『何か企んでいるな?』
 影王は急に静かになった向こうを探ろうと、影の出力を上げてバァンッと桜の防壁を打ち壊した。

 ドロドロと瓦解していく葉の防壁が、厚く隠していたものをじわじわと露わにしていく。

『ほう?』
 闇に光る朱眼が捉えた姿に、影王は目を側めた。
『傲慢男と神格堕ちした式神一匹……あの忌々しい女狐の姿がないのが、お前等の策の肝か?』
 しゅるりと側を守る様にして控える黒き龍と、二刀を構えて臨戦態勢を取る雅清に淡々と投げかける。

 雅清は「教えん」と端的に答えてから、チャキと鋒を影王に定めた。
『……不遜』
 影王は冷淡に唾棄すると、ビュンッと影の鞭を振う。

 力強くしなり、目でも追えない速度で飛びかかった攻撃に、雅清はハッと反応に遅れてしまった。
 だが、その前に竜胆がバッと飛び退いて動き、雅清を強引に鞭から避けさせる。

 竜胆はそのままポンポンッと浮雲を掴みながら、飛んでくる影の攻撃から必死に逃れた。

 雅清は竜胆の背に乗りながら、「光焰付呪!」と叫び、影王から伸びた攻撃に素早く刀を振った。
「閻炎《えんえん》!」
 野太い声と共に放たれる一振りに、赤色の炎がゴウッと唸る様に飛びかかる。

 向かいかかる影を飲み込みながら床に着地すると、ぶわりと自らの領分を広げた。
 地獄の業火の様にバチバチッと荒ぶりながら、伸びる影を飲み込んでいくが。強まる暗黒にドンッと侵食され、瞬く間に鎮火されていく。

『……妙だな。先の攻撃とは少々《《質が違う》》』
 影王は独り言つ様に言うと、『そうか』とニタリと朱眼を細めた。

 刹那、ドンッと天井の影から棘が伸び、雅清の胸部をグサリと穿ち抜く。
『貴様が女狐だな』
 悍ましい程に冷たい声が朗らかに発せられると同時に、ぐらりと雅清の身体が前のめりに崩れ、竜胆の身体からひゅうっと落下した。

「葛の葉様!」
 竜胆が悲痛な声を上げて、落下していく身体の元へ急いで駆ける……が。受け止める寸前でくるんっと向きを変え、「今です!」と声を張り上げた。

『何?』
 張り上げられた頓狂な声に、影王は眉根を寄せる。

 その時だった。
 落下していた雅清の身体がポンッと音を立てて、一枚の桜葉になり、影に消えていった。

 その姿に、影王は『分身か!』と目を見開く。

『おのれ、女狐! 小賢しい真似を!』
 猛々しく吠えると、背後から「化かしこそ狐の本領でございますよ」と、艶やかな声がかかった。

 バッと葛の葉が飛びだし、メラメラと燃える指先を影王にグッと伸ばす……が。
『これで勝った、と?』
 ゾクゾクッと背筋に悍ましいものが走り、彼女の呼吸がピタッと止まってしまった。

 ……いけない!

 怯む己を素早く叱咤し、葛の葉は躊躇を乗り越えて動き出した。
 だが、その次の瞬間。ドンッと影が素早く突き上がり、彼女の身体をがっちりと捕らえた。

 捕らえられた葛の葉は身動き一つ取れぬまま固まり、「ううっ」と悔しげに呻く。

『妖術であの男を演じて攪乱し、本体は背後に回り込む策か。では、肝心のあの男はどこに行ったのかと言う事だが……答えは簡単よ』
 影王はスススッと影の中を移動し、影に捕らえられた葛の葉の前でトプンッと現れると、意地の悪い笑みを見せつけた。

『女狐の振りは下手くそであったな』
 影王が淡々と告げると同時に、じわじわと葛の葉の顔が剥がれ、苦悶に満ちた雅清の顔を露わにしていく。

「クソッ」
『分身のみならず模写の模写まで使うてくるとは、実に頭を捻らせたものだが。霊力の差異と行動の差異が大きすぎる』
 あまりにもお粗末だ。と、影王は淡々と告げた。

『頼りになる女狐も、もう影の中では手立てがないなぁ。傲慢男よ、勝負ありだ』
「……そこまで読めていたのか?」
 雅清は苦々しげに呻く様に訊ねる。

 その問いに、影王は『勿論だ』と尊大に鼻を鳴らして答えた。
『女狐はお前の内に居るのだろう? 飛び出した所をまた飛び出し、二段重ねの騙し打ちをしようとしたのであろうが。お前のせいで、女狐は出る幕なしに退場だ』
 残念だな。と、影王はスッと目を細めて、満足げにパチリと手を叩く。

『カオル、お前を傷つけた傲慢な男の最期だぞ。これでもう、お前を傷つける人間はこの世に居なくなる』
 クツクツと楽しげに喉奥から漏れる笑み。

 雅清は奥歯をグッと噛みしめて、自分をどろどろと食んでいく影の内で佇んだ。

『おい、もっと喚いたらどうだ? それではつまらんぞ』
「喚いた所で、この結果は変わらないだろう」
 雅清は淡々と打ち返す。
 その答えに、影王は無い肩を大仰に竦めて『実につまらん奴だ』と吐き捨てた。

『これがカオルの想い人だったかと思うと、此奴は本当に見る目がない』
「……いいえ。お嬢様の殿方を見る目は素晴らしいですよ」
 突然、雅清の口から葛の葉の美しい声音が発せられる。

 口の動きに寸分のズレなく出た声に、影王はギョッと面食らった。

 攻守どちらにも優れ、まるで隙が無い闇の王に綻びが走る。
 だが勿論、その綻びを見逃す彼等ではない。

「近寄ってくれて、助かりました」
 葛の葉がニヤリと告げた刹那、捕らえられた彼女のすぐ横から突如狐火が発火し、そこから雅清が飛び出した。
 指先に青色の炎を纏わせて。

『ばっ、馬鹿な!』
 影王は愕然と叫び、直ぐさま攻撃をぶつけようと動き出した……が。
「一歩遅いな、影王」
 雅清の指先は素早くドンッと影を掴み、ガチャリと施錠する様に手首が大きく回された。

「俺達の勝ちだ」
『き、貴様ああああっ!』
 全てを覆い潰していた暗黒が大きくわななき、キィキィと悲鳴をあげる。

 影王は、ドンッと最期の力を振り絞って雅清に攻撃を仕掛けるが。聖陽軍きっての武人である雅清はバッと素早く距離を取り、彼の最期の一振りを躱した。

 すると影王の身体が大きくぐにゃりぐにゃりと波打ち、どくどくっと形を保っていた影も崩壊を始める。

『クソ、我の身体が! 我の力が! 抜けていく! おのれ、おのれぇぇ!』
 ぐにゃりぐにゃりと波打つ身体で張り叫ぶが。身体の崩壊も止まらず、強まる一方であった黒もしゅううっと薄くなっていく。

「狐は相手を化かす為ならば手段を選びません。更に、この葛の葉は九尾の狐。模写の模写や複写に模写を重ねると言った偽りや、姿を霞に消す事はお手の物ですよ」
 捕らえられ、大部分を黒に染めあげられた彼女はニヤリと口元を綻ばせた。
 刹那、ぽすんっと可愛らしい音が弾けて、影に囚われていた姿はどこにもなくなってしまう。

 そしてサッと雅清が飛び出した所から葛の葉がスウッと現れた。まるで見えないヴェールを拭う様に、扇をひらりひらりと艶めかしく動かして。

「またも見事に化かされてくれましたね、影王」
 葛の葉はパチンッと扇を閉ざして、うふふっと蠱惑的に微笑んだ。
『女狐ぇぇぇえ!』
 影王は怒号を飛ばすが。彼の怒りに反して、暗闇がじわじわと萎んで消えていく。
『クソがぁぁぁ!』
 猛々しく衝かれた怒髪天を最期に、影王の姿は剥がれ落ちる様にして内へと収縮された。

 ……その代わりという様に、闇に覆われていた薫の姿が露わになる。

 雅清は現れた薫の姿に「柚木っ!」と叫び、ダッと駆け出した。

「……来ないで」

 か細く紡がれた一言に、雅清の足はピタッと止まってしまう。
 あと数歩、手を伸ばしたら届くと言う距離で。