「渡利……おまえ……何か変わったか?」
「何が?」
卒業式のためスーツで大学に行くと、晴大を見た翔琉は眉をひそめた。晴大は特に普段と変わらず、着ているのも成人式のときとは違う普通のスーツだ。
「なんか……分からんけど、何か違う」
「一緒やろ。俺は俺やし」
式が終わって教室に戻ってからも、まだ翔琉は理由を探していた。楓花は晴大と一緒に電車で来たけれど特に何も思わなかったし、晴大の様子も普段と変わらない。
「楓花ちゃんさぁ、渡利君と旅行したって言うとったよなぁ?」
晴大が友人たちと話している隙を見て聞いてきたのは彩里だ。
「うん。あっ──これ、お土産」
「ありがとう。……ホテルはどうしたん?」
「え? ……同じ部屋やけど……一人部屋とかおかしいやん?」
晴大はそれが楽しみだったようで、折角だから、と楓花が思っていたのよりもグレードの高い部屋を予約してくれていた。楓花ももちろん喜んだし、晴大が何を考えているのかも分かっているつもりだった。晴大は少しずつ積極的になって、卒業旅行の夜に真剣な顔で〝もう我慢は無理だ〟と言われた。楓花が黙って晴大に口付けたのを合図に、晴大は楓花の寝間着に手を掛けながら部屋の明かりを落とした。
「ふんふん。なるほどね」
楓花は彩里には話さなかったけれど、顔が赤くなってしまったので何があったか彩里は分かったらしい。口角を上げてニヤリとしてから、それで前より仲良く見えるのか、と納得していた。
翔琉にはいつの間にか、彩里が教えたらしい。
「くっそ、渡利……、楓花ちゃんのこと大事にしろよ」
「ふん。当たり前のこと言うな」
翔琉が少しだけ不服そうにしていると、隣で彩里が口を尖らせていた。もちろん、翔琉は楓花を狙っていたわけではなく──。これからも一緒にいたい、と翔琉と腕を組んで見上げる彩里に手を振って、楓花は晴大に連れられて最後にゼミ室に寄って先生に挨拶をしてからキャンパスを出た。
「楓花──春休み──泊まりに来いよ」
「え? それは、さすがにダメなんじゃない?」
「俺、一人暮らしすることにした。実家は楓花んとこ近いけど、あの家……俺の趣味と違うからムズムズする」
楓花が誕生日にプレゼントしたセーターは着てくれているけれど、晴大にはまだ黒に近い色のほうがしっくりくるらしい。
「それに……早く楓花にも認めてもらいたいし。一人でやってく力つけて──、いつかは戻らなあかんけどな」
一人暮らしのマンションで使うものを揃えたいと言うので、翌日、デートがてら買い物に出かけた。晴大は数日前に引っ越して卒業式の日だけ実家に戻っていたようで、楓花を家まで迎えに来てくれた。
必要なものを揃えてマンションに行くと、部屋の中は晴大のイメージ通りの色で統一されていた。統一されていた、けれど──、楓花の好みのものもあったので、思った以上に居心地が良かった。
「楓花がリラックスできんかったら意味ないし」
「なんで?」
「そんな当たり前のこと聞くな」
世間一般よりは広めの一LDKの部屋をあちこち見ていると、寝室のドアを開けたところで突然、抱き上げられた。
「わぁっ、えっ?」
見覚えのあるベッドに下ろされ、晴大がすぐに馬乗りになった。
「──他にあるか?」
「それは……」
楓花が言葉を続けるより先に、晴大に強引に唇を塞がれた。
※
それから約八年後──。
「あっ、晴大さん楓花さん、お待ちしてました。息子さん、大きくなりましたね」
楓花が久々にensoleilléに顔を出すと、待ってくれていた店長は楓花の手を握る子供の目線に合わせてしゃがんだ。
「凌央君、いくつ?」
「ちゃんちゃい!」
店長が凌央に尋ねると、凌央は嬉しそうに繋がれていないほうの手の指を三本立てた。
大学を卒業してから楓花はホテルで正社員として勤務し、四年後、晴大から正式にプロポーズされた。残念ながら、期待したような特別な台詞はなかったけれど、晴大が真剣に伝えてくれたので嬉しくて泣いてしまった。それからすぐに楓花は妊娠が分かり、仕事を辞めて専業主婦になった。
晴大は父親と一緒に働きながらスカイクリアのことを勉強し、海外に日本食レストランを作ることになった。
「明日からですよね。どこの国でしたっけ?」
「ギリシャ。サントリーニ島……あの白い壁と青い屋根とかのとこな。楓花が行きたいって」
楓花が晴大とエーゲ海に行きたいと思ったのは、最初のデートが白崎海岸だったからだ。サントリーニ島に行くのは、視察を兼ねた新婚旅行だ。
「ほんまは二人で行きたかったけどな」
席に着き、楓花が凌央を座らせるのを見ながら晴大は少しだけ頬を膨らませた。
「でも、凌央にもいろんなとこ見てもらいたいしな。幼稚園とか行き出したら、いろんな奴に会うやろうし」
「いろんな奴……。あ──そういえば彩里ちゃんから聞いたんやけど」
「──桧田? 結婚するらしいな」
「えっ? なんで知ってん? 誰に聞いたん?」
「桧田から連絡あった。何てプロポーズしたら良いん、て聞いてきたから、自分で考えろ、って言ったった」
「うわぁ……」
楓花の知らないうちに、晴大と翔琉は仲良くなったらしい。晴大は嫌そうに話しているけれど、顔は笑っている。
「もしギリシャで良いとこあったら、しばらく暮らすことになるかもしれん」
「うん。私もできることあったら手伝う」
「──いや、でも長いかもしれんぞ? 俺一人でも」
「何言ってんの。私は晴大と同じ世界を見たい。それに──隣におってほしい、って言ったの晴大やけど」
「あ……言ったな。俺から離れんなよ」
楓花が晴大と一緒に世界を飛び回るようになるのは、遠くない未来だ。
「何が?」
卒業式のためスーツで大学に行くと、晴大を見た翔琉は眉をひそめた。晴大は特に普段と変わらず、着ているのも成人式のときとは違う普通のスーツだ。
「なんか……分からんけど、何か違う」
「一緒やろ。俺は俺やし」
式が終わって教室に戻ってからも、まだ翔琉は理由を探していた。楓花は晴大と一緒に電車で来たけれど特に何も思わなかったし、晴大の様子も普段と変わらない。
「楓花ちゃんさぁ、渡利君と旅行したって言うとったよなぁ?」
晴大が友人たちと話している隙を見て聞いてきたのは彩里だ。
「うん。あっ──これ、お土産」
「ありがとう。……ホテルはどうしたん?」
「え? ……同じ部屋やけど……一人部屋とかおかしいやん?」
晴大はそれが楽しみだったようで、折角だから、と楓花が思っていたのよりもグレードの高い部屋を予約してくれていた。楓花ももちろん喜んだし、晴大が何を考えているのかも分かっているつもりだった。晴大は少しずつ積極的になって、卒業旅行の夜に真剣な顔で〝もう我慢は無理だ〟と言われた。楓花が黙って晴大に口付けたのを合図に、晴大は楓花の寝間着に手を掛けながら部屋の明かりを落とした。
「ふんふん。なるほどね」
楓花は彩里には話さなかったけれど、顔が赤くなってしまったので何があったか彩里は分かったらしい。口角を上げてニヤリとしてから、それで前より仲良く見えるのか、と納得していた。
翔琉にはいつの間にか、彩里が教えたらしい。
「くっそ、渡利……、楓花ちゃんのこと大事にしろよ」
「ふん。当たり前のこと言うな」
翔琉が少しだけ不服そうにしていると、隣で彩里が口を尖らせていた。もちろん、翔琉は楓花を狙っていたわけではなく──。これからも一緒にいたい、と翔琉と腕を組んで見上げる彩里に手を振って、楓花は晴大に連れられて最後にゼミ室に寄って先生に挨拶をしてからキャンパスを出た。
「楓花──春休み──泊まりに来いよ」
「え? それは、さすがにダメなんじゃない?」
「俺、一人暮らしすることにした。実家は楓花んとこ近いけど、あの家……俺の趣味と違うからムズムズする」
楓花が誕生日にプレゼントしたセーターは着てくれているけれど、晴大にはまだ黒に近い色のほうがしっくりくるらしい。
「それに……早く楓花にも認めてもらいたいし。一人でやってく力つけて──、いつかは戻らなあかんけどな」
一人暮らしのマンションで使うものを揃えたいと言うので、翌日、デートがてら買い物に出かけた。晴大は数日前に引っ越して卒業式の日だけ実家に戻っていたようで、楓花を家まで迎えに来てくれた。
必要なものを揃えてマンションに行くと、部屋の中は晴大のイメージ通りの色で統一されていた。統一されていた、けれど──、楓花の好みのものもあったので、思った以上に居心地が良かった。
「楓花がリラックスできんかったら意味ないし」
「なんで?」
「そんな当たり前のこと聞くな」
世間一般よりは広めの一LDKの部屋をあちこち見ていると、寝室のドアを開けたところで突然、抱き上げられた。
「わぁっ、えっ?」
見覚えのあるベッドに下ろされ、晴大がすぐに馬乗りになった。
「──他にあるか?」
「それは……」
楓花が言葉を続けるより先に、晴大に強引に唇を塞がれた。
※
それから約八年後──。
「あっ、晴大さん楓花さん、お待ちしてました。息子さん、大きくなりましたね」
楓花が久々にensoleilléに顔を出すと、待ってくれていた店長は楓花の手を握る子供の目線に合わせてしゃがんだ。
「凌央君、いくつ?」
「ちゃんちゃい!」
店長が凌央に尋ねると、凌央は嬉しそうに繋がれていないほうの手の指を三本立てた。
大学を卒業してから楓花はホテルで正社員として勤務し、四年後、晴大から正式にプロポーズされた。残念ながら、期待したような特別な台詞はなかったけれど、晴大が真剣に伝えてくれたので嬉しくて泣いてしまった。それからすぐに楓花は妊娠が分かり、仕事を辞めて専業主婦になった。
晴大は父親と一緒に働きながらスカイクリアのことを勉強し、海外に日本食レストランを作ることになった。
「明日からですよね。どこの国でしたっけ?」
「ギリシャ。サントリーニ島……あの白い壁と青い屋根とかのとこな。楓花が行きたいって」
楓花が晴大とエーゲ海に行きたいと思ったのは、最初のデートが白崎海岸だったからだ。サントリーニ島に行くのは、視察を兼ねた新婚旅行だ。
「ほんまは二人で行きたかったけどな」
席に着き、楓花が凌央を座らせるのを見ながら晴大は少しだけ頬を膨らませた。
「でも、凌央にもいろんなとこ見てもらいたいしな。幼稚園とか行き出したら、いろんな奴に会うやろうし」
「いろんな奴……。あ──そういえば彩里ちゃんから聞いたんやけど」
「──桧田? 結婚するらしいな」
「えっ? なんで知ってん? 誰に聞いたん?」
「桧田から連絡あった。何てプロポーズしたら良いん、て聞いてきたから、自分で考えろ、って言ったった」
「うわぁ……」
楓花の知らないうちに、晴大と翔琉は仲良くなったらしい。晴大は嫌そうに話しているけれど、顔は笑っている。
「もしギリシャで良いとこあったら、しばらく暮らすことになるかもしれん」
「うん。私もできることあったら手伝う」
「──いや、でも長いかもしれんぞ? 俺一人でも」
「何言ってんの。私は晴大と同じ世界を見たい。それに──隣におってほしい、って言ったの晴大やけど」
「あ……言ったな。俺から離れんなよ」
楓花が晴大と一緒に世界を飛び回るようになるのは、遠くない未来だ。

