甘いチョコレート、可愛いチョコレート、苦いチョコレート。
 二月になると、どこもかしこもチョコレートだらけだ。如月凪は自他ともに認めるチョコレード好きだった。もしチョコレートが海に溺れていたら飛び込んで助けるほどには好き。だからこの時期はいつでも上機嫌でいられる。チョコレートは食べるのも好きだし、作るのだって好きだ。そして今日からは、大好きなチョコレートを好きなだけ売り捌いてみせる。
 凪は自分の欲望と高校二年最後の思い出として、チョコレート専門店でアルバイトをすることにしたのだった。アルバイトまであと一時間。所属するダンス部の部室で全く踊らずに、凪はアルバイト先から渡されていた商品一覧を頭に叩き込んでいた。
「ねえ、ねえ」
 突然横から声をかけられる。いつの間にか隣に座っていたのは、幼稚園からの幼馴染で一つ年下の仁だった。彼は甘い顔立ちをしていて、幼い頃からバレンタインを完全制覇してきた男だ。
「うん、なに?」
 そう聞き返すと、彼は綺麗な眉をフニャンと下げて、例えるなら心底心配そうな顔をしてきた。そんな顔もかっこよくて羨ましい。この国では、かっこいいとたくさんチョコレートをもらえるのだ。本来であれば、かっこよければなんでも良いんですかと疑問を呈したくなるところだけれど、仁に関しては面倒見が良くて、大人っぽくて、確かに女の子ならチョコレートの一つでもあげたくなるだろうなと凪も認めている。そうやって余計なことを考えていたら、仁は心配そうな表情のまま首をやれやれと横に振った。
「俺はチョコちゃんを心配してるんだよ」
「その呼び方やめてってば」
「可愛いチョコちゃんがバイトデビューだなんて。やっぱり俺も一緒にやろうかな」
 チョコちゃんとは、凪の小さな頃のあだ名だった。お察しの通り、チョコレートが異様に好きだったから、チョコちゃん。その昔は大好きなチョコレートと同じ愛称であることを喜んだけれど、十七にもなってチョコちゃんは少々いただけない。家族にはいまだにチョコちゃんと呼ばれているとしてもだ。
「まあ、一緒にやってくれたら俺は嬉しいけど」
 チョコちゃんの話は置いておいて、仁が一緒に働いてくれたら凪は非常に安心だった。仁は器用だし、愛想もいいし、きっと女の子がこぞって買いにくるに違いない。そうしたら、凪の大好きなチョコレートがたくさん売れるじゃないか。そんなの最高だ。
「確か、まだ募集してたはずだよ」
 凪がそう教えた時には、仁はすでにスマートフォンで求人情報を調べているようだった。さすが、全てにおいて完璧な男だ。
「あれ、もう募集締め切ってる」
 仁の言葉に、凪は仁の手元を覗き込んだ。確かに、求人は見られるのに、受付終了となっている。
「昨日までは店の前にも貼り紙がしてあったのにな」
「残念だな。そしたら、いつか凪ちゃんが働いてる様子を見にいくよ」
「うん、そうして」
 すっかりその気だったから仁と働けないのは残念だけれど、これも運命かと受け入れるしかないだろう。とにかく、バイトまで残り四十五分だ。移動時間も考えたら、あと十五分ほどしかチョコレートたちの情報を暗記できない。凪はチョコレートのためにベストを尽くそうと、改めて意識を集中させるのだった。


 学校を後にして、アルバイト先であるチョコレート専門店へ向かい、事前に教えられていた通り裏口から建物の中に入る。パリで修行してきた有名なショコラティエがオーナーをしているこの店は、街で一番のチョコレート屋だ。学生の身分ではなかなか手が届かないチョコレートたちだけれど、凪は小学校の頃からお小遣いを貯めては頻繁にこの店を訪れる常連客でもあった。すっかり顔見知りのオーナーと従業員に挨拶をしてから、更衣室で用意されていたチョコレート色の制服に着替える。コックコートのような形の服に帽子まで被ったら、気分はすっかりチョコレート一色だ。小さな頃から憧れていたチョコレート屋に携われるだなんて感無量だと、厨房でそっくりそのままオーナーと話していたら、オーナーは何かを思い出したように手を叩いた。
「そうだ、チョコちゃんには言ってなかったな。もう一人、アルバイトの子が入ってくれたんだよ」
 やっぱりなと思いつつ、「そうですか」と言うと、オーナーは「きっとチョコちゃんも驚くぞ」と言った。一体何に驚くのだろうと首を傾げていたその時だった。バックヤードから厨房に通じる扉が突然開いた。キラキラピカピカッと光った気がしたのは、きっと凪の思い過ごしではないだろう。そこからは凪のダンス部の後輩である碧が現れたのだ。精悍なようで、少女漫画にそのまま出てきそうな綺麗な顔立ちに、ダンスで鍛えられた均整の取れた体つき。同じチョコレート色の制服を着ているのに、彼の出立ちはまるでモデルのようだ。女性従業員たちが嬉しそうにはしゃいでいて、凪が到着した時の落ち着きようとは大違い。ちょっと失礼だなと思いつつも、これは仕方のないことだと納得してしまう自分が少し悲しかった。
「碧くんはチョコちゃんの可愛い後輩なんだって?」
 オーナーがそう聞いてくるけれど、その通りというか、ちょっと違うというか、実際微妙なところだ。だって、碧は誰よりもダンスが上手で、凪が何かを教えたことなんてない。それに特別親しいわけでもなかった。ただ、彼は気がつくと凪のそばにいて、ニコニコと凪の話を聞いている変わった子なのだ。とにかく違いますというわけにはいかないから、「そうですね」とだけ言っておくと、碧の瞳がわかりやすくキラキラと輝いた。
 十七時になって売り場に出ると、まだ二月の上旬にも関わらず店は大忙しだった。チョコレートが次々に売れていく様子が気持ちよくて、嬉しくて、凪はチョコレートのためにできることはなんでもした。事前に勉強しておいたチョコレートの知識も役に立ったし、チョコレート愛に溢れた接客は従業員にも褒められた。一方で碧はというと、口数が多くないこともあって密かに心配していたものの、レジ係として大活躍していたようだった。碧が微笑んで紹介すると、レジ横のクッキーまで飛ぶように売れていく。凪はクッキーのことはそこまで好きではないけれど、大好きなチョコレート屋の糧になると思えば碧に拍手喝采だった。
 凪と碧の終業時刻である二十時頃になって、やっと店が落ち着いた。始業からずっと忙しかったけれど、凪は元気いっぱいだった。大好きなチョコレートと一緒にいられる時間は幸せでしかなかったのだ。
 オーナーと従業員たちに挨拶をして、更衣室でチョコレート色の制服から学校のブレザーとコートに着替え、碧と一緒に店の裏口から退勤した。空気はキンと冷え切っていて、夜空に星が輝いている。達成感のある一日だったなと思いつつ、並んで歩いている碧はどうだっただろうかと考えた。仕事だから大変だと思うこともあったかもしれないけれど、凪と同じように幸せな気持ちになっていたらいい。そう思いながら隣に並ぶ碧をチラリと見上げたら、なぜだか碧が凪をまっすぐ見つめていて、思わず「うわぁっ」と言ってしまった。
「なんか、俺のこと見てない?」
「うん。そうですね、すごく見てました」
「え、なんで?」
「なんででしょうね」
 そう言ってクフクフと笑って白いマフラーに顔を埋める様子が可愛いやら、ちょっと不気味やら。まあ、何でも良いかと思って、気を取りなおす。先輩らしく、できるフォローはしてあげるべきだろう。
「アルバイトはどうだった?」
「すごく楽しかったです。もっと大好きになりました」
「チョコレートって最高だよね。俺もすっごく好き」
「いえ、俺はチョコレートのことは好きではありません」
「……えっ!?」
 凪は思わず大声をあげて立ち止まった。まさかこんなに愛すべきチョコレートのことを好きではない人間がいるだなんて思いもしなかったのだ。これは人類の歴史始まって以来の大問題だ。だって、あのチョコレートだぞ。人類が恋焦がれるチョコレートだ。それを好きじゃないなんて。碧は凪に倣って足を止めると、凪を正面から見下ろすように振り返った。そして、ゆっくりと口開く。
「むしろ、今日で尚更嫌いになりました」
「ひえっ!!!」
 信じられない。信じられなさすぎる。目の前の後輩が恐ろしすぎて、凪は思わず後退りをした。それなのに、一歩後ろに進むごとに碧が一歩近づいてくる。
「何でだと思いますか」
「し、知らない」
 本当に知らないし、わからない。人の好みと言われてしまえばそれまでだけれど、それにしても凪は悲しい気持ちになった。大好きなチョコレートが目の前で嫌われているのだ。
 その時、ビュウッと風が吹いて、こんな緊迫した状況にも関わらず凪は思わず身震いした。それから大きなくしゃみを一つ。そんな凪を見て、碧はふわっと笑みを浮かべた。そして自分のマフラーを外しながらもう一歩凪の前へ近づいてくる。
「だって、恋敵だから」
 そう言って、凪の首にふわりと巻かれた白いマフラーはふわふわで温かい。呆気に取られていたものの、すぐに気がついて凪は慌てて首元のマフラーに手をかけた。
「これだと碧が寒いよ!」
 マフラーを外そうとすると、碧がそれを優しく制した。年下のくせにその仕草でさえも洗練されていて、凪には到底真似できないなと思う。
「ねえ、聞いてました?チョコレートは恋敵なんです」
「え、うん。そうなんだね」
 理解が追いつかなくてとりあえず相槌を打つと、碧は今度は呆れたようにやれやれとため息をつく。
「つまりね、俺は先輩のことがとても好きなんです」
 この状況で先輩というのは、つまりは凪のことかとフムフムと頷く。碧には好きな先輩がいて、つまりは、と思い至ったところで、凪は「うええっ!?」と声を上げたのだった。


 仁には如月凪という大切な幼馴染がいる。可愛い見た目の割に男っぽくて少し変わり者。でも常に一生懸命生きているからつい応援したくなってしまう魅力があった。周りからは年上相手に随分と過保護だとよく言われるけれど、だって面倒を見てやりたいのだから仕方がない。そんな幼馴染が、今日は少しおかしかった。いや、変わり者だからいつも多少はおかしい訳だけれど、なんだかぼんやりして、無性に心配になる。フラフラとダンス部の部室にやって来たと思ったら、昨日と同じ様に大好きなチョコレートの並ぶ紙を広げて、でも視線は明後日の方を向いている。仁は凪の隣に座り、ぼんやりとした顔の前でひらひらと手を振った。
「チョコちゃーん?」
 すると凪は視線をふらりと仁に合わせて、「……ん?」と気のない返事をした。
「ちょっと、チョコちゃん。大丈夫?」
「……え?うん、大丈夫」
「本当に?今日もバイトなんでしょ」
「そうだけど……」
「なに、昨日バイトで何かあったの?」
「え!?いやいや、ないないない!」
「怪しいなあ。大失敗でもした?」
「へ?失礼な!仕事はバッチリだった」
「仕事は?他になんかあったってこと?」
 仁がそう聞くと、凪は目をキョロキョロさせる。これは確実に何かあったな。幼馴染の目は誤魔化せないのだ。隠し事をするなんて百年早いよという気持ちを込めてグッと顔を近づけると、凪は何故だか両目をギュッと瞑って両手で耳を塞いだ。
「ちょっと、何してんのさ」
 幼馴染の奇行に少し笑ってしまう。耳はまだしも、目を瞑るのはなぜだろう。笑いながら、耳を抑える両手に触れようとした。ところが、それは叶わなかったのだ。仁の手を、大きな手が遮ったからだ。不思議に思って手の主を見上げると、そこにいたのはダンス部員であり、同じクラスの碧だった。彼は珍しく険しい顔をしていて、まるで仁を睨みつけるかのように見下ろしている。こんな碧は初めて見る。碧とは、お互い気が向けば話す程度の仲だ。まるで俳優のような外見と多くを語らない性格が同級生の中でも異質で、仁は彼のことが嫌いではなかった。
「どうかした?」
 仁がそう聞くと、碧は大きなため息をついた。それから大きな体で仁と凪の間に割って入ってくる。
「うわっ、ちょっと。なんだよ」
 仁が抗議するのと同時に、異変に気がついた凪が目を開けた。ところが碧を見た瞬間にすぐに再びギュッと目を瞑り直す。そしてわかりやすく、明後日の方向へ顔を逸らした。
「俺さ、昨日から凪先輩と一緒にアルバイトしてる」
 凪の様子に気を取られていたら、突然碧から声がかかった。その内容は初めて聞くもので、だからなんだと思った。
「なんでだと思う?」
「碧もチョコレートが好きなの?」
「違うよ。俺が好きなのは凪先輩」
 まあ、そうだろうなとは思った。入部してすぐの頃から、碧はきっと凪のことが先輩の中で一番好きなように見えた。気がつくといつも凪のそばにいるし、凪の言葉に笑っている。朗らかな凪は後輩からは特に好かれていたけれど、その中でも碧は愛の強い後輩だとは思っていた。
「俺と凪ちゃんは幼馴染だし、一緒に働きたかったから羨ましいよ」
 試しにそう言ってみたら、碧は険しい顔をして小さく舌打ちした。
 そうこうしているうちに、凪が耳を塞いだままゆっくりと立ち上がった。どうやらまだ目も瞑っているらしいのに、一人で歩こうとしている。そろそろアルバイトに行きたいのだろう。でも、その状態で歩くのは無謀ではないだろうか。仁が立ち上がって教えてやろうとしたら、一瞬早く碧が立ち上がって、凪の肩をポンポンと叩いた。凪はゆっくりと目を開けて、碧を視界に入れると「ヒイッ!」と悲鳴をあげた。
「凪先輩、今日からは一緒にいきましょう!」
 碧が耳を塞いだ凪に聞こえるように大きな声でそう言った。
「俺は一人でいけますので、お先にどうぞ!」
 凪も大きな声でそう返す。凪が年上以外に敬語を使う時は、隠し事をしていたり、気まずい時だったり、自分を見失っている時だったりする。二人の間に一体何があったのだろう。興味本位というよりは凪のことが心配で声をかけようと思った、次の瞬間のことだった。
「凪先輩、今日も大好きです!」
「ヒッ!軽率だって!」
「チョコレートは俺の恋敵です!」
「だから、本当にそうなのかよく考えろ!」
 二人の様子を部員たちが目を丸くしてみている。そんな複数の視線に気が付かずに耳を塞ぎ続ける凪のことも気になるけれど、問題はその会話だ。碧が凪のことを好きだということはわかっていた。でも、その好きというのは、もしかしたら仁が思っていたものとは異なるのかもしれない。何故だか胸がチクリとする感覚と、大勢の前で告白同然の言葉を言ってみせた碧に対するモヤモヤが一気に押し寄せた。
「一緒に行くって言わないと、みんなの前で告白しますよ!」
「えぇ!」
「一緒に行きますか!」
「……わかったって!一緒に行くよ!」
 耳を塞いだまま、珍しくぷんぷん怒りながら部室の入り口まで歩いて行く凪を見送る。思わず部員たちを見回すと、その中のほとんどと目が合った。今のは何だと言われているようだ。でも、そんなの幼馴染の仁にだってわからない。もうとっくに公衆の面前で立派な告白をされているようにみえたのに、凪の中では何も起こっていないということになるのだろうか。初めてのシチュエーションだから何もかもわからなくて、改めて小さくなった凪の背中に視線を向ける。凪の後をついて歩く碧の大きな背中は、見るからに上機嫌に見えた。
 大事な幼馴染には、確か恋人はいたことがなかったはずだ。ただ、これまで凪のことを好きだという女の子は実は少なくなかったのだ。仁は凪の幼馴染として女の子から相談を受けることも多かったけれど、彼はそういうことに興味がないと思っていたから、積極的に凪の色恋沙汰に関わってこなかった。でも、たった今、その認識はずれていることに気がついた。全ては、凪のためじゃなくて、仁のためだったのかもしれない。女の子たちに相談されるたびに、なんとなく嫌だったのだ。大事な幼馴染が誰かのものになってしまうのではないかという危機感があったように思う。それに、仁に相談して凪との仲を取り持ってもらおうとする魂胆が許せなくもあった。だって、大事な幼馴染を簡単に売り渡すわけないじゃないか。
 でも今回の相手はまるで違うのだ。きっと碧は仁と凪の仲に嫉妬もしているし、仁にどうこうしてもらうつもりは毛頭なさそうだ。それどころか、先ほどの一連の出来事は碧の牽制なのかもしれない。そう考えたら確かにモヤモヤはするけれど、やっと根性のあるやつが現れたなという謎の気持ちになった。これは幼馴染離れする良い機会なのだろうか。二人の姿がすっかり見えなくなってからも、仁はしばらくの間、部室の入り口を見つめ続けていたのだった。


 部室での攻防の後、不本意ながらも凪は碧と一緒にアルバイト先へと向かっていた。一人でずんずん歩いていたつもりなのに、校門から出たところで碧は突然耳をおさえていた凪の右腕を引いた。何事かと思ったら、さりげなく凪を車道から遠ざけて、庇うように碧がガードレールの真横を歩き始める。凪は左手も耳から外しながら、いつも仁がこうしてくれていたことを思い出した。仁にされた時には感謝すら感じていたけれど、二人に同じ様にされるだなんて、まるで凪が危なっかしいみたいじゃないか。凪の方が年上なのに、守られるなんて少し癪だ。碧の顔をチラリと見上げると、「今日もたくさんチョコレート売りましょうね」とニコニコしている。チョコレートをたくさん売る気持ちがあるのは、非常にいいことだ。釈然としなかった気持ちが一気に落ち着いた気がした。
 ただ、昨日碧はチョコレートのことが好きではないと言っていたのだ。でも、この凪のことは好きだという。それって、本気でどうかしていると思わずにはいられない。
「つかぬことをお伺いしますが」
 凪が思い切って尋ねると、碧は弾むように「なんですか?」と聞いてきた。
「チョコレートのこと、本当に好きじゃないの?」
 つい今まで楽しそうにしていたのに、碧は一転して残念そうな顔をした。
「なんだ。チョコレートの話ですか?チョコレートが好きじゃないというより、凪先輩のことが大好きなんです」
「そういうことは軽々しく言わないんだよ」
「何でですか?言わないと伝わらないじゃないですか」
「それは、確かにそうだな」
 うん、確かにそうだ。今まで碧に嫌われてはいないと思っていたけれど、大好きだなんて言ってもらえるくらいに好かれているとは思っていなかった。これは碧が正しいかもしれない。
「俺のことがそんなに好きなの?」
 言っておきながら、顔から火が出そうになった。これではまるで自意識過剰野郎だ。それでも碧が嬉しそうに頷いてくれたから、凪の心は少し救われた。
「どれくらい、好きなの?」
「俺は凪先輩の恋人になりたいです」
「こ、恋人!?え、なんで?」
 突然のことに驚いて、思わず碧の顔を凝視する。さすがに揶揄われているとしか思えない。碧のことを見つめながら、必死で碧の本心を探ろうとする自分自身が悲しい。でも、碧のように綺麗な男の子が凪のことを恋人にしたがる意味がわからないのだ。凪といえば、チョコレートが人並み以上に大好きなだけの平凡な男だ。長所としては、周りの同級生たちよりちょっとひょうきん者な自信があるだけ。例えば、仁のようにバレンタインを完全制覇するような男ではないし、そんな仁にチョコレートを送る女の子たちの様な可愛らしさもない。凪が真剣にそう考えていたら、碧はとても悲しそうな顔をしてみせた。
「凪先輩は、優しいし、可愛いし、面白いし、可愛いし、いつも一生懸命で、すごく可愛いじゃないですか」
「やめろやめろ、照れちゃうだろ」
「凪先輩、いつ恋人になってくれますか」
「碧にはもっと綺麗で、優しい子がお似合いだよ」
「それって凪先輩のことです」
「少なくとも俺は綺麗って感じじゃない」
「綺麗ですよ。内面の美しさが見た目にも出ています」
「なんか占い師みたいだな」
「もっと真剣に聞いてください」
 碧は眉尻を下げて呆れ顔を見せた後、少し楽しそうに笑った。
 アルバイト先であるチョコレート専門店へ辿り着くと、更衣室で一緒にチョコレート色の制服に着替えた。ほぼ同時に着替え終わって、挨拶をするためにもオーナーのいる厨房へ向かう。その寸前で、前を歩く碧が唐突に振り返った。また何か予想外のことを言うのではないかと、思わず身構える。
「なんだよ」
「ちょっと待ってくださいね」
 そう言いながら碧は凪の帽子を触って、帽子の向きを正してくれたようだった。目の前に綺麗な顔があるというのは、なぜだか少しだけドキドキする。
「この制服姿の凪先輩、可愛すぎます」
 そう言って目を合わせながら微笑まれると余計に心臓がおかしくなる。でも、それは少しありえないと思う冷静な自分が確かにいるのだ。ただ、もし本気で可愛く見えるのだとしたら、凪がチョコレート色の制服を着て、チョコレートになりきっていることが伝わってしまっているのだろうか。
「気分はチョコレートだからな」
 そう言ってから「帽子直してくれてありがとう」と伝えると、碧は「チョコレートよりずっと可愛いのにな」と言ってきた。
 十七時になって業務が始まると、昨日の比ではないくらい怒涛だった。きっと碧が働いていると口コミで広がっているのだろう。碧が担当するレジには幅広い年齢層の女性たちの大行列ができて、商品が飛ぶように売れていく。凪としては、先ほど同じ年くらいの女の子たちに商品説明をして以降は品出しに必死になっていた。
「チョコちゃん、お店の外のボードに今日は残りわずかって書いてきてくれる?」
 お店で働いているオーナーの奥さんから声がかかった。
「もうですか?」
 奥さんが持っているチョークを受け取りながら尋ねると、奥さんは嬉しそうに頷いた。
「チョコちゃんと碧くんのおかげであっという間に売れちゃったの」
「碧は確かに人気者だけど、このお店のチョコレートは最高ですからね」
「チョコちゃんだって人気者よ」
 奥さんのお世辞を笑い飛ばして、「じゃあ書いてきます」と言いながら外に出る。今日のおすすめなどが書かれた黒板の前にしゃがみ込むと、言われた通りの言葉を白のチョークで書き込んだ。文字が少し曲がったけれど、これも味だろう。よし、と立ち上がろうとしたその時だった。
「チョコレート、あと少しなんですか」
 慌てて立ち上がりながら振り返ると、隣町の高校の制服を着た男の子が眉を下げながら立っている。心細そうな出立ちに、凪は慌てて答えた。
「今日はです!明日以降はまたいっぱい作りますから」
「そうなんですか。でもな、男が買うのってちょっと変かなって思うと、入りづらくて」
 そんなの気にするなと言いたいところだけれど、窓越しに店内を伺えば当然女性だらけだ。凪みたいに慣れていなければ、きっと非常に入店しづらいだろう。少し考えて、凪は閃いた。
「じゃあ、一緒に行きますか?」
「え?」
「俺と一緒にいたら、大丈夫じゃない?」
「いやいや、仕事中なのに、そんなの悪いです」
「でも、このお店のチョコレート食べて欲しいんですよ。全部力作だから」
「君が作ってるの?」
「全く作ってないです」
 こんな素晴らしいチョコレートを作れる訳ないだろうという顔でそう答えたら、彼は笑いながら「すごい熱意ですね」と言ってきた。
 しばらく彼と話をして、彼のことを色々と知った。彼の名前は光というらしい。ここから比較的近い隣町の高校に通うニ年生で、凪と同じくチョコレートが大好きなのだとか。それなら尚更力になってあげたいと、凪は張り切って彼を店内へ招き入れた。
「どんなチョコレートが好き?」
「ミルク系が好きで、でも苺とか、ピスタチオとかも好き」
「じゃあ、色々入ってるやつがいいかな」
 おすすめ以外にも商品を一つずつ説明していく。光の目はずっとキラキラしていて、本当にチョコレートが好きなんだとわかった。彼はゆっくり悩んだ結果、期間限定で一番人気のアソート商品を選んだ。碧のレジは相変わらず混んでいるから、隣のレジで会計まで付き添ってやって、出口まで見送る。
「凪くん、本当にありがとう。食べるのが楽しみ」
「今度は早い時間においで。いつもはもっとたくさん種類があるから」
「凪くんはいつもいる?」
「俺はバレンタイン限定のアルバイトなんだ。でもいつもはもっと落ち着いた雰囲気の店だから、入りやすいと思うよ」
「そうか。じゃあ、バレンタインが終わる前に、また来てみようかな」
「本当?バレンタインまではずっといるから、もしよければ今日みたいに案内するよ」
 最後は手を振って見送ると、凪はルンルンで店へ戻った。なんだか今までで一番自分の手で売った感じがする。もちろん、この店のチョコレートが美味しくて自信を持っておすすめできるからだけど、正直碧ほど貢献できている気がしていなかったから非常に嬉しく思った。
 それからきっちり二十時まで働いて、従業員たちに挨拶をして更衣室に行く。さすがに二日連続のアルバイトは疲れるなと思っていたら、遅れて更衣室に入ってきた碧が深刻そうな顔をして迫ってきた。
「おう、碧。どうした」
「なんですか、あれ。あの男だけVIP待遇ですか」
「なんのこと?」
「俺が一生懸命先輩のために恋敵を売り捌いている時に、男と話してましたね」
「ああ、光くんのこと」
「知り合いだったんですか?」
「いや、さっき友達になった」
 眉を寄せて険しい顔をする碧に事情を話すと、「それならちょっとくらいは仕方がないですね、ちょっとですよ」と言ってきた。
「また来るかもしれないから、手が空いてたら対応してあげて」
「絶対嫌です」
「でも、性別は関係ないか。他にも入りづらそうな人がいたら、今日みたいに手伝ってあげないとな」
「凪先輩がやるくらいなら俺がやります」
「さっきと言ってること違うじゃん」
「まったく、チョコちゃんは心配ばかりかけて」
「おい、碧までその呼び方はおかしいって」
 軽口を叩きながら制服に着替えて、今日は家から持ってきた紺色のマフラーを首に巻く。昨日みたいに碧から借りるのは悪いし、胸の奥がむずむずするのは勘弁なのだ。
 碧と一緒に裏口から出ると、昨日と同様、外は完全に冷え切っていた。今日は星も見えないなと視線を巡らせていたら、離れたところにある街灯の下に人影が見えた。こんな寒くて暗い道で、一体何をやっているのだろう。一瞬不思議に思ったけれど、隣を歩く碧との会話に気を取られてすぐにどうでも良くなった。
「チョコちゃんって、ずっとそんな感じなんですか?」
「そんな感じって?」
「こんなに可愛いのに、自分では気付いてない感じありますよね」
「碧はたくさん褒めてくれるな」
「褒めてないですよ。自分のことに無関心で、鈍感で、おとぼけちゃんだって言いたいんです」 
 なんだか酷いことを言われたようだけれど、「おとぼけちゃんって言い方可愛いな」と答えたら、「そこじゃないです」と怒られた。「まあ、まあ」と言いながら白い息を吐き出す。「ほら。白い息、すごいね」とか言い合っていたら、街灯の下の人影が凪と碧の方を見ていることに気がついた。もしかしてとピンとくる。あれは碧のファンかもしれない。碧には校内外に大勢のファンがいるらしいとは聞いたことがあった。でももしそうなら、こんな時間にあんなところで待っているだなんて、きっと普通じゃない。急に緊張してきて、凪は碧を庇うように少し前を歩くことにした。
「凪先輩?」
「碧、危ないなと思ったら走って逃げな」
「え?」
「そこにいる人、碧のファンじゃないかな」
「いや、あれは」
 碧が何か言いかけた時、凪には人影の正体がわかった。なんだ、と少しだけ安心する。
「光くん」
 凪が声をかけると同時に、彼が嬉しそうに駆け寄ってくる。凪も駆け寄ろうとすると、碧が凪の左手をしっかり握った。
「碧?」
「凪先輩には俺がいるんだからね」
 言われたことの意味がわからないまま手が離された。不思議に思いながらも改めて光に近づくと、彼は少し訝しげな表情を浮かべていた。
「光くん、こんなところでどうかした?」
「あの子は凪くんの友達?」
 光の視線を追うように振り向くと、少し離れたところで碧がこちらを見守っている。
「友達というか、部活の後輩」
「ああ、店のレジでずっとこっち見てた人か」
「そうだった?気が付かなかったけど、多分そう」
 凪と光のことを気にしていたみたいだから、多少見るくらいはしていたのだろう。肯定すると、光は突然凪のことをじっと見つめてきた。昼間とは目の奥の様子が異なる気がする。少し違和感を感じながら、凪は「どうかした?チョコレート、美味しかった?」と聞いてみた。
「まだ食べてないよ」
「じゃあ、早く帰って食べてよ。すっごく美味しいから」
 凪が真剣に言っているのに、光は少しの間沈黙して、こう言った。
「俺、昨日から凪くんのこと気になって仕方がないんだよね」
 全く成立していない会話に驚きつつも、凪は言われたことをなんとか咀嚼する。凪のことが気になるって、一体なんだろう。それに、凪が接客したのは今日だけのはずだ。そう考えて、「え、どうしてだろ?」と聞き返すと、彼はしばらく口をもごもごさせてからこう言った。
「昨日窓越しに働いてるところを見ていてね、多分、それから好きなんだと思う」
 碧とのことがあったから少し心臓が跳ねるけれど、流石に二日連続で告白などされるはずがない。だって碧から以上に、光からは好かれる理由がないのだ。でも、他意はない純粋な好意として受け止めるのが正しいのではないかと咄嗟に考えた。
「それは、なんというか、嬉しいな」
「本当?じゃあ、付き合ってくれる?」
「……えぇ!?」
「だめかな?」
「だめですね」
 突然真後ろから碧の声がして、凪は少し救われた気持ちになった。振り向くと至近距離に碧が立っていて、その顔はどうしてか怒っている様にも見える。碧は凪の肩をしっかり抱いて、光のことを見下ろした。
「凪先輩は、俺のことが好きなんです」
 凪と光の声が「え?」と重なる。思わず驚いた凪の姿に気がついたのか、光が「なんか凪くんも初耳っぽいですけど」と言った。それでも碧は構わずに続ける。
「俺も凪先輩のことが好きなので、両思いなんです」
「それ、本当に?」
「はい。でも凪先輩はこうやってすぐに男を落とすから、俺は気が気じゃなくて」
「そうなの?」
 いきなり光が凪に向かって聞いてくるから、これは本当に助けられているのだろうかと悩みながらも首を傾げる。
「……どうなんでしょうか」
「だって、こんなに可愛いでしょ。本当に、俺はいつも大変なんです」
 だから、と碧は続ける。
「凪先輩のことは俺に任せて、あなたは新しい恋を探した方がいいですよ」
 褒められているのか貶されているのか。凪にはわからないけれど、光は残念そうな顔をしながらも頷いた。その様子を見て、少しホッとする。「ほら、凪先輩は本当に世話が焼けますね」と言いながら勝手に手を繋がれて、戸惑っている間に「それじゃあ」と光に挨拶をして別れた。
 凪は光の様子が気になって、手を引かれながら振り返った。そして凪たちとは反対方向に立ち去ってく光の姿を見て、そこでやっと心底安心した。悪い子ではないだろうけれど、至近距離で対面してみたら突然告白されてちょっと怖かったのだ。お礼を言おうと隣の碧を見上げると、彼はまっすぐ前を見ながら険しい顔をしている。なんでこんな顔をしているのだろうか。今日はこんな顔を見てばかりな気がする。
「碧」
 凪が名前を呼ぶと、碧は多少表情を和らげて凪を見下ろしてきた。
「なんですか」
「いや、あの、さっきはありがとう。困ってたから助かった」
 凪の言葉に、碧はさらに表情をゆるめて優しく頷いた。繋がれた手をフラフラと揺らされる。
「俺はいつだって先輩を助けたいので、任せてください」
 真っ直ぐにこんなことを言われるなんて慣れていなくて、思わず照れてしまう。だから、自分でも可愛くないと思いながらも、先ほどこっそり引っかかったことを次の話題に選んだ。
「でもさ、誰が男を落としまくる困ったやつだって?」
「凪先輩でしょ。気付いてないだろうけど、俺はいつだってヒヤヒヤしてますよ」
「いや、せっかく嘘つくなら、女の子を落としまくるってことにしておいてくれない?」
「はあ!?モテたいんですか!?俺というものがありながら?」
「いや、そういうわけじゃなくて」
「信じられない。浮気者」
「だから、そういうわけじゃ」
「俺という者がありながら、おかしいですよ!」
「だから、違うよ」
 そう言いながら、あれ、と思った。なんだか碧のペースに巻き込まれて、まるで本当に凪と碧が両思いみたいになっていて、それどころか凪がすっかり浮気者だ。
「なんか今の感じ、俺が本当に浮気者みたいじゃなかった?」
 凪がそう聞くと、碧は「確かに」と言って笑った。やっと見ることができた笑顔に安心して、凪もえへへっと笑うと、碧は「先輩は笑顔が可愛い」と恥ずかしげもなく言ってきた。
「碧こそね、笑ってた方がいいよ。すごく綺麗で可愛いから」
 素直な気持ちを言葉に乗せると照れくさい。ところが、隣にもっと照れて顔を赤くした碧がいたから、可愛くて面白くて、思わず凪は笑ってしまった。


 スーパで小さなペットボトルのりんごジュースを2本買うと、仁は凪と碧がアルバイトをしているチョコレート専門店へ向かった。土曜日の今日こそはと、朝から意外と楽しみにしてきたのだ。凪が大好きなチョコレートも買ってやれるし、働いている姿を見て応援もできるだろう。そう思ったのに、近道になる店の裏の方の道を選んでやって来たのが間違いだった。時刻は十三時五十分。昼時を避けてきたつもりが、今が二人の休憩時間だったらしい。二人は自動販売機の前で、チョコレート色の制服を着たまま小競り合いをしている。
「本当、凪先輩って俺のこと全然分かってない」
「嘘。違った?ごめんね」
「やだ。許せない」
「困ったな。どうしたら許してくれる?」
「もちろん、俺と付き合う以外の選択肢はないね」
「えー、どうしようかな」
 これは、どう考えてもいちゃついているように見える。きっと碧はそのつもりで、凪は全くそのつもりではないのだろう。話の内容としては、碧の好きなドリンクを凪が当てられなかっただけのようだ。今度は碧が凪の好きなドリンクを当てる流れになりそうだったけれど、仁はタイミングを見計らって「お疲れ様」と声をかけた。
「仁!」
 凪がぴょこんと反応して、目を輝かせて駆け寄ってくる。まるで犬みたいで、年上なのに本当に可愛い幼馴染だ。
「ほら、凪ちゃんの好きなジュース」
「うわ、ありがとう」
「碧のもあるよ」
「……ありがとう」
 二人の時間を邪魔されたことが相当気に入らないのか、碧は不服そうにそう言った。
「なんか揉めてたね」
 凪にペットボトルの入った袋を渡しながら気を取り直してそう尋ねると、凪は眉をへにゃんとさせて頷いた。
「碧の好きな飲み物をね、りんごジュースって言ったら怒られた」
「怒ってないよ。でもさ、そんなに子どもっぽく見られたら悲しいってこと」
「でも俺はりんごジュースが一番好きなんだよ」
「何それ、超可愛いね。最高」
 会話の内容から、この数日間でかなり距離が縮まったらしいとわかる。ちょっと複雑だけれど、仲良くなるとこんな感じになるのか。特に普段大人しいはずの碧が色々と無自覚な凪にすっかり翻弄されていて、結構面白いかもしれない。そうやって二人の様子を観察していたら、店の裏口が開いて従業員と思われる女性が顔を出した。
「あ、チョコちゃんと碧くん、悪いんだけどもう戻れる?」
「いいですよ。ね、碧」
「はい」
「悪いね。その代わり今日は早く帰れるようにするからね」
 申し訳なさそうにそう言いながら店へ戻って行く彼女と目が合った。ニコリと笑いながら会釈をすると、彼女も会釈を返してくれる。彼女はもう一度扉を全開に開けてこう言った。
「チョコちゃん、彼も友達?」
「幼馴染です。ほら、小学生の頃、俺に付いてきてた仁ですよ」
 凪がそう答えると、彼女はなるほどと頷いて、「君、今時間ある?」と言ってきた。
「結構暇です」
「今日、レジ要員が少ないの。レジなら初めてでもなんとかなるから、入ってくれないかしら」
 仁が「いいですよ」と答えるか答えないかのうちに腕を引かれて、あっという間にオーナーに挨拶させられて、気がついたら凪と碧とお揃いの制服を着させられていた。レジの操作を教えてもらって、早速実践に入る。仁はアルバイトをしたことがないけれど、接客には結構自信があった。凪みたいに天性の愛され力はないものの、愛想だけはいいと自負しているから、序盤は笑顔だけで辿々しさを乗り切る。隣の碧も最近仁に向ける不機嫌な顔を隠して接客をしているようだ。少し暇ができた時に「接客、上手だね」と言ってみたら、「凪先輩のためだから」と言われた。
 凪はというと、恐らく従業員たちから信頼されていて、品出しや商品案内などの知識が必要な業務を任されているようだった。好きが仕事になると強いなと思うけれど、それだって努力があってこそだ。ふとした拍子に度々目が合うのは、多分彼なりに仁を心配してくれているからだと思われる。でも彼の仕草はご主人を探す犬のようにも見えて、仁は思わず何度か笑ってしまったのだった。
 夕方過ぎになるとレジの仕事は多少落ち着いてきた。ただ、仁はレジしかできないから持ち場を離れるわけにもいかない。店側にとっても余計なことはしないほうが良いだろうと思い、先ほどから身の回りの整理をする程度にとどめて大人しくしていた。しばらくそうして過ごしていたら、店の奥の方から凪が埋もれてしまうほどの大きな箱を二段重ねに持ってきた。フラフラしていて見るからに結末が怪しい。彼に勝算はあるのだろうか。流石に危なっかしくて助けようと思ったのとほぼ同時のことだった。店内掃除をしていた碧が凪の元へ駆けつけたのである。凪の持つ箱の一つを余裕そうに持って、どこに置きたいのか指示を仰いでいるようだ。
「碧、そこでいいよ。ありがとう」
「他に運ぶものありますか」
「あとは小さいものだから、大丈夫」
「本当?」
「うん。でもこれから冷凍倉庫に行ってくるから、戻らなかったら助けに来て」
「あそこ鍵壊れてるんでしたっけ。一緒に行きますよ」
 二人連れ立って倉庫に向かう後ろ姿は仲が良さそうで、絶対に言わないけれどちょっぴり羨ましい。仁がその姿を見送りながらレジの仕事もこなしていたら、オーナーの奥さんが近づいてきた。
「今日はありがとうね」
「いえ、暇してたので」
「疲れてない?」
「さっきまで忙しかったですけど、楽しいですね」
「それならよかった」
 他愛もない世間話をしていたら、彼女がそっと顔を近づけてきた。何事かと思って顔を傾けると、「こんなこと聞くのも悪いんだけど」と囁いてくる。
「なんですか」
 仁も同様に囁いて聞いてみると、彼女は戸惑いながらも口を開いた。
「碧くんって、チョコちゃんのこと、かなり好きみたいなの」
「ああ、そうかもしれないですね」
「でも、チョコちゃんたら全く気づいていないのか、知らないふりしてるのか。あの子ってよくわからないの」
「確かに、チョコちゃんは変な子ですから」
「私はチョコちゃんの叔母みたいな気持ちでいるけど、あれじゃあ碧くんが可哀想で」
「ええ」
「だから、仁くん。なんとかならなかしら」
 そんなこと言われても、非常に困る。でも、仁は今まで凪のことばかり考えていて、碧の気持ちまでは無頓着だったことに気がついた。今日店の裏で会った時からの時系列から考えると、碧は頻繁にアプローチしているのだろう。そして、凪は何を考えているのか、それを見事にスルーしているように見えた。正直仁は、二人が絶対に結ばれて欲しいとも、碧の恋が実らないで欲しいとも思っていない。だから、なんとかするにもなかなか難しいところだ。
「僕でなんとかなるかどうか」
「でも、チョコちゃんのことは仁くんが一番わかりそうだけど」
「それは自信あります」
「お節介だとはわかってるけど、どうにかなるといいわ」
 まるで「あとは任せた」という様に、奥さんは店の奥にある厨房の方へ行ってしまった。他人が口を出すほどに、碧の好意は溢れているのだろう。普通の人間だったら、あんなに綺麗で自分のことを想ってくれる碧にすぐに溺れそうなものだ。でも、凪は普通じゃないからなと、仁は人知れず小さなため息を漏らした。
 仕事と共に色々と考え事をしていたら、あっという間に終業時刻になった。凪によると、いつもより三十分早い終業らしい。慣れないことをしたからか、体はクタクタに疲れている。明日が日曜でよかったなと思いながら更衣室で着替えていると、隣にいた凪が下から顔を覗き込んできた。
「仁、大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。疲れたけど、結構面白かったから」
「そう?今日はゆっくり休むんだよ」
「はーい」
 珍しく年上のように気遣われたことを面白がりながらも素直に返事をすると、凪を挟んだ向こう側にいる碧が凪の腕をちょんちょんと突いた。
「先輩、俺にも言わないと」
「え?そうだな、碧もちゃんと寝な。俺たちは明日も頑張らないと」
「はーい」
「よしよし、二人とも良い返事だな」
 納得した様子の凪がおかしくて少し笑うと、向こう側にいる碧も楽しそうに笑っていた。
 着替え終わって三人一緒に外に出た。凍ってしまいそうなくらいの寒さは痛いほどだ。しばらく三人で他愛もない話をして、途中の分かれ道で碧と別れた。いつも碧は凪を家まで送ってくれていたようだけれど、今日は家が隣の仁がいるから大丈夫だと言って強引に別れたのだ。碧にとっては非常に納得のいかないお別れだっただろう。不貞腐れた顔にそれが表れていた。でも一方で凪は全く残念そうではなかった。仁としては碧が哀れなような、少し愉快なような、複雑な気持ちになる。
「碧と随分仲良くなったみたいだね」
 試しにそう聞いてみたら、凪は全く否定せずに頷いた。この前の部室での攻防を知っているから、意外な反応に少々驚いた。でも、やはり碧が頑張っているのだろうと納得する。正直、今日になるまで、そしてオーナーの奥さんに話しかけれらてからも、ずっと悩んでいたのだ。碧と凪についてではない。仁は、凪のことをどう思っていて、どうなりたいのかということだ。
「凪ちゃんは、碧と俺、どっちが好き?」
 仁が聞いてみると、凪は今日一番驚いた顔をして、「なんだよ急に」と言ってきた。
「前の凪ちゃんならすぐに俺を選んでくれただろうに」
「なんだよ。仁のことは幼馴染として好きだし、男としても好きだよ」
「え、なんかその言い方大丈夫?語弊ない?」
「本当に男として尊敬してるから。毎年チョコレートたくさん貰ってるし、仁はすごいよ」
 この幼馴染は、バレンタインに仁がチョコレートを貰うとすごく尊敬してくれる可愛いところがある。年々信頼が厚くなる気がするから、毎年女の子たちからのチョコレートを迂闊に断れないのだ。お返しも大変だし、痴情のもつれにも繋がりそうだからやめたいけれど、どうしてもやめられない。今の仁にとって、一番の悩みかもしれなかった。ただこれまでずっと、凪の中で男のトップは仁だったはずなのだ。それが、碧の登場によってどうなったのか、非常に興味がある。
「碧のことは?」
 口に出したら、少しドキドキする。仁自身が望んでいる答えは、一体なんだろうか。やはり凪の一位でいたいのかもしれないし、幼馴染にとって碧がいいやつなら、碧を応援したいのかもしれない。自分でもよくわからなくて、凪からの回答を待ちながら気が気じゃなかった。ところがそんな仁の気持ちに気が付かず、凪は呑気に星空を見ながら答えた。
「碧のこと?思ったよりもずっと優しくて、良い子で、可愛いとは思うよ」
「男としては、好きじゃないの?」
 仁が踏み込んで聞いてみると、凪は仁を見て、目を丸くしながら首を傾げた。
「それは、あんまり考えたことなかった。弟って感じ」
 弟か。それも、少し嫌かもしれない。だって、凪は仁の兄でもあったのだ。一つ年上で、頼りないけど頼りになる兄貴だった。特に小学校の登下校では、先導するようにいつでも少し前を歩いてくれたことを思い出す。仁は凪のことが好きだ。どう考えてもこんな鈍感で頓珍漢な恋人は勘弁だけど、凪に恋人ができたらすごく嫌だと思うほど好き。だからこそ、凪には幸せになって欲しいとも思う。そして、未来永劫、凪の唯一の存在になりたいとも思うのだ。仁は凪の反応を想像しながら、ゆっくりと次の言葉を考える。
「……碧がたくさんチョコレート貰ってたら、俺のことみたいに好きになるのかな?」
「そりゃあ……、あれ?」
 仁が思った通り、凪は困惑しながら首を傾げた。
「多分、碧は俺よりたくさんチョコレート貰ってると思うよ」
「仁より?」
「そうだよ」
 仁がそう答えると、凪は急に押し黙った。沈黙の中、二人の家までもう少しだ。家までに、仁はけりをつけなければならない。だから、凪にきちんと伝わるように、わかりやすい言葉を探すのだ。
「碧がチョコレート貰うの、ちょっと嫌だなって思ったでしょ」
 ストレートにそう言うと、凪は再び驚いたように目を丸くした。なんでわかったのかと訴えかけてくるその表情に、少し笑えてくる。そんなの、幼馴染なのだから当然だろう。
「碧のこと、もっとちゃんと考えてあげなよ」
 仁がそうトドメを刺すと、凪は迷子のような顔をしながらも、ゆっくりと頷いた。
「じゃあ、凪ちゃん。またね」
 凪の自宅前にたどり着いて仁がそう言っても、凪は仁の頭のあたりを見つめたまま動きを止めていた。絵に描いたような上の空だ。「凪ちゃん」ともう一度声をかけると、やっと動いて微かに頷く。仁の気持ちが凪に届いて欲しいと思ったけれど、想像以上に凪の心に複雑に響いてしまったようだ。
「考えてあげなって言ったけど、やっぱりほどほどでいいよ」
 心配になって色々と諦めてそう言うと、凪は少し安心した顔になって「仁はやっぱり良い子だな」と言った。
 それでもぼんやりしたまま玄関に入っていく凪を見送って、仁も隣接した自宅の玄関へ入る。靴を脱いで、自室のある二階にあがりながら考えた。仁は、決して良い子ではないと思う。だって、結局は凪の一番でいたいがためなのだ。凪と仁の関係について考えて考えて、最終的に思ったのは、どんな関係であれど凪を一番よく知っている一番の理解者でいたいということだった。一番の理解者が恋人である必要はないだろう。大事な人への大事な気持ちに気づかせてくれた大切な男というのも、なかなか素晴らしい存在だろうと思うのだ。だから、仁はそういう形で凪の唯一になろうと、つい先ほど思い立ったのだった。
 階段をのぼりきって自室へ入り、やっとの思いで自慢の大きなクッションに沈み込んだ。仕事より、帰り道の方が余程疲れたかもしれない。二人は明日もアルバイトがあると言っていた。あの調子で、凪は大丈夫だろうか。仁のせいで仕事が手につかなかったら申し訳ないかもしれない。大きな失敗でもしたらどうしよう。しばらく色々な想像をしたところで、思考を巡らせても仕方がないと気がついた。ひとまず今日は早く夕飯を食べて風呂に入り、たっぷり寝よう。そう決意した。その決意に反してだんだんと下がっていく瞼に仁は気づかずに、結局凪のことを考えて夢にまで見てしまうのだった。


「チョコちゃん、どうかした?」
 今日何度目かのこの言葉。十一時からのアルバイトで従業員たちに何度言わせてしまっただろうか。その度に「どうもしてません。今日もチョコレートと一緒に働けて最高です」と答えて、「それなら良いけどね」だなんて言われていた。
 時刻は十三時になるところだ。店内は比較的落ち着いていて、今のうちにと凪はせっせと品出しをしていた。考えても考えても、わからない。むしろ今は考えるべきではないのに、どうしてか考えてしまう。議題は、最近頻繁に好意を伝えてくる碧と、凪自身についてだ。
「凪先輩」
 突然、碧に声をかけられた。その瞬間に、「わあ!」と飛び跳ねる。慌てて振り返ると、碧がきょとんとした顔で凪を眺めていた。
「なんか驚かせてすみません」
「いや、その。俺が勝手に驚いたんだよ」
「でも先輩、朝からおかしくないですか?」
「朝から?全然おかしくないよ」
 個人的には昨日の夜からおかしいと思っている。仁に碧のことをちゃんと考えろと言われてから、自分がどれだけ碧の気持ちに向き合ってこなかったのかと気付かされた。言い訳をするならば、凪の中では碧と恋仲になるだなんて夢のまた夢のような話で、きちんと考えるに及ばなかったのだ。綺麗でかっこいい碧と、取り立てて取り柄のない凪。どうして碧が凪に好意を伝えてくれるのか不思議でならない。だから、好きだという気持ちを特に受け止めることもできずに毎日を過ごしていた。でも、それはいくら言い訳をしたところで、結局不誠実でしかないだろう。ちゃんと受け止めて、そして早いうちに凪の正直な気持ちを伝えないといけない。目の前の碧を見上げると、眉間に皺を寄せて凪のことを見ている。そんな表情にも関わらず、相変わらず綺麗な彼の瞳を真面目に見つめ返した。そうしてまとまらない気持ちをどうやって言葉にしたら良いのか考えていたら、碧の大きな手がスッと伸びてきた。凪がキュッと身をすくめると、碧は眉尻を下げながらも凪の額に優しく触れる。
「熱でもありますかね」
 ああ、碧は心配してくれているのかとわかると、その優しさが素直に嬉しいなと思うのだ。この数日間、凪は碧の優しさにたくさん触れて来たように思う。その全てが凪にとって心地よくて、嬉しかったのは事実だった。だから、なんて言葉にして良いのかわからないけれど、それだけでも伝えたい。額にあてられた手を右手でゆっくりと掴むと、碧は不思議そうに首を傾げた。そんな姿が純粋で可愛いなとも、確かに思う。
「ねえ、碧」
「はい」
 そうだ、ちゃんと言おう。そう思った瞬間、比較的静かだった店内が賑やかになった。店の入り口から、女子高生と思われる集団が入店したことがわかる。「ほら。碧くんいるよ」「本当だ、話しかけていいかな」「連絡先聞いてみようよ」だなんて、楽しそうに話している声が聞こえてきた。
「凪先輩?」
 彼女たちに気がついていないのか碧が名前を呼んできたけれど、仕事中だと我に返って、「後でいいや」と答えた。
 納得していなさそうな碧を主な持ち場であるレジへと向かわせて、凪は品出しに戻る。仕事中は仕事に専念するべきだったなと反省していると、遠くで品出しをしていた従業員の一人が凪の元へやってきた。
「チョコちゃん、外の冷凍倉庫からあそこに置く在庫商品取って来てくれる?」
「はい、わかりました」
「あそこは鍵がおかしいから、扉が閉まらないように気をつけてね」
「はい」
 冷凍倉庫へは何度か商品を取りに行った事があるけれど、毎回扉を完全に開けたままにして急いで商品を取り出さなければならない。そうしないと扉が閉まったら最後、中からノブを捻っても開かないのだ。考えるだけで恐ろしい。でも、未だに閉じ込められた人はいなさそうだから大丈夫だろう。
 凪はバックヤードを通って裏口まで向かい、そのまま店の裏手にある冷凍倉庫へ向かった。上着を着てこなかったけれど、一瞬なら耐えられるはずだ。重い扉を完全に開けきってなんとか固定する。閉まらないことをしっかり確認してから電気をつけて、庫内へと入り込んだ。中は外気よりずっと冷えきっていて、商品はカチコチに凍っている。とりあえず両手で抱え切れるだけ商品を重ねていたその時だった。大きな風の音と、ひどく嫌な予感。慌てて振り返ると、扉が風に煽られて徐々に閉まっていくところだった。
「嘘だろ!待って待って待って!」
 商品を落とさないように気にしてしまったのがいけなかったのだろうか。必死で走り寄っても間に合わず、凪の目の前で完全に扉が閉じてしまった。庫内をかろうじて照らす薄暗い電気がチカチカして、キンと静かになった。
「うわあ、パニックですけど!」
 パニックにならないように口に出して言ってみたら、信じられない量の白い息が口から漏れた。冷静になるように自分に言い聞かせて、一旦商品を所定の位置に戻す。それから改めて扉まで近づき、冷たいドアノブを思い切りひねった。
「びくともしませんけど!」
 ああ、どうしようと必死で考える。寒さで体が自由に動かず、ガタガタと震えが止まらない。扉をバンバンと叩いてみたけれど、店舗の離れにあるこの冷凍倉庫は用がないと誰も来ないのだ。しばらくの間扉をたたき続けていたら、かじかんだ手がひどく痛んだ。辛いほど寒くて、思わず体を抱えるように蹲る。もしかして、これが凪の最期なのだろうか。一生懸命に体を摩るけれど、全く温まらない。
 もしこれが本当に凪の終わりなのだとしたら、家族はもちろん、仁にも会いたい。それから碧にも、きちんと言葉で伝えたいことがあったのだ。碧は優しくて可愛いところがあるねって。あとは、そうだ。碧が誰かからチョコレートを貰っていたら、ちょっと嫌なんだって。チョコレートをもらえる男はかっこいいけど、無闇に貰わないでほしいんだって。つまりは、嫉妬するくらいには碧のことが好きなんだって、ちゃんと言いたかった。
 ズボンのポケットから、ボールペンとメモ帳を取り出す。終わりだなんて信じたくないけど、もしこの気持ちを残さなかったら後悔が残るだろうと思ったのだ。凪なりの感謝と心からの気持ちを綴るには小さな紙だ。でも、堪えきれない寒さの中では、この目の前の紙を埋めるだけで凪は精一杯だった。


 碧が如月凪という先輩のことを好きになったのは、ダンス部に入部してからすぐのことだった。クリクリとした目が印象的な可愛らしい見た目。その割にさっぱりとした性格を最初から好ましく思っていたけれど、これほどまでに好きになってしまったのはいつからだろうか。気がついたら大好きになっていたから、考えてもよくわからない。ただ、確かに言えるのは、彼が碧の外見以外もきちんと見てくれる人だということだ。
「碧は見栄えがいいからダンスが映えるな」
 ある時、三年の先輩部員が碧が体を動かしているところを見てそう言った。褒めてくれているのだとわかったものの、碧としてはどこか納得がいかなかった。結局みんな、碧の見た目ばかりを褒めるのだ。何をしたって、最後は見た目のおかげ。碧の努力によって磨かれたものでもない外見を褒められたところで、心は少しも動かなかった。しかしそんな中で、凪だけは先輩部員に対してこう言ったのだ。
「たくさん努力もしてるんでしょうね。俺も頑張らないと」
 きっと凪のことだから下心など一切なく、本心からそう言ってくれているのだとわかった。嬉しくてたまらなくて、彼のことがさらに好きだと思ったのだ。もしかして、碧が恋に落ちたのはあの瞬間だったのだろうか。
「お前は頑張っても、あんな風にはならなそうだけど」
 先輩部員が軽々しく口にした冗談に激怒するくらいには凪のことが大好きで、「見ててくださいね。俺すごく頑張りますから」と答えた姿には惚れ惚れしてしまったのだ。
 そんな凪が高校近くのチョコレート専門店でアルバイトをするらしいと聞いたのは、二月に入る少し前のことだった。碧はアルバイトの募集を何度も検索しては、悩みに悩んだ。だってチョコレートは碧の恋敵だったからだ。チョコレートを好きだと公言する凪を見て、何度嫉妬したかわからない。チョコレートに恋する凪がチョコレートに囲まれている姿を間近でみたら、碧はショックで失神してしまうかもしれない。でも、結局は凪に近づきたい気持ちが圧倒的に勝利して、張り切って働くことになったのだった。
 チョコレート色の制服を着た凪はそれはそれは可愛くて、碧は心配でならなかった。一生懸命働く姿は健気で、女性客からは当然大人気だった上に、凪に恋する男まで現れた。特に意外ではなかったけれど、そういった輩を牽制するためにも一緒に働くことにしてよかったと心底思ったものだ。
 バレンタインまであと五日ほど。二月が始まってからほぼ毎日のように一緒に働くことができて、最高に幸せな毎日だ。ふわふわと幸せに浸っていたら、目の前をひらひらと何かがチラついた。
「碧くん、聞いてる?」
 ハッと我に返ると、先ほど会計を済ませたはずの女子高生の集団が一同に碧を見上げていた。
「すみません、なんですか?」
「だから、連絡先教えてって言ったんだけどな」
 中央にいる女の子がスマートフォンを見せながら上目遣いにそう言ってきた。きっと、世間一般の目で見たら可愛い女の子なのだろう。でも、碧は少しもときめかなかった。仕事中に連絡先を聞いてくる姿勢もあまり好ましくないし、自らを可愛いと自覚しているところが想い人と異なる点だなと冷静に判断する。そういえば、先ほど別れたきり、彼の姿が見えない。何か言いたそうで、そんな姿も可愛かったなと思い出した。
「ちょっと、碧くんってば」
「はい」
「今スマホ持ってる?」
「仕事中ですので」
「何時に終わるのかな?外で待ってようかな」
 流石にしつこいなと思いながら、凪にとっては碧も同じようなものかもしれないなと思った。毎日のように好きだと伝えては、結局あしらわれている。受け入れてもらえなくても、無碍にされているようには思わせないのが彼のすごいところだ。いつまでこのままなのだろうかと、途方もない気持ちになることは確かにある。でも、好きでいることは絶対にやめられないから、どうせこの先もずっと勝手に好きでいるのだろう。
「俺、実はずっと好きな人がいるんですよ」
 碧が不意に口に出すと、彼女たちは顔を見合わせた。それからヒソヒソとなにやら話し始める。でも、中心にいる女の子は引き下がるつもりはないようで、レジに向かって身を乗り出してきた。
「せっかくだから連絡先くらいは教えてほしいな」
 今まではこういう告白まがいのことはほぼ無視してきた。でも、仕事中だから、碧の態度は店の評価になってしまうだろう。それに、好きな人がいるだなんてことまで言ってしまったのだから、あとはどうにでもなれとヤケになる。
「君もみんなもとっても素敵だから、俺に時間を割くのはもったいないよ」
 柄にもないことを言ってみたら、信じられないほど鳥肌がたった。ああ、言うんじゃなかったなと思ったけれど、彼女たちはヒソヒソと話してから納得したらしい。気を悪くはしなかったようで、最終的には大人しく頷いてくれた。
 彼女たちを見送ってから、店内を見渡す。もちろん、凪を探しているのだ。そういえば、凪は冷凍倉庫へ商品を取りに行くように言われていなかっただろうか。そう思い出した瞬間、嫌な予感が頭をよぎった。そうだ、凪を最後に見たのは、冷凍倉庫に行く姿だ。もしかして、凪が見当たらないのは冷凍倉庫と関係があるだろうか。さすがにここまで姿が見えないのはおかしい。もし思い過ごしならそれで良いじゃないか。急にバクバクと鳴り始めた心臓を無視して、碧は外の冷凍倉庫へと走った。


 遺書の一つでも書こうとしたのに、手はガタガタと震えて、ペンのインクも上手く出てくれなかった。遺書というよりダイイングメッセージだなと思ったら、絶望的なのに少し笑えてくる。それから、無性に泣きたくなった。色んな人に迷惑をかけて、結局ここで終わるのかと思ったら情けない。
 寒いと眠くなると聞いたことがあったけれど、それはどうやら本当らしい。この発見を仁に話したら、馬鹿だなって笑ってくれるだろうか。碧に話したらどうなるだろう。彼については未知数だけれど、笑顔が綺麗で可愛いから、やっぱり笑ってくれると良いなと思った。眠くて眠くて、瞼がどんどん閉じていく。次に目を開けるときは、天国だろうか。天国にはチョコレートがあるだろうか。
 だんだんと気持ちよくなったところで、突然に体がガクガクとゆさぶられる感覚。せっかく眠いのになんだろうと瞼をこじ開けると、光の中で誰かが凪を抱き起こしてくれていることがわかった。温かくて思わずすり寄ると、ぎゅっと抱きしめられる。天使は思ったよりもずっと大きくて、天国は随分と温かいんだなと思ったのだった。


「先輩!凪先輩!?」
 凪を最初に見つけたのは碧だった。凪は冷凍倉庫内の入ってすぐのところで、ペンとメモ帳を胸の辺りで握りしめながらうずくまるように倒れていたのだ。一瞬頭が真っ白になって、気づいた時には彼の名前を叫んでいた。彼を抱き起こそうとしたところで、どんどん閉まっていく扉に気づき、なんとか手で押し止める。それから倉庫内の商品がたくさん詰まったコンテナで扉を固定した。改めて凪の元まで駆け寄ってその体を抱え上げると、彼は氷よりも冷たく凍ってしまったようだった。必死で揺さぶると、閉じ切っていた瞼がゆっくりと開く。熱を求めるようにすり寄ってきた彼を抱きしめて、そのまま立ち上がった。すぐに室内で温めてやらないといけないだろう。もしかしたら救急車を呼ぶ必要もあるかもしれない。冷凍倉庫の扉を閉めることも忘れて、碧は店内の暖かな休憩室へ凪を運び込んだ。
 碧が相当騒々しかったのか、凪を運んでいる最中に店舗の方から従業員たちが次々にやって来た。でもそんなことに構っていられるほど、碧には余裕がなかった。凪を休憩室のソファに寝かせると、凪はうっすらと目を開けていて、少なくとも意識はあることがわかる。
「凪先輩、俺のことわかりますか」
 碧が必死で呼びかけると、凪はこくりと頷いて、「天国って、チョコレート屋の休憩室に似てるんだな」と呟いた。彼は本気なのだろうけれど、言っていることのおとぼけ具合に少し安心する。
「ここは天国じゃないですよ」
「……え?」
 碧はまだ冷たい凪の頬を温めるように両手で包んだ。
「勝手に遠くに行くなんて、俺が許すわけないでしょ」
 碧が真剣にそう伝えると、凪はみるみるうちに目を丸くした。それから大事に抱えてたペンとメモ帳を少し持ち上げて視界に入れると、「生きてるのか。びっくり」と言った。
「びっくりしたのはこっちですよ。倉庫に行ったら倒れてるんだから」
 碧と凪の会話が聞こえたのか、オーナーの奥さんが部屋の入り口に押し寄せている従業員たちをかき分けて室内に入ってきた。
「一応、救急車呼ぼうか」
 奥さんの言葉に、凪は慌てたように首を振って起き上がろうとする。碧がその体を支えると、徐々に凪の体温が戻ってきていることがわかった。
「大丈夫です。寒くて眠かっただけなんで」
「でも、それもすごく心配だから」
「じゃあ、自分で病院に行きます」
 自分で歩いて病院に行くと聞かない凪に周りは心配するばかりだったけれど、碧が付き添いを申し出たら渋々納得して、今日は二人ともバイトを上がることになった。
 更衣室で私服に着替えて、奥さんが連絡を入れてくれた近くの当番病院へ向けて一緒に歩く。凪の調子はすっかり戻ったようにもみえる。それでも碧はたまらなく心配で、頼まれてもいないのに肩を抱いて支えながら歩いた。
「もう大丈夫だって」
「ダメだよ。凪先輩って無理しそうだから」
 きっと、そういう人だと思うのだ。この短期間のアルバイト中も、碧が不安になるほど一生懸命に働いていた。いつも元気で、その元気が心配になる人。そんな人を碧は初めて見た。
「俺は勝手に冷凍倉庫に閉じ込められた間抜けだから、多少のことは自業自得だよ」
 凪が小さな声でそう言った。きっと、本気でそう思っているのだろう。でも、そんな風に凪自身を卑下するだなんて碧が許したくなかった。
「先輩は頑張って仕事してただけでしょ。何も悪くない」
「でも、碧には心配かけてさ。店の人たちも迷惑だろうし、俺って最悪」
 俯きながらそう言った凪に、なんて声をかけようかと悩む。病院までの辺鄙な道をゆっくり歩きながら、碧はどうしたら凪の心を救えるのだろうかと考えた。考えて考えて、結局わからなくて、だから素直な気持ちを言葉にしようと心に決めた。
「俺には心配かけていいんだよ。むしろ凪先輩のことをずっと考えていたいんだから」
「なんだよそれ」
「困ったときはいつでも俺を頼ってほしいよ。今日みたいに助けに行く」
「碧って、不思議なやつだな」
「全然不思議なんかじゃないよ。俺は、凪先輩のことが大好きなだけ」
 碧がそう言うと、凪がゆっくり足を止めて、ふわりと碧を振り返った。碧も自然に足を止める。見上げてくるその視線がどうしてか碧の気持ちを探っているように思えて、碧はその瞳をしっかりと見つめ返した。碧にとっては、もう随分と前から彼が一番なのだ。一番好きで、碧の人生を彩ってくれる大切な人だ。碧にとっては凪という存在が、チョコレートみたいに甘くて、可愛くて、少し苦い。
「俺、閉じ込められてる時、考えたんだ」
 凪がゆっくりと言葉を紡ぐ。
「うん」
 短い返事だけにしたのは、余計なことを考えたくなかったからだ。凪の言葉にだけ集中していたい。
「終わるんだと思ったら、家族と、仁に会いたいなって」
「うん」
「それから、碧にも会いたかった」
 この世から、凪の言葉以外の音が消えた気がした。それほどまでに、凪の言葉に、細かな仕草に、思考を奪われる。凪が厚手の上着の右ポケットに手を突っ込んで、そこから折り畳まれた小さな紙を取り出した。しわしわになった紙には、何が書いてあるのだろうか。
「これ」
「なに?」
 紙を受け取って丁寧に広げる。そこにはボールペンで何やらミミズのような線が書いてあったけれど、碧には文字なのか絵なのかさえもよくわからなかった。
「これね、俺のダイイングメッセージ」
 少しおどけた様子の凪はそう言うと、碧の手元を一緒に覗き込んできた。
「ダイイングメッセージ?」
「そう。なんて書いてあるかというとね」
「うん」
「碧へ。チョコレートをもらわないでくださいって」
 指が黒い線を辿っていくと、確かにそう書いてあるような気がする。
「俺がチョコレート貰ったら嫌なんだ」
 凪は無類のチョコレート好きだから、チョコレートが好きではない碧がバレンタインを謳歌することが許せないのかもしれない。実際、碧は自他ともに認めるバレンタインを無双してきた男だった。一年に手足の指を足しても数え切れないほどのチョコレートをもらうことはザラで、でも誰かの思いが乗ったチョコレートは碧には重かった。恋敵であることが決定打ではあるけれど、そのことも碧のチョコレート嫌いに多少影響している気もする。
「いや、貰いたければ貰えばいいけどさ」
「うん」
「俺はね、少し嫌だ」
「うん」
「碧がバレンタインにチョコレートたくさん貰うと思ったら」
 そこで言葉を切って、凪はそっぽを向いた。
「嫉妬するくらいには碧のことが好き」
 頬を赤くしながら言われた言葉は、碧の都合の良い夢なのかもしれない。
「それ、本当?」
 馬鹿みたいに声が震えた。だって、ずっと一方通行だと思っていたのだ。でも、碧の問いかけにしっかり頷いた凪を見たら、やっと現実だと受け入れることができた。涙がぶわりと込み上げて、視界が滲んだ。話したら涙が溢れてしまいそうで黙っていたら、沈黙を不思議に思ったらしい凪がチラリと碧を見上げて、そしてわかりやすくギョッとした。
「泣いてんの!?」
 一旦首を横に振ってから、嘘はダサいかなと思って今度はコクコクと頷く。頷いた拍子にとうとう涙が溢れてしまった。凪は口と目をポカリと開けてその様子を眺めていたけれど、少ししたら自分の上着の袖口で碧の頬を拭ってくれた。
「このラブレター、俺にください」
「あはは!ラブレターじゃないけど、仕方がないからあげるよ」
「俺、先輩のこと大好き」
「あはは!」
「笑ってないで聞いてください。先輩のことが世界で一番好きです」
「あははは!」
「もう、先輩ってば!」
 碧が怒ると、凪は笑いながらこう言った。
「泣いた顔も可愛いな」
 そんなことを言われるだなんて驚いて、ちょっと悔しくて、でも大好きで。碧は凪の肩を引き寄せて、そのまま両腕でぎゅっと抱きしめてやったのだった。


 バレンタイン当日、凪はソワソワしていた。だって、もしかしたらチョコレートをもらえるかもしれないのだ。毎年微妙な結果に終わっているけれど、一応ソワソワする権利があると思っている。帰りのホームルームが終わってもソワソワは止まらない。日中に義理チョコを何個か貰えて多少は嬉しかったけれど、もしかしたら放課後になって本命チョコが舞い降りるかもしれないのだ。隣の席の女性生徒がくれた大きめの紙袋に義理チョコたちを入れて部室へ向かう。今日から放課後は部活に専念する毎日に戻るのだ。色々あったけれど楽しかったアルバイトは昨日で最終日だった。一生懸命に働いたからとオーナーがくれたチョコレートの詰め合わせは、今日から少しずつ味わって食べる予定だ。
 鼻歌を歌いながら部室へ向かっていると、その途中で仁に遭遇した。両手に提げられないほどの紙袋を持っていて、中身は全てチョコレートらしい。
「こんなに食べ切れないから、家まで食べにおいで」
 こっそり言われた内容は例年同様で、凪は感謝の気持ちを込めて仁を拝んでおいた。今年もさすがのバレンタイン完全制覇男だ。仁を誇らしく思いながら並んで歩いていたら、部室に入る直前に「凪ちゃん」と名前を呼ばれた。
「どうした?」
 凪が首を傾げると、仁は「悪いけど、俺は凪ちゃんから離れるつもりないからね」と言った。どう言う意味だろうかと首を傾げてから、「むしろ離れられちゃ困る」と凪は真面目に答えた。すると仁は少し嬉しそうにこう言った。
「まったく、凪ちゃんは俺がいないとダメなんだから」
 本当にそうだ。碧への気持ちも、仁がいなかったら気づかなかったかも知れない。さすが頼りになる幼馴染だなと思いながらヘラヘラ笑てっいたら、部室の奥の方から鋭い視線を感じた。背筋がゾワゾワしてそれとなく仁の後ろに隠れる。すると視線は余計に強くなった気がした。それからすぐにドシドシと足音が聞こえて、部室から碧が姿を現した。その顔は、どうしてか怒っているようにも見える。
「碧、お疲れ」
 一応なんでもないように声をかけると、碧は凪の手元の紙袋を見て眉を吊り上げた。
「それ、チョコレート?」
「うん。義理チョコ貰った」
 へへへと笑ってみせると、突然紙袋を取り上げられる。
「何するんだよ!」
「返してほしかったらこっちおいで!」
 碧は紙袋をふよふよと漂わせて、凪をおびき寄せようとしているようだ。それにまんまと引っかかっている凪を見て、「凪ちゃんたら」と仁が呟いたことには気が付かなかった。
 碧と大事な紙袋を追ってたどり着いたのは、第二理科準備室だった。不気味なホルマリン漬けがたくさん置いてあるこの空間は、学校から忘れ去られたように誰も訪れない場所でもある。碧は紙袋を勝手に開くと、中を覗き込んだ。
「何個かお手紙ついてるけど、本当に義理?」
「お手紙?ついてるのか」
「ちゃんと見てないの?」
「だって、全部義理だから」
 みんなそう言っていた気がする。もしかしたら言ってなかったかもしれないけど、「チョコレートが好きなんでしょ。ほらよ」と渡されたものばかりだ。凪がそう説明すると、碧は大きなため息をついた。
「先輩って信じられない。そうやって好意を持ちまえの鈍感で無視してきたんですね」
「無視はしてないだろ。告白されてないんだから」
「でもチョコレートの箱に夢中で、手紙に気が付かなかったんでしょ」
 それは確かにそうだから、否定はできない。思わず口をへの字にして碧を見上げていたら、碧は突然に天井を仰いだ。
「そんな可愛い顔でこっち見ないで。俺は怒ってるんだから」
 自分では可愛いとは思わないけれど、許される可能性があるならと碧に一歩近づく。
「ずるい!自分が可愛いって知ってるんだ」
 碧は天井を仰ぐのはやめて、凪を正面から見据えた。今度は何かに耐えるように目を薄く開けている。
「碧の方が可愛いよ」
「やめて。このまま許しちゃいそう」
「許していいよ」
「やだ、困る」
 薄く開けていた目をぎゅっと閉じて、碧は紙袋を持ったまま凪をガバリと抱きしめた。碧というやつは、こうして凪を抱きしめるのが好きなのだ。困ったやつめと思いながら、少し気になることを聞いてみる。
「そういえば、チョコレート貰った?」
「もちろん、ちゃんと貰わなかったよ」
「なんで」
「え、なんで?」
「食べ切れないなら一緒に食べたのに」
 凪がそう言うと、碧は凪の肩に手を置いて体を離した。今日何度目かの信じられないと言う顔で、「だって、だって」と繰り返している。
「先輩が嫉妬しちゃうって言ったから」
 少し揶揄うだけのつもりだったのに、正面からそう言われるとちょっと衝撃的だ。だって自分が確かに宣ったセリフだからだ。穴に入りたいほど恥ずかしい。顔が赤くなっている気がするけれど、このまま負けるのは癪だなとも思った。だから、覚悟を決めて言ってやる。
「そうだよ、俺は碧のことが大好き」
 ほとんど仕返しのつもりでそう言ったのだ。本心だけど、これは仕返しだ。それなのに、碧があまりに嬉しそうに笑って「チョコちゃんって、本当に可愛い」と言ったものだから、全てがどうでも良くなってしまった。
 凪はチョコレートが好きだ。チョコレートが海で溺れていたら、真っ先に飛び込むと思う。でも、長年恋焦がれてきたチョコレートより、碧の方が大切かもしれない。だって、碧が溺れてるところなんて想像したくもないから。つまりこの気持ちはなんて表現したらいいのだろう。凪にはまだわからないけれど、いつか言葉にできる日が来たら、きっと素直に伝えようと心に決めたのだった。