あんな報告書を出せば、総隊長に呼び出されるだろうと予測していたが。まさか、その上……土御門総帥から呼び出されるとは。

 雅清は自身の前に聳え立つ扉に、ゴクリと唾を飲んだ。

 数々ある部屋の入り口とは少し違い、高級感がある漆を塗り込まれた木製の扉。どことなく重厚感がある扉の上部には、まるでこの扉をくぐる者を値踏みするかの様に「総帥室」と、カッチリとした明朝体で刻まれた金縁のプレートが填められていた。

 雅清はふうと小さく息を吐き出して、目の前の扉をゆっくりとノックする。
 扉の重厚感とは裏腹に、コンコンッと甲高い音が軽やかに響いた。

「入れ」
 扉の向こうから飛んできた重々しい声に、雅清はゴクリと息を飲んでから「失礼します」とノブに手をかけて、ギイイと扉を押し出す。

 そこは隊長格が使う執務室と似ているが、また違う雰囲気で拵えられた部屋造りであった。確実とは言い難いが、恐らく置かれている家具はどれもこれも、目を見張る程の一級品であろう。だが、そこに華美を感じるのではなく、身を弁えている様な慎ましさを感じるのだ。

 そして彼が座する背後には、日の丸と聖陽軍の紋章が入った旗が交差してたてられている。まるで、自分がこの日の本を護っている男だと言わんばかりの剛健さだ。

 雅清は部屋の雰囲気に圧倒されつつも、「失礼致します」と足を内へと進める。

 すると奥のデスクに鎮座する男が、彼を見据えて「あぁ、君か」と手をあげた。

「忙しい時に呼び出してすまないな」
 土御門俊宣、聖陽軍総帥に座しながら、土御門宗家の当主でもある男だ。葛の葉・竜胆と言った土御門家に仕える数多の式神の主であり、歴代きっての豪腕と敏腕さで土御門家の威信を少しも落とさず、磨き続けている男でもある。

 年は六十四と中高齢の分類に当たるが、見目は四十代の様に溌剌としていて若々しい。鍛え上げられた逞しい体つき、キリッと厳めしい相貌が、若さを上手く演出しているのだろう。

「いえ、総帥のご心配には及びません」
 雅清は丁寧に答えてから、彼が座すデスクの前でピンと背筋を伸ばしてカッチリとした姿勢で佇む。

 そんな彼を見据えながら、俊宣は「君に二つ、話があってね」と、前置きしてから話始めた。
「一つめは、薫の事だ。君が海音寺君に提出した報告書を読んだよ」
 雅清は「やはりその話か」と内心で独りごちてから、「はい」と頷く。

「物の怪が、柚木のみを狙った動きを見せました。恐らく、柚木が影王を封じた花影であると分かっていたからこその動きだと思われます……前までは、他を邪険にしてまで柚木を狙うと言う事はありませんでしたから」
 雅清の言葉に、俊宣は「そうか」と重々しいため息交じりに答えた。

「短時間であったとは言え、力が外に漏れ出た為に薫を認識し、アレに眠る力を狙い始めた魁魔が現れたのかもしれんな」
 だからあの子には、我が家に居続けて欲しかったのだが。と、小さく肩を竦める。

「まぁ、今更だ。薫は今まで通り、君の隊に居てもらおう」
 雅清は前から呆れ混じりに告げられた命に「それは勿論とお受け致しますが」と、きっぱりと答えてから問いかけた。

「今後の警邏は如何致しますか、柚木のみこちらに居させますか?」
「いや」
 俊宣は物々しく首を振り、弱々しく問いかけた雅清をまっすぐ射抜く。

「今まで通りで良い。へたに特別扱いをすれば邪推する者も出てくるであろうし、隊内の不和を起こしかねんからな」
「ですが、狙われているとあれば」
「薫はそれを承知で聖陽軍に入隊し、こうなる事態を覚悟して影王の力を解放したのだよ。あの子が全て自分で進み蒔いた種だ、それを摘む時も自分でなくてはならない」
 我々がそこまで面倒を見る必要はないと言う事だ。と、食い下がった雅清を遮り、ピシャリと払いのけた。

 雅清は、その冷酷な言い分に唖然としてしまう。

 自分の行いだから仕方ないと言う言い分は分からなくもないが。数多の魁魔から狙われる身になったかもしれないとなった状況でも、そんな事を言うか?
 普通じゃない。と、雅清は内心で苦々しく独りごちてから「誠に失礼ながら、総帥」と、反論を述べ出した。

「数多の魁魔から狙われているとあらば、任務の危険度が違ってきます。外に出れば、彼女は常に身を危険に晒す事になり、万が一と言う事態も引き起こしかねません」
 俊宣は前からぶつけられる反論に「ほう?」と目をスッと側める。そして徐に顔の前で手を組み、「万が一、とは?」と冷ややかに訊ねた。

「彼女が魁魔に攫われるか、彼女の力が魁魔に渡ってしまうなどの事態です」
 雅清は冷ややかにぶつけられる問いに一歩も臆する事なく、毅然と答える。

 俊宣はその答えにふむと唸ってから「それは最悪だ」と、独りごちる……が。

「では、そうならない為に、君があの子を今まで以上にしっかりと鍛えてやってくれ。薫自身が強くなれば、何も問題はない」
 きっぱりと打ち返されたのは、他人任せの拒絶。

 背負った不都合は、どこまでも柚木自身の責任にするつもりか。

 雅清の手が、死角になるデスクの影でグッとキツく丸まった。ギチギチッと丸められた拳が唸り、決心を強く固めていく。

 そうだ。護る気がない奴等に柚木を任せるよりも、柚木自身を強くさせるよりも、俺が柚木を護る。必ず、護り抜いてやる。

 雅清の内で、メラメラと決意が燃え盛った。だが、そんな燃ゆる炎に気付く事なく、俊宣は淡々と言葉を継ぐ。

「まぁしかし、あの子はただではやられんよ。狙われても、影王の力を上手く使って撃退するだろうし、そんな万が一は起きないと思うがね」
 影王の力を出すなと言っておきながら、いざとなったら影王で対処出来るから心配しないと。結局どんな事になっても全ては柚木任せじゃないか。
 雅清は煮え立つ想いをグッと押さえ込みながら「分かりました」と、淡々と答えた。

「では、今までと変わらず警邏に出させます」
 ひどく淡々とした口調であったが。勿論、その奥にはメラメラと燃え盛るままの決意がある。

 しかしながら、やはり、俊宣はその炎に気がつく事はなかった。満足げに「そうしてくれ」と頷き、「頼りにしているよ」と雅清を労う。

 雅清は「ハッ」と敬礼して答えた。
 そして「では、失礼します」と急いで隊に戻ろうと足を動かそうとした、その時だ。