「――よし」


 ペンケースとノートをリュックにしまい。
 私は、軽い足取りで家を出た。


 高校三年の春休み。
 今日から、大学受験に向けた予備校へ通うのだ。
 来年、先輩と同じ大学に通うために。

(先輩ってば、変態のクセに超頭良い大学に入るんだから……かなり頑張らなきゃ合格できないよ)

 卒業式の日以降、先輩とは何度か遊んだけれど、大学の入学準備や新しいバイトの面接やらでけっこう忙しいみたいだった。

(バイトかぁ……同僚に可愛い女の子がいたらどうしよう。入学後はサークル活動なんかもあるよね? 先輩に限って浮気はないと思いたいけど……キスで倒れるくらい純情だから、ぐいぐい迫る女がいたらヤだなぁ)

 卒業の寂しさは、もう受け入れたつもりだけれど……
 やっぱり離れる時間が増えるのは、少し不安だ。

 ……だめだめ。弱気になっている暇があるなら、勉強しなきゃ。
 内緒で同じ大学に合格して、先輩をびっくりさせるって決めたんだから。


 決意を新たにし、一人頷いたところで、私は予備校に到着した。
 少し緊張しながら、自動ドアを潜る。
 と、受付の人が明るく挨拶をしてくれた。

「あの、春期講習を受けに来たのですが……」
「新高校三年生ですね、今教室へご案内します。吉武くーん!」

 ……と、受付の人が呼ぶのを聞き、私は「え」と固まる。
 まさかと思いながら、近付いてくる足音に顔を上げると…………


 スーツを着たヨシツネ先輩が、そこに立っていた。


「は……?! せ、先輩?!」
「チューターの吉武だ。教室まで案内する。俺のことは『ヨシツネ先生』と呼べ」
「チューター?! まさか、新しいバイトって……!」
「塾講師だ。金を稼ぎながら伍月と同じ空間にいられる……これ以上ないくらいに一石二鳥なプランだろう?」

 こ、この人は……どこまで私のことが好きなんだ?!
 驚きのあまり言葉を失う私に、先輩はにやりと笑い、

「さて。大橋さんはどの大学を志望しているのかな? 教室に向かいながら、じっくり聞かせてもらおうか」

 なんて、完全にこちらの考えを見抜いた様子で聞いてくる。
 もうっ……せっかく内緒で合格しようと思っていたのに!

 私は悔しさに震えながら、先輩を睨み付け……
 その真新しいネクタイを、ぐいっと引き寄せると、


「――……キスしてくれたら教えてあげてもいいですよ? ヨシツネ先生?」


 耳元でそっと、囁くように言ってやった。
 その途端、「ぶはっ」と鼻血を噴き出す先輩。ふん。"密室"じゃないからって、油断大敵なんだから。


 ……気を取り直し。
 私は、廊下を進みながら、先輩に言う。

「ふふ……そのスーツ、かっこいいですね。先輩」
「……かっこいいのはスーツだけか?」

 鼻血を拭い、ネクタイを直しながら、先輩が問う。
 まったく、わかっているクセに。

 私はニッと笑い、先輩を見上げて、


「もちろん――スーツだけに決まってるでしょ? あまり調子に乗らないでください!」


 なんて、"ツンツンモード"でわざと答えながら――

 先輩と一緒に、新たな生活への一歩を、踏み出した。




 *おしまい*