけます」

 それじゃあ先生は一度職員会議のために職員室へ戻るからと保健室を出て行った。
 椿さんは劇の衣装を着ていて劇の道具を運んだりすることはできないため俺の付き添いをしてくれていたそうだ。

「椿さんもごめん。迷惑をかけて」

「具合が悪いなら言って欲しかった」

「ごめん。自分でも体調が悪いことに気がつけてなかった。……俺赤面症なんだ」

「赤面症?」

「そう、極度の緊張状態に陥ると顔が赤くなって自分ではどうしようもできないってやつ」

 寝転がりながら話すのもあれなので俺は上半身だけを起こした。

「俺、小さい時はモデルをやってたんだ。将来は世界で活躍するモデルになりたいって思ってた。でも赤面症になって辞めざるを得なくなった」

「だったらどうして、役を引き受けたの? 体調不良で倒れるくらいなら断ったほうがよかったのに」

 椿さんは本気で俺の体調を心配していた。
 まっすぐな彼女の姿に胸を打たれた。

「俺のわがままだよ。人前に立っても大丈夫な自分になりたかったんだ。そのきっかけをくれたのは椿さんだよ」

「……え?」

「椿さんが将来教師になりたいっていう夢を追いかけて頑張っている姿を見て俺も諦めたくないって思ったんだ」

「でも、それは今じゃなくても」

「俺にとっては今じゃなきゃ駄目なんだ。自分の気持ちを見ないふりするのはやっぱり苦しいから」

 椿さんが教師になる夢を追いかけている姿を羨ましいと思っている自分がいた。
 同時に純粋に頑張れる彼女を尊敬して憧れていたんだ。

「そうなんだ。藤月くんは意外にわがままなんだね」

「そうかもしれない」

「素直!」

 彼女の表情から心配は消えた。

「そっかー、なら私はそんな藤月くんを全力でサポートしないと。舞台上では相棒みたいなものでしょ」

「心強いね」
 その後俺はクラスのみんなに赤面症であるとこを話した。
 少し動揺していたものの、ヒーロー役を演じたいという俺の気持ちを尊重して色々サポートをしてくれることになった。
 そして当日、ステージの袖て控えていた俺は体育館内から聞こえてくる人の声に辟易していた。
 連取したんだから大丈夫、緊張することはない。
 サポートをしてくれる人たちもついているんだから。

「次、藤月くんの出番です」

 監督の生徒の声がけでステージに出る。
 仮面をつけているおかげで視界が狭くなっている。
 大丈夫だ。ここには俺と椿さんしか立っていないかもしれないけれどもっとたくさんこの劇に関わっている人たちがいる。
 一人じゃないんだ。
 そう思うだけで肩の荷が降りたように感じた。

「サイコーだった!!」

 ステージ袖に戻ると誰かがそう言った。
 言葉の通りなんの問題もなく劇は終了した。
 これはクラスのみんなの力だ。

「椿さん、藤月くん。ありがとう!」

「え?」

「二人がいたからここまで劇が成功したっていうか。やっぱスタイルがいい人たちは違いますな。集客もバッチリだし、裏方の努力もこれで報われたよ。ありがとう」

 みんな達成感に満ちた清々しい顔つきだった。
 この劇の成功はクラス全員で得たものだ。
 リハーサルの時に俺は迷惑をかけてしまったけれど、それでもサポートすると言ってくれた。

「……俺の方こそ、みんなありがとう」

 心からそう伝えた。

「うっ笑顔の暴力っ!」

 そんな声が聞こえた気がしたけれど誰が言ったかはわからなかった。