幼い頃、誰しもが夢を持っていたように思う。
 たとえそれが深く考えられていなかったり、誰かの影響を受けていなかったとしてもだ。
 そして俺も例外ではなかった。

「圭介は将来何になりたいの?」

「ぼくは将来、モデルになりたい!」

 世界的に有名だった父に憧れて俺は小さい頃ファッションモデルになりたかった。
 父の影響を強く受けていた俺は運がいいことにスタイルも悪くなく度々モデルオーデションを受けていた。
 初めは落選が続いたものの、どんどんコツを掴んでいき有名こども雑誌の専属モデルに選ばれた。
 嬉しかった。憧れの父の背中に一歩近づいたような気がした。

「カーット、カット。圭介くんどうしたの? 今日調子悪い?」

 キッズモデルになってから数ヶ月が経過した時、俺は監督から注意をされることが増えた。体調が悪いとかとういうことではなかった。
 ただ、顔が熱くてたまらなかった。それは母に頼んで氷を使って冷やしてもすぐに戻ってしまっていた。
 俺は極度の赤面症だったようだ。
 カメラの前に立つととても緊張してしまう。それだけで止まれば良かったが顔にまで出てしまうのだ。
 モデルとしては致命的。服を魅せる仕事のはずが、逆にモデルが注目を浴びてしまっては意味がない。
 そうすると自然と撮影に呼ばれる機会が減った。そして一年後には卒業という形でモデルですらなくなったのだ。
 心の問題だからと病院に行ったりもしたが結果は変わらず。
 俺の将来の夢への道は絶たれてしまった。

「モデル以外にもやりたいことがきっと見つかるからね」

 父と母はそう言ってくれた。
 でも俺はどうしてもモデルがやりたかった。
 しかし赤面症のままではそうすることもできない。
 父や母の前ではそうだねと笑って、夜な夜な鏡の前でモデルの練習をする日々が続いた。
 そんな日々を送っていたら体調を崩した。当たり前だ。
 そこでなんとなく諦めがついた。
 どれだけ頑張ったとしても顔が赤くなるのは自分ではどうすることもできない。
 加えて赤面症のことを意識しすぎていたせいなのか、学校でクラスメイトの前に出るだけで顔が赤くなるようになっていた。
 わかっているんだ。他の人たちは思っているほど自分に注目はしていないし気にしてもいない。
 でも見られているんじゃないかと思う気持ちを止められない。
 こんな自分が嫌だった。
 それから積極に誰かと関わることを止めた。他人の視線を感じれば感じるほど、俺が嫌いな俺になっていく気がしたから。

……

「藤月くん、おはよう」

「椿さん、おはよう」

 朝、彼女と挨拶を交わすことが日常になりつつあった。
 初めは居心地が悪く感じていたけれど今は馴染んでいる。
 相変わらず彼女はクラスの人気者だ。
 大人びた容姿をしているけど純粋な人柄。みんなの憧れ。

「ねえねえ藤月くん、今日の放課後暇かな?」

 椿さんは屋上で一緒に昼ごはんを食べてから俺に親しげに話しかけてくるようになった。

「大丈夫だけど」

 彼女と過ごす日々が嫌じゃない自分がいるから提案を素直に受け取った。

「やった! じゃあ放課後に図書室で待ち合わせね。今日は委員会があるからその後に落ち合おう」

「わかった」

……

 放課後、俺は椿さんとの待ち合わせのために図書館にいた。
 そろそろテスト期間ということもあって隣接している自習スペースにはかなりの数の生徒がいた。ワークや教科書を開いてノートに文字を書いていく。
 ペンとノートが擦れ合う音が聞こえた。

「藤月くんお待たせ」

 課題用に借りた本を読んでいると椿さんがやってきた。本を閉じて鞄にしまう。

「思ったよりも時間かかっちゃった。ごめんね」

「大丈夫。課題に出された本を読んでたから」

「藤月くん優しいー」

「そんなんじゃないよ」

 椿さんはたまにこういうじゃれるような会話を入れてくる。

「あ、教室に忘れ物したみたい。申し訳ないんだけど、先に昇降口に行って待ってて」

「了解」

 昇降口に行き靴を履き替える。
 窓を見ると空全体が雲に覆われていることがわかった。
 雫が空から降ってきてコンクリートを濡らす。
 鞄の中を見ると折り畳み傘が入っていなかった。教室のロッカーに置いてきたようだ。
 幸い椿さんも教室に行っている。俺が戻ったとしてもすれ違いになることはないだろう。
 靴をまた履き替えて俺は教室に戻った。
 教室に近づくと誰かが扉の前で立ち尽くしているのがわかった。

「椿さん……?」

 立っていたのは椿さんだった。静かな廊下に俺だけの声が響く。

「藤月くん」

 ただ俺の名前を呼んだ。
 気が抜けたような、夢から覚めてしまったような声だった。

「どうし……」

 どうしたんだ。
 そう口にしようとしたら彼女は人差し指を口元に当てた。
 静かにしていろという合図だ。
 できる限り足音を消して彼女がいる場所に近づいていく。
 と同時に教室の中から話し声が聞こえてきた。

「ね、わかる。マジ調子乗んないで欲しいよね。ちょっと見た目がいいからってさ」

「本当にそう。大人っぽいから男子たちは璃子に釘付けだし。胸も大きいしさ。彼氏取られちゃうんじゃないかって思ってる子結構多いみたいだよ」

「ねー、多分中身は天狗だよ。ずっとニコニして色んな人に話しかけたりしちゃってさ。いい人ぶんな? って感じ」

「それなー!」

 璃子、とは椿さんの名前だ。
 誰かに聞かれるかもしれないという配慮を一切なくした大きな声。
 俺たちの教室内から聞こえるということは話しているのはクラスメイトだ。
 他の人よりも目立つ人は羨望とともに妬みや僻みを受けやすい。
 でもこれは駄目だ。
 彼女の心を傷つけるには十分だ。
 ひとまずこれ以上話を聞かせてはいけない。
 彼女はクラスメイトの会話をどれくらいの間聞いていたのだろう。

「つば……」                    
 彼女はまた口元に手を当てた。
 静止する間も無く教室の扉に手をかける。
 俺が止める間も無く椿さんは教室に入っていった。

「え?」

 教室の中にいたクラスメイトが驚いている声が聞こえた。
 椿さんは気にせずに自分の席に行き忘れ物を取ってきた。

「行こうか、藤月くん」

 戻ってきた彼女は普通の顔をして言った。
 俺は何も言えなかった。

……

 結局折り畳み傘を持ってこれなかった俺は椿さんの傘に入れてもらった。
 自然と距離が近くなって俺の腕と彼女の肩が触れてしまいそうになる。

「さっきはごめんね?」

 さっきとは、教室での会話を聞いたことだろうか。

「椿さんが謝ることじゃないと思う」

「うん、でもごめん」

 聞いて気分が良くなるものじゃなかったよね、と彼女は付け足した。

「雨降っちゃたし今日はもう帰ろうか」

 椿さんは少し笑った。
 なんだか無理をしているように思えた。
 俺は人の感情を汲み取ることに少し自信がある。

「大丈夫だよ、何か俺に用事があるんだろう?」

「そうだけど、でも」

「じゃあ、雨が降り止むのを待つ間だけでもいいから」


......