「――別に、ついて来なくていいのに」
隣を歩く伍月が、ボソッと呟く。
体育倉庫へと引き返す彼女に、俺も同行することにした。
無論、もう少し二人きりでいたいからなのだが、
「もしスマホが大きな用具の下にでも入り込んでいたら、一人で退かすのは大変だろう? 念の為だ」
……ということにしておいた。
薙沙はまだ鍵を取りに行っているらしく、体育倉庫は開いたままだった。
俺は伍月と共に中へ入り、スマホを探す。
「たぶん、この辺りに……あ、ありました」
残念。スマホはすぐに見つかってしまった。
彼女との時間も、ここまでである。
「そうか。よかった……」
……な。と、言い切ろうとしたところで。
――ザァァアアアア……
突然、大粒の雨が降り出した。
体育倉庫のトタン屋根が、バチバチとけたたましい音を奏でる。
「降ってきたな」
「……私、傘持っていません」
「俺もだ」
直後、ゴロゴロという雷の音まで聞こえてきた。
伍月の肩が、微かに震える。
雷が怖いのだろうか? だとしたら、少し意外だ。
「……止むまで、待つか?」
雨音が響く中、俺が言う。
伍月が「え?」と聞き返すので、俺は彼女を見下ろし、
「一緒に……雨宿りしていかないか?」
緊張に胸を高鳴らせながら、そう投げかけた。
心臓の音が、雨より煩く耳を突く。
思い切ったことを言ってしまった。どうせ断られるのに。
そう思いつつも、ほんの少し期待しながら、彼女を見つめる。
たぶん伍月は、恋愛に興味がない。
だから、叶わぬ片想いだとわかっているけれど……
それでも、少しでも一緒にいたくて。
薄暗い倉庫の中、伍月の頬が、ほんのり染まったように見えた。
その理由を、揺れる瞳に問いたいと思った――その時。
「――ぎゃー! めっちゃ濡れる! 早く鍵カギ!!」
……そんな声と共に。
薙沙が現れ、体育倉庫の引き戸を、ガラッと閉めた。
続けて、南京錠がガチャンとかかる鈍い音。
中に俺たちがいることに気付かないまま、施錠したようだ。
…………まじか。
サーッと血の気が引くのを自覚しながら、俺は慌てて扉へ駆け寄る。
「おい、薙沙! 開けろ!」
鉄製の扉をガンガン叩きながら叫ぶが、返答はない。
突然の豪雨に焦っていたのだろう、すぐに走り去ったようだ。激しい雨音のせいで、声も届かない。
「くそっ……あいつに連絡を……!」
スマホで薙沙に電話をかけるが、繋がらない。雨の中を走っているため気付かないのか。
まずいぞ……今日はもう誰も倉庫を使わない。
薙沙が気付いてくれなければ、俺たちは朝までここに閉じ込められることになる。
こんな密室で、二人きりで一晩過ごすなんて……俺としては願ったり叶ったりだが、伍月は嫌に決まっている。
……いや、待てよ。
スマホで学校に電話すれば、教師に助けてもらえるか。
なんだ。冷静に考えれば大したことではない。
そうと決まれば、うちの高校の番号を検索しよう。
「安心しろ、大橋。今、職員室に電話して……」
と、伍月に言いかけた……刹那。
――ぎゅ……っ。
……と、後ろから、抱き付かれた。
…………誰に?
もちろん、伍月に、だ。
……………………え?!
俺は大混乱しながら、スマホを手から取りこぼす。
「お……おおお、大橋? どうした??」
声を上擦らせながら尋ねると……
伍月の喉が、コクッと鳴った。
そして、
「…………すき」
……と。
雨音に掻き消されそうな程の、か細い声で、
「私、ヨシツネ先輩のことが…………ずっと、好きでした」
……なんて。
幻聴を疑うような言葉を、口にした。
………………いや、幻聴か。
願望が生み出した幻聴に違いない、うん。
「大橋……今、なんて……?」
ギギギ、と首を回しながら、伍月を見下ろすと……
彼女は、潤んだ瞳で俺を見上げ、言う。
「……好きです、先輩。真面目で優しいところも、空手部の主将として頑張っているところも、キリッとかっこいい顔立ちも、逞しくて男らしい身体つきも、低くて色っぽい声も……ぜんぶぜんぶ、大好きなんです」
……幻聴にしてはやけに長く、ハッキリとしているな?
未だ己の耳が信じられず、俺は……思わず笑い出す。
「は……はは。どうしたんだよ、いきなり。ドッキリか何かか?」
伍月が俺に好意を抱くなんてあり得ない。
そう信じ込んでいるからこそ、茶化してしまった。
しかし伍月は、抱き付く腕にさらに力を込めて、
「ごめんなさい、急にこんな……私、密室でないと、素直になれなくて」
なんて、さらに信じられないようなことを口にした。
「密室……? どういうことだ?」
「原因は、たぶんおばあちゃん……私の家、歴史ある弓道の道場で、私も小さい頃から弓道を仕込まれていて……うまくできないと、おばあちゃんに真っ暗な蔵へ閉じ込められたんです」
「な……」
「普段はおばあちゃんの目があるから、毅然とした態度でいなければならないけど……蔵の中でなら、強がらずにこっそり泣くことができた。そんな経験から、密室じゃないと本心を曝け出せなくなっちゃったんです」
なんと……
それじゃあ今、この密室状態で見せている伍月こそが……
見せかけじゃない、本当の伍月なのか……?
俺は、ゆっくりと振り返り、伍月と向かい合う。
確かめるように顔を覗くと、恥ずかしそうに俺を見返す瞳と出会った。
潤んだ上目遣いが可愛すぎて、息が止まりそうになる。
確かに……いつもの彼女とは、明らかに雰囲気が違う。
そして、嘘をついているようにも見えない。
本当に……本当に、両想いだったのか?
俺と同じように、彼女も……俺のことを、好きでいてくれた?
「……大橋」
俺は、伍月の肩にそっと手を置く。
心臓が速い。雨が煩い。
そのせいで、何も聞こえなくなる。
まるで、世界から切り離されたようだ。
俺と彼女だけの、完全なる密室……
「…………俺も」
詰まりそうな喉を、振り絞るように。
俺は、想いを口にする。
「俺も……大橋のことが………………」
…………と、肝心なところを言い切る前に。
「ヨシツネー?! もしかしてまだ中にいるー!?」
――ガチャッ、ガラガラガラッ!!
やかましい声と共に、体育倉庫が開け放たれた。
……見なくてもわかる。薙沙が、戻って来たのだ。
俺からの着信を見て、急いで駆け付けたのだろう。薙沙は傘も差さずにびしょ濡れで……
伍月の両肩に手を置く俺を、唖然と見つめていた。
「あ……ごめ、ヨシツネのチャリがまだあって、スマホ見たら着信が残ってたから、まさかと思って来たんだけど……お邪魔だった?」
ぽかんとしていた顔が、徐々にニヤついたものへと変わる。
そのムカつく顔と、揶揄うような言い方に、伍月はぷるぷると震え出し……
「っ……! 邪魔じゃないです! っていうか、ちゃんと中を確認してから鍵かけてくださいよ!!」
と、いつもの調子で……いや、いつもよりも声を荒らげて、文句を言った。
どうやら密室が解けたため、虚勢を張ったツンツンモードに戻ってしまったらしい。先ほどまでの素直な雰囲気とはまるで別人だ。
「わ……私、帰りますっ」
そのまま、話を切り上げるように駆け出すので……
「――待て」
パシッ……と、俺は彼女の手を掴む。
驚いたように振り向く伍月。
まだ潤んだままの瞳に、俺は先ほどの密室でのやり取りが夢ではなかったことを確信する。
……この際、薙沙がいようが関係ない。
さっきの告白を、なかったことにされる前に。
俺の気持ちを……きちんと伝えなくては。
俺は、伍月の目を真っ直ぐに見つめると……
すっと、息を吸い込んで、
「――好きだ。付き合ってくれ」」
降りしきる雨音に負けないよう。
はっきりと、そう伝えた。
瞬間、伍月は「へっ……?!」と顔を赤らめ……
薙沙は「わお」と、他人事のような感嘆を漏らした。
* * * *
――そうして、俺たちの交際はスタートした。
伍月がこんな調子なので、じゃれ合うような言い合いはしょっちゅうだが……
関係にヒビが入るような大きな喧嘩もなく、基本仲良く過ごしている。
そして、半年が経った一月。
俺は、伍月を初めて――自分の部屋に招いた。



