年が明けてしばらくして、楓花と晴大は後期試験もほとんどの科目でSを取っていた。アルバイトは二人とも少し減らして勉強に集中し、年末年始と楓花の誕生日を除いて、できるだけ連絡も取らないようにしていた。
 入学当初から授業を多めに履修していたので、卒業に必要な単位は余裕で越えていた。卒業論文の四単位を足さなくても大丈夫ではあるけれど、そもそも卒業論文を提出しないと卒業は認められない。卒業論文も二人とも早くに出来上がったので、提出する前にお互いに読んだ。晴大も英語で書いていたけれど、楓花はすらすらと読めた。
 楓花の誕生日は試験直前の授業がない日だったので、晴大がプレゼントを持って家まで来てくれた。楓花の母親が家にいたけれど、晴大と入れ替りで買い物に出掛けていった。
「晴大、勉強は大丈夫なん?」
「勉強より楓花の誕生日のほうが大事やろ。単位取れてるから、もし試験落としてもいけるし」
 晴大が持ってきてくれたのは、手袋とマフラーと、ハンドクリームだった。
「さすがに服は選べんかったわ……」
「それは難しいと思うわ。自分で買いに行ってもなかなか決まらんし」
「サイズ間違っても嫌やしな。……測っといたら良かった」
 言いながら晴大は楓花を両腕でぎゅっと抱きしめた。これで大体のサイズが分かると笑っているけれど楓花の腕まで含めてしまっているし──、単純に楓花に触れたかっただけのようで、閉じ込めてなかなか解放してくれない。
「なぁ──卒業したら一緒に住む?」
「え……」
「もう離したくない。もし楓花が、誰かに……」
 晴大は楓花を抱きしめたまま、寂しそうな顔をしていた。楓花は新たに出会う男性はおそらくいないけれど、可能性はゼロではないのが晴大には不安らしい。
「私も一緒にいたいけど……でも、楽しみがなくなるから今のままが良い」
「楽しみ?」
「休みの日に晴大に会う楽しみ。楽しみがあったら、仕事も頑張れる」
「……そうやな。近くやし、いつでも会えるか」
「うん。時差もないし」
「もし──もしな? 俺が海外に行くことなったら、ついてきてくれる? 出張か引っ越すか、分からんけど」
「──行くよ。その時には、泣かしてくれてるんやろうし?」
「その、つもりやけど……待てるか? 耐えれる?」
 晴大は楓花を捕まえたまま顔を近づけてきた。数cmの距離で見つめあい、吐息を感じてしまう。口づけようとすると晴大は、同極同士の磁石のように横にそれてしまう。悔しくて追いかけると、また逃げられてしまった。
「もうっ、晴大っ」
「ははっ! ごめんごめん」
 謝ってから晴大は今度こそ、楓花にそっと口づけてくれた。そんな優しいものでは物足りなかったようで、やがて激しくなってしまったけれど──。
「やっぱ耐えられへんかったな」
「……何に?」
「いま顔近づけたら、ついてきたやろ?」
「え……その話してたん? 晴大が、泣かしてくれるの待てるか、って聞いてんかと」
「──両方な。俺は今すぐにでも楓花と結婚したいけど、さすがにまだ何の力もないし。自信ついてからプロポーズするけど……楓花にも判断してもらいたい。応えてくれたら嬉しいけど、不安なとこあったら言って。さっきみたいに──欲に任せて判断すんな」
 晴大の言葉はまたブラックになっているけれど、楓花を見る目はとても優しかった。話をしながら晴大の口調が強くなることは、付き合う前から何度かあった。それをいくつか思い出して、あの頃も表情は優しかったな、と嬉しくなってしまう。
 大学生のほとんどがおそらく最も緊張する卒論審査会も、楓花は何とか無事に乗り切ることができた。英語で書いたので先生たちからの質問も全て英語で──、それも想定される質問を事前に晴大が考えてくれていたので対応することができた。
「終わったぁ……」
 ゼミの中で卒業論文の出来が良かったのは、残念ながら楓花でも晴大でもなかったけれど。審査会の部屋の後方で見学していた三年生たちは、終わったあとの先生の『明日は我が身』という言葉にゾッとしていたけれど。一部、四年生たちと特に親しくしていた三年生数名も加わって、もちろん先生も一緒になって打ち上げてから、ゼミは終了した。
「また、これから始まるな」
「……何が?」
「ん? 始まるやろ? 俺と楓花の時間。卒業したら桧田に会わんで良いし、誰にも文句言わさん」
 言いながら晴大は楓花の手を握る。電車の中なので人目を気にしてほとんど何もできないけれど、満員電車なのを良いことに晴大は少しでも楓花に近づこうとする。
「こらー。晴大やから許すけど」
「満員電車も、いったん今日で終わりやな。毎日毎日、疲れたわ」
「確かに……。翔琉君は徒歩やったから、これを経験してないんよなぁ」
「──そうやな。なんかムカつくな」
「あれ? 〝あいつの話はすんな〟って言うと思ったのに」
「もうどうでも良いわ。戸坂さんと何とかなりそうやし。それより明日──会えるよな?」
 学生最後のバレンタインは、午前中からデートをすると決めていた。晴大が家まで迎えに来てくれて、何をするかは特に決めていない。ゆっくり買い物をしても良いし、のんびりしても良い。旅行先は決まっているので、細かいことを考えても良い。
「旅行して、卒業式あって、それから仕事かぁ……」
 二人とも今のアルバイトの延長上の仕事なので、社会人になることにそれほど不安はないけれど。
「あ──Emilyに連絡しとこ。Jamesにも会ったことないから会いたいし」
 半年後にEmilyとJamesが日本に来たとき、ちゃんと働いていると認めてもらえるかは、少しだけ心配で……。